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新しき旅路

オアシスに点在する酒場に陣取り、男は酒を一気に呷って苦い溜息を吐いた。
今日の仕事は最悪だった。折角いいカモを見つけたと思ったのに、大損だ。
前々からあの洞窟に、願いを叶える魔法のランプが奉じられていたのは解っていた。しかし片足が言うことを利かない男にとって、その洞窟に行くだけで至難の業。更に恐ろしい怪物や罠が点在している。
その為、旅人達にその話を持ちかけて、それにかかって死んだ者の荷や金を奪って生計を立てていた。あの魔法使いの男に声をかけたのも、そのつもりだったからだ。
冷たい目をした男だった。印象は冷徹というよりも鋭利。何かを求め続けて、余分なものを全て削ぎ落とした魂の持ち主。―――自分もこんな商売を続けて何年にもなる、すぐに奴が魔法使いだと言うことに気付いた。
言葉巧みに男を乗せて、どうにか洞窟まで誘導してやると、なんと目的地まで辿り着いてしまった。せめてランプを頂こうと画策したのに、その男は崩れ始めた洞窟を出ることを犠牲にしてまでランプを手渡すのを拒んだ。何て奴だ、どんな願いも命が無かったらおしまいだってのに。
まぁ今日は運が悪かったと思って諦める、くさくさするから呑み直すかと立ち上がった男は、
「おい」
「っ―――!?」
不意に後ろから低い声をかけられ、思わずがたりとカウンターに肘をついた。そうして慌てて後ろを振り向くと―――死んだはずの男が立っていた。
「あ、あ、あんた…生きてたのかい!!」
「おかげさまでな」
慄く男に対し、立ったままの魔法使い――サラバントは、初めて男に会った時と変わらぬ冷たい視線でじっと彼をねめつけている。
「い、いやあ…無事で良かったぜ。流石魔法使い様だ―――って、そうか。あんた、ランプの魔神の力を借りたんだな!? でなかったらあそこから無事に出られるわけがねぇ!」
「まぁな」
「だったら、早くランプを寄越しな! 約束だろう、一つ願いを譲るってよ!」
言いながらも、男は素早く心の中で計算していた。恐らくこの頭の切れる男は、もう三つの願いを全て使い切っているに違いない。だが、主が変われば再び願いを叶えられる事は知らないはずだ。譲り受けてしまえばこっちのものだ。
「生憎、ランプの力は使い切っちまった。他人の命よりこんなモノを優先させようとする奴に渡すランプは無いな」
思ったとおりだ。ほくそ笑みそうになる口元をどうにか締めて、哀れっぽい声を出す。
「そ、そりゃあ悪かったよ…すまん! だがせめて、もう力の無いランプでもいい、譲ってくれないか? あれを手にするのは俺の夢だったんだよ…!」
魔法使いはターバンの下にある眉を僅かに上げた。意外そうな口ぶりで、「そんなんで良いのか」と聞いてきた。何度も頷くと変わった奴だ、と呟きながら、懐からランプを取り出した。もぎ取るように男はそれを受け取り、嬉々として磨こうと―――思い、驚愕した。
黄金は永遠の輝きを誇る金属。どんなに年月が経とうと錆びたりはしない。だが手の中のランプは、まるで果物が腐り落ちてしまったかのようにぼろぼろだった。
「こ、こ、こりゃあ一体―――」
「言っただろ? 力を使い切っちまった―――魔神はもう居ないんだ、どこにもな」
壊れたランプを抱えたまま真っ白になってしまった男を最早一瞥もせず、サラバントは酒場を出て行ってしまった。






砂漠の入り口に、二頭の駱駝が大人しく待っていた。座り込んだその瘤に腰掛て大人しくしていた人影が、近づいてきたサラバントに気付きぱっと顔を輝かせて立ち上がる。駆け寄ってくるその姿に、魔法使いの貌が思わず綻んだ。
「御主人様」
「待たせたな」
「いいえ。御主人様はすぐに戻ってきて下さいました。もう御用は御済になったのですか?」
「ああ」
魔神としての枷から解き放たれた美しい少女。その心はまるでつい先刻この世に生れ落ちたかのように純粋で、とてもあの醜い魂の男に会わせる気がしなかった。だからこそ、一人にされることに本当は不安を感じているだろうに、笑顔で了承の頷きを返すこの少女を残してわざわざ酒場に出向いたのだ。意趣返しをする子供のような自分を見られたくなかったというのもあるが。
「それでは御主人様、これからどちらへ向かわれますか?」
「…俺はもうお前の主人でも何でもないんだから、わざわざそう呼ばなくても良いんだぞ?」
ランプに彼が託した願い。
一つは、愛しい人の囁きに答え、生きたいと願った。
二つは、三つ目の願いを鑑みて、駱駝がもう1頭必要だと願った。
三つは、泣きながら微笑む少女を、孤独の頚城から解放してほしいと、願った。
「いいえ。御主人様は私の御主人様です。それ以上に大切な方を形容する言葉を、私は知りません」
自分より随分と低い位置で微笑むその貌は、とても幼く、それ故に美しかった。思い出の中にある彼女には到底まだ届かないけれど―――護ってやらなければと、思った。
「…勝手にしろ」
滅多に考えないそんなことを思ってしまった自分に羞恥を感じ、溜息を吐いてそれだけ言った。それでも彼女は本当に嬉しそうに、「はい、御主人様」と笑った。
その貌に苦笑してから―――魔法使いは少女の足元に気付いた。
「お前、裸足のままなのか?」
ランプから現れた時、彼女は靴もサンダルも履いていなかった。精霊である彼女にとって、熱砂も肌を傷つけることはないから。しかし彼女は、人の身となった筈で。その後はずっと駱駝の背に乗せていたので気にも止めなかったが、ここは街中とはいえあちこちに遺跡の残骸であろう瓦礫が散らばっている。
「はい、御主人様」
「痛くないのか」
「少し痛いですが、平気です」
「馬鹿、早く言え」
「え? ええっ!?」
今のこの状態が幸せすぎて、そんなことに頭が回らなかったとでも言うようにまた少女は笑った。呆れたようにもう一度溜息を吐き、サラバントは両腕を少女の腰に回し、ひらりと抱き上げた。そのまま街中に向かって歩き出す。
「ま、御主人様? あの、何故…」
「旅立つ前に、お前の履物が必要だ。こう見えても路銀には困ってない、好きなのを選べ」
「御主人様にそのようなこと、していただくわけには…! あ、あの、その前に、降ろしていただけませんか…?」
「こんな道歩いてたらすぐに足を切るぞ。黙って担がれてろ」
「で、ですが、あの…!」
今まで子供のようでもどことなく超然とした雰囲気だった彼女が、年相応に戸惑い慌てている姿が酷く可愛く見えて。
魔法使いは旅の道連れを担いだまま、いつになく軽い足取りで通りを歩いていった。