時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

船上の武骨者

『……しかし、自動人形も肩凝るのか?』
 それはノリキにとって、ごくごく普通の疑問提示だった。表示枠の向こうでなにやら女衆が騒がしいが、特に何も言うことはない。迂闊に一言言えば数百倍になって返ってくることを、ノリキも良く解っている。解っているなら、言わなくていい。
 それでも、通神文字に並ぶある人物の名前に対し、僅かに眉根が寄ってしまうのも致し方無い。
 疑問を提示した際、彼女の事が思い浮かばなかったと言えば、嘘になるからだ。
 北条・氏直。ノリキと同じ運命を生まれる前から背負い、その運命に選ばれ、掬い上げられた娘。その端からこぼれ落ちたノリキと対象的に。
 線の細い少女だった、と思い出す。
 生まれつき体が弱くて、季節の変わり目の度に体調を崩した。思い出すのは、広い部屋の布団の上に、沈み込むように眠っている、褐色の肌を持つ小さな体。
 そのまま、白い布団の中に溶けて消えてしまうのではないかと思うぐらい、その様は――儚かった、と今の語彙力ならば形容できる。
 過去の自分は、そこまで意識していたわけでもなく、ただ、今にも消えそうに見える彼女を見ているのが、ほんの少し怖かったのだと思う。互いの親、立ち位置の事情もあり、公式の場以外で顔を合わせる事もそうなかった。元来、口の重たい己にとって、言葉すらろくに交わした記憶もない。
 ――それなのに、何故彼女は、あんなにも。
 ノリキは嘆息する。解っていることを、口に出す必要はない。勿論、通神文字の上にでも。
 相模は落ち着いてきた、と彼女は言った。それは事実だろう。北条は良く纏まっている、氏直の手腕を以て。
 だがここで、十三年も前に決着したことを蒸し返す存在が戻ってくれば。なおかつ、その男が、今まさに世界全てに喧嘩を売っている最中の武蔵に乗っているならば。
 いらぬ火種にしかならない。漸く纏め上がった北条が瓦解する危険も増す。
 思い出すのは布団の上。せき込みながら、微笑んで。小さな体をさらに丸めて、自分を嬉しそうに迎えた少女。
 風邪がうつりますよ、と窘めながら、それでも己の気まぐれな訪問を、本当に嬉しそうに――
 ぎり、と己の奥歯を噛みしめる音で、ノリキはふと我に返った。通神上では、イトケンとネンジが暴走する女衆を窘めていて、口に出さずとも感謝をする。どちらも梅組の中では良識のある、頼もしい友人だ。たとえその実体が、ガス体のインキュバスとゲル状のスライムであっても。
 律儀なノリキは、重要な言葉が飛んでくるかもしれない表示枠を閉じることも出来ず、黙って流れていくログを読み返す。
 ――彼女の事が、気になる、か。
 そうなのだろう、と思う。
 彼女の現在の強さは良く分かる。ネシンバラの報告や、その他にも色々な情報を又聞くだけで、自動人形の体を得た彼女が、どれだけの力を持っているのか。恐らく、もしも彼女と戦うようなことになったら、自分にはとても勝ち目は無いのだろうことも解る。
 それでも、だ。
 肩凝りは万病の元だと、何処かで聞いたし。同じような荷物を抱えた浅間や喜美が、その苦労を語っていたし。幼い頃はあんな代物、当然彼女も持っていなかったのだし。
 大丈夫なのかと、案じることはしない。それは今の彼女に対する侮辱だろう。
 ただ、無理をするなと思ってしまう。彼女は、我慢をすることが得意だったのだ、昔から。
 体調を崩して心細いときも、気を使って側女の一人も呼べず。
 自分が訪ねていけば、本当に、嬉しそうに、笑って。
 ごつ、と自分の拳を軽く己のこめかみに当てて、思考を止めた。埒もないことを考えている。解っているのに、言う気も無いのに。
 ――もう自分は、彼女の傍に行くことは、出来ないのだから。
 嘆息と共に頭を降って、ノリキは表示枠だけはそのままに、仕事に戻る事にした。