時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

stationary

空港のゲートをくぐってこちらに向かってきた姿は、衣服がくたびれていたり、無精髭が生えていたりしていたけれど、それでも久しぶりに見れた姿だった。どうやら人ごみの中で自分を探しているようだったので、英治は思い切り両手を振って彼の名前を呼んだ。
「相原!!」
かなり混んでざわつきのあるロビーだったけれど、声はちゃんと聞こえたらしい。振り向いた彼は、いつになく嬉しそうに顔を綻ばせ、同じく手を振って答えた。
「菊池!」
どちらからともなく駆け寄り、しっかりと握手する。会うのは相原が大学を卒業して以来初めてのことになる。日に焼けて逞しくなったように見える相原の体が、少しまぶしくて羨ましくなる。
「久しぶりだな」
「ああ、本当に」
顔を合わせたらもっと言いたいことが沢山あったはずなのだが、喉が詰まって何も言えなくなった。それなりに葉書のやりとりはしていたけれど―――主に相原から不規則に近況報告を送られてきて、英治はそれに返すという感じだったけれど―――改めて顔を合わせると、とても嬉しくてそれ以上に照れ臭かった。
「他のやつらは?」
相原も同じ気持ちらしく、話を逸らすように辺りを見回した。英治は軽く肩を竦めて答える。
「連絡のついた奴は、昼間は無理だって軒並み駄目だったんだ。皆悔しがってたぞ、その代わり今日の夜は皆『玉すだれ』に集まる予定だから」
「そうか。却って悪かったな、急に戻ってきちまって。お前も忙しかったんじゃないのか?」
今は平日の昼日中、仲間内の殆どは仕事に精出す時間帯だ。勿論英治もいつも通り教鞭を取らなければならなかったのだが、先日相原から唐突に入った電話―――「今週末休みが取れたから日本に帰ろうと思う」を聞かされて、いても立ってもいられずに、無理矢理他教員にかけあって金曜日の半休をもぎ取ったのである。今日は朝からどことなく浮かれた様子の英治に、教え子達が誰と会うんだデートじゃないか、と邪推していたのはまた別の話。
どうしても、迎えに行きたかった。久しぶりに、一番に会って声を聞きたかった。それは相原と一番仲が良いのは自分だという子供っぽい見栄だったのかもしれないけれど、それ以上に会いたかったのも事実で。
「良いんだよ、俺不良教師だから」
勿論そんなこと面と向かっていうのは恥ずかしくて、冗談混じりにそう言うことしか出来なかったけれど。
「悪魔教師だろ」
そう返してくれる相原の顔はやはり笑顔だったので、安心して英治は荷物を自然に一つ持ち、駐車場に向かって歩き始めた。




その夜、誇張なしに「玉すだれ」には中学時代の主だった仲間達がほぼ全員集まった。特別に部屋を貸してもらい、日比野が料理を持ち込み、皆で乾杯し暫し歓談した。年齢としてはもう既に大人と言える年なのに、顔を合わせれば何時の間にか時間が中学の時まで戻っていた。
あの時はこうだった、今はこうしてる、と話は尽きる事がなかったが、流石に終電の時間が厳しいものから一人減り二人減り、いつしかお開きになった。
ほろ酔い気分で店を出て、英治は相原と並んで夜道をぶらぶらと歩いた。
「あれ、そういえば相原」
「ん?」
「お前、今日泊まる所どうするんだ?」
「それ普通飲む前に聞かないか?」
「いや、何となくだけど、俺の家に泊まるのかなと思ってた」
横に並んだ自分より若干高い相原の顔を見ながら問うてみる。そう言えば中学の時は俺の方が背が高かったのにな、とちょっと悔しく思う。対する相原は酒のせいか、ほんの少しだけ顔を上気させているようだった。
「俺も何となく、お前泊めてくれるかなと思ってた」
やがて悪戯っぽい笑みとともにそう言われて、英治は吹き出した。それにつられて相原も声をあげて笑った。近所迷惑だと思いつつも、止めることが出来なかった。
「俺の部屋汚いぞ」
「予測はついてる」
「もてなしとか出来ないからな」
「素泊まりさせて貰えば充分だ」
「何かコンビニで買ってこう。確か冷蔵庫空だ」
「土産代わりにするよ。俺払うぜ」
笑い混じりに交わす言葉が、楽しくて仕方なかった。





