時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

サニイサイド

「なぁ、相原」
「ん?」
万年床の布団の上、二人で座って壁に背を預けている。二人とも、穿いているのは下だけで、上半身は肌を晒している。別にその手のことを致してしまった訳ではなく、単に安普請の冷房なしアパートでは熱帯夜を過ごすのにこれしか方法が無いせいである。
声をかけられた相原は、菊池の横顔をちらりと見て、得心したように軽く頷くと、畳の上に避難させておいた安物の灰皿をひょいと差し出した。菊池の銜えている煙草の灰が今にも落ちそうだったのだ。
「サンキュ。って違う」
「え? じゃあ何だ?」
きちんと灰を落としてから菊池はかぶりを振る。相原もついでに灰を落とし、元の場所に灰皿を戻す。その仕草を見ながら、菊池はあーとかうーとか意味の無い呻き声をあげている。
「何だよ。遠慮しなくていいぞ?」
苦笑しながら相原は問う。その顔を見て、菊池はああ、まただと思った。
急に変わったのかもしれないし、今まで自分が気付かなかっただけかもしれないけれど。中学の頃からの親友である彼の笑顔が、時折酷く甘ったるく見え始めて、菊池はかなり戸惑っていた。
不快なわけではない。自分でも不思議だしどうかと思うのだが、相原の「特別」な存在であるという事実が素直に嬉しいと感じている。それほど彼は自分にとって大切な存在だったから。
しかしそれでも、気恥ずかしい。もう20も半ばを過ぎて何を言っていると思いつつも、照れる。
「お前さ」
「ああ」
「何で、俺なの?」
「…………………」
どうやらその言葉は中々の爆弾だったらしく、菊池は相原の「心底驚いて目を見開いた顔」というのを生まれて初めて見た。そのまま相原は顎に手を当て、眉間に皺を寄せて考え込んでしまい、菊池の方が慌てた。
「あ、ごめん。変なこと聞いた」
「いや…それは良いんだけど」
ふ、と視線を上げて、相原はしっかりと菊池の方を向いて。
「…何でだろう」
「はぁ!!?」
声がひっくり返った。あまりといえばあんまりな答えに、菊池は思わず叫んでしまい煙草を取り落としかけた。慌ててそれを灰皿で拾ってやりながら、相原も言葉を繋げた。
「いや、すまん。…その…説明しづらいんだが…」
「うん」
「お前が良いって言うか、お前じゃなきゃ駄目だって言うか。俺にとっては、昔からお前の傍が一番居心地が良いし、気楽だし、楽しいし。…ああ、つまりだな」
本当に説明し辛いことだったらしく、言葉を捜しあぐねて必死に紡いでいる。いつも菊池より数段流暢に会話が出来る相原にしてはかなり珍しい光景で、菊池はかなり恥ずかしい事を言われているにも関わらずついマジマジと見てしまった。
「お前は特別だって事だ」
そう結んで、相原は最後に大きく煙草を一吸いしてからそれを灰皿に片付けた。何とも複雑さが浮かんだ、口の端を歪めた顔をしている。やはり始めて見る顔だったが、菊池は何となく照れているのだ、と気付いた。
「ふ、あはは」
「菊池?」
気付いて―――笑ってしまった。訝しげな相手の声にも、止める事ができない。
菊池が、子供の頃から冷静沈着だった相原のこんな顔が見られて嬉しいのも、特別だからという理由なのだから。
「参ったな。…俺と一緒じゃないか」
困ったように笑いながら、ジーンズに包まれた両膝を抱える菊池の姿をまじまじと見て。
相原はやおら、布団の上で膝立ちになっていざり寄り。
「ぅ、ぉわ!?」
がば、と菊池に抱きつき―――菊池は当然予想だにしなかった行動に反応できず―――薄っぺらい布団の上にどすん、と二人揃って倒れた。
「菊池。…お前な。どうしてくれる」
「ど、どうしてって、」
何を、と続けようとして気がついた。触れ合った身体が、随分と、熱い。それは決して熱帯夜のせいだけではないと、否応無く気づいてしまうほどに。
流石にこのように求められると正直戸惑う。少なくとも自分の中にはそのような要望は無いのだから―――まあ、それすら許容してしまっているのだからやはり一緒なのかもしれないが。
そうやって菊池は全く反応できないのに、いやだからこそ、相原は親友の身体を強く抱きしめて微笑んだ。
「ああ、畜生。抵抗しろよ、調子に乗るぞ」
思いを拒まれない事がこんなに心地良いのかと、酷く幸せそうに言われて。
「…しないよ」
出来るわけ無い、と言外に呟いて、そっと相手の背中に手を回す。
躊躇は一瞬、やはりとても幸せそうに降りてくる相手の唇を待ちながら。