別に満足しなかったわけではないのに、アルコールの入った頭ではついつい第二陣の酒を買ってしまうわけで。
同じく仕入れてきた適当なつまみを肴に、英治の狭い安普請のアパートで二人で飲み続けることと相成った。
「何か変な感じだよなぁ」
「何がだ?」
何本目かのビールを開けた時、不意に英治がのたまった。首を傾げた相原にうん、とひとつ頷いてから、
「中学の時はさ。お前と一緒にこうやって酒飲むなんて、想像できなかったのに」
と続けた。相原は成る程と頷いて笑い、
「長い付き合いだしな」
とだけ述べた。
「もう何年だっけ」
「…10、年かな」
「うわ、もうそんなになるんだ」
指折り数え、改めてその長さを感じて驚く。それと同時に、凄く誇らしかった。この絆がどれだけ大切な物か改めて感じ、菊池は身を乗り出して自分の缶を相原の持っていた缶に軽くぶつけた。
「? …如何した?」
「乾杯。改めて、これからも宜しくってことで」
照れ臭いのには変わらなかったけれど、酒の力を借りたおかげか素直に言えた。
相原は随分と驚いたようで、目を大きく見開いて固まっていた。普段滅多に感情を露にする事が無い彼がここまで動揺したのを見るのは初めてかもしれない。これもアルコールの力かと英治の方が吃驚しているうちに相手は体勢を立て直し、
「…ああ。これからも宜しく」
と、本当に嬉しそうに、笑った。





やがて、買ってきた酒が殆ど尽きる頃、英治は壁に凭れて胡座をかいたまま船を漕ぎ出していた。はしゃいで少々限界酒量を超えてしまったらしい。頭がぼんやりとして妙に気分が良い。
「菊池。寝るんなら布団で寝ろよ」
「んー…」
相原の促しに、煮蕩けた声とゆるゆると左右への首振りで否と唱える。まだ相原と喋りたい事が沢山あるのに、と。
やれやれ、と困ったような溜息が聞こえて、相原の気配が近くに来る。
「菊池、起きろって」
「んぅう」
「頼むから、起きてくれ」
「………」
切羽詰ったような相原の声がおかしくて、意識の中だけで笑った。布団をしき直すのも面倒臭いし、このまま眠ってしまおうか。ああでも、相原の分の布団はちゃんと用意しないと―――
「くそ。………起きるなよ」
どんどん意識が拡散していく中、今までと全く逆の願いを言われてん?と思った瞬間。
唇に、かさついているのに柔らかいものが触れて。
吃驚して目を開けてしまった。





もの凄く近くで、相原と目が合ってしまった。
自分が今何をされたのかという事を吟味し始める前に、素早く相原は離れてしまう。そしてあぁ、と後悔のような、安心したような、遣る瀬無いような、酷く複雑な溜息を一つ吐いた。
「……………相原。今、お前、」
その後が続けられなくてやはり黙り込んでしまう。相原は目を逸らしたまま一言すまん、と謝った。
「いやすまんって言われても」
「ああ―――、我ながら自分の堪え性の無さに呆れ果ててる」
「それって…」
「今までずっと離れる事が出来てたから、油断してた。どうも本当に、俺はお前じゃないと駄目らしい」
いっそ開き直ろうと決めたのか、相原は口早に理由を述べる。そこまで言われて漸く、未だ回転が本調子に戻らない菊池の頭でも納得がいった。
「……いつから、そんな風に思ってた?」
驚きを隠せないまま、淡々と問うた。相原は死刑宣告をされっぱなしでいるような暗い顔で、それでも素直に答える。
「自覚は、無かったけど。多分中1の頃から」
「マジで!?」
これには本気で驚いた。そんな素振りを感じた事など一度も無かった。言いようのない悔しさが、じんわりと菊池の胸に浮かぶ。
そう、悔しかったのだ。怒りや軽蔑でなく、ただ単に―――一番側にいた筈なのにどうして気付かなかったのだろう、という後悔だ。しかし相原はその表情の動きをそうとは取らなかったらしく、やや慌てて言葉を紡いだ。
「勿論その頃は、考えても見なかった。自覚したのは―――あれだ。お前が拉致された時」
「え? ああ―――」
そう言われて思い出した。あれは確か高校生の頃、瀬川老人が亡くなった時。彼の息子を探しているうちに腐った会社組織の争いに巻き込まれた。他の皆には随分と心配をかけてしまったし、自分も流石に怖かったが恐慌を来たすほどでも無かった。
『もし万が一のことがあったら、書類は俺が持っているって言うんだ』
前もって相原にそう言われていたので、どこかで安心していた。相原ならば何とかしてくれると―――
「お前が、いなくなった時。体が半分、ごっそり持っていかれたような気がした」
「――――」
突然言われた熱烈な言葉に、思考が停止した。
「どんなに待っても、帰ってこなくて。頭のどこかで必ず最悪の事を考えてる自分が嫌で仕方無かった」
その時の恐怖を思い出してしまったのか、相原は口元を手で覆い、俯いて僅かに震えているようだった。
「絶対に失いたくないと思った時に、気がついた。お前のことをそういう目で見てるって―――」
そこまで喋って、相原はもう一度すまん、と謝った。何故謝られるのか英治には良く解らなかった。
「どうして――謝るんだ?」
「どうしてって…お前、怒らないのか? ずっとお前を騙してて…気持ち悪いとか、思わないのか?」
自分が何気なくかけた言葉は、相原にとってとんでもない威力の爆弾だったらしい。いつになく声を上擦らせて矢継ぎ早に自分に問うてくる姿は、やはり始めて見るもので英治は笑ってしまった。それこそ10年以上付き合っていて、こんな格好の相原は見たことがない。それが凄く――嬉しかった。
「そりゃあ吃驚したけど…何ていうか。自分でも不思議だけど、怒ってないし、気持ち悪いとも思ってない」
素直な気持ちだった。自分でも、相原のいうような反応が本当は正しいんだと思うし、自分にそういう性癖が無い事も知っている。他の人間――例えば他の男の仲間達ともしこういうことをしたらと考えると、とても想像力が追いつかない。
「こう言うと、お前の方が怒るかもしれないけど。俺はお前みたいには、お前のことを見れないと思う」
それでも。
「だけど―――お前だったら別にいいやって、思えるんだ」
触れられても、告白をされても、ちっとも嫌ではなかった。
素直に感情を吐露してくれた相手にとっては、失礼この上ない返事かもしれない。
それでも―――、そう思えるぐらいに大切な相手だということを、伝えたかった。
相原は、一瞬泣きそうに顔を歪めて、――体当たりをするように英治を抱き締めた。
男らしい体臭と汗と煙草の臭い。やっぱり、ちっとも嫌じゃなかった。
手持ち無沙汰な自分の腕を如何しようかとさ迷わせ、結局相手の背中に回すと、ぐるりと視界が回転した。
「え―――」
気がついたら、天井が見えて。
未だ泣きそうなままの、相原の顔が見えた。
すぐにそれは近づいてきて、視認する事が出来なくなったけど。
ちゅ、と小さく音を立てて、唇を舐められた。うわ、と思って僅かに口を開くと、その舌が中に入ってきた。
「ん、ぅ、」
「………っ」
酒気を帯びた吐息が絡まる。お互いの体が酷く熱く感じるが、決して嫌ではなかった。
「ふ、ぁ……やばい」
「どう、した?」
漸く唇が離れた時に、思わず呟くと、息の上がった声で不安げに囁かれた。声が少し掠れて聞こえて、何故だか心臓がぞくりと震えた。
「やっぱ、平気だ」
男としての矜持を傷つけられる事をこれからされようとしているのに―――全く怒りや不安が湧かない。
相原だから大丈夫なんだ、と英治は極自然に思った。
何故なら、この世で最も信頼の措ける相手は、彼以外にいないのだから。
「菊池…っ、覚悟決めろ」
「覚、悟?」
「変わっちまう、覚悟」
「何、か…変わる、のか?」
自分の思いを果たそうとしているのに凄く苦しそうな相原の顔が見えて、そこで初めて英治はほんの少しだけ不安になった。やはり彼は、もう自分の「親友」ではいられなくなってしまうのだろうか。
「俺は変わらない。お前への気持ちも意識も、全部。でも、お前は―――」
きっぱり言い切られた言葉に微笑んだからか、続けようとした相原の言葉が止まる。その隙に、英治もはっきりと言いたいことを伝えた。
「だったら、いいや。俺も変わらないよ…多分、だけど」
笑ってそう言うと、返事はキスで返ってきた。





それから後の事は、半分夢の中にいるようでよく覚えていない。
ただ凄く熱かったことと、凄く痛かったことと、やっぱり相原が泣きそうな顔をしていたことだけは覚えている。
それがなんだか酷く申し訳なくて、一度だけ自分からキスをしたことも。





つけっぱなしだった蛍光灯と、窓から差し込む光で目が覚めた。
「ぅ…ぁ―――…」
体がだるすぎて、指一本動かすのも面倒臭い。よろよろと身を起こし電気だけでも消そうとするが、紐まで手が伸ばせなくてあっさり諦めた。
「きつ…」
学生の頃どんなにハードな部活でもここまで疲れたことは無かった。年かな、と思わず呟いてしまう。
ふと隣を見ると、相原が薄い毛布に包まって寝ていた。自分にはきちんと布団がかけられている。出した記憶が全く無いので、相原が探して敷いてくれたのだろう。
迷惑をかけたと思うのと、やっぱり相原らしいと思って笑ってしまった。昨日から飛行機に乗りっぱなしだったので自分よりも疲れているのだろう、軽く笑い声を立てても、全く起きる気配が無い。
「…大丈夫だったぞ、相原ー」
痛みを堪えて布団に座ったまま、寝癖のついた相手の頭をそっと叩いてやる。ぅーむ、と唸り声が聞こえてこっそりまた笑った。
「何にも、変わらなかったぜ」
そう、何も変わらない。相原はかけがえのない親友だし、やっぱり自分はひとみが好きで。
それでも、この思いが別格である事もまた間違いなくて。
それがなんだか嬉しくて、今日はこれから如何しようかと英治はつらつらと考える。
今日は土曜日、仕事は休みだ。昼までのんびりして、日比野の店に飯を食いに行こう。安永と久美子の新居に襲撃をかけるのもいいかもしれない。
一緒にやりたいことは、まだまだ数え切れないほどあるのだから。
英治は満足げに笑って、窓の外の青空を見上げた。