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ひとみの高校の友人であるひかるに散々振り回されつつ、年末の第九コンサートを終えそれなりに充実した冬休みを送った相原と菊地は、早速始まった部活を終えてのんびりと学校からの帰路についていた。
「これからどうする?」
「フィレンツェ行こうぜ。腹減った」
やはり中学時代からの友達である日比野がアルバイトをしているフランス料理屋の名前を菊地が挙げ、そうだなと相原が頷いて方向を変え―――
回した踵がぎしり、と止まった。
「どうした? ―――あ」
固まった相原の視線を追った菊地も、思わず声を上げる。手近な街路樹の側に立って、自分達に向かってひらひらと手を振っている美少女―――惑う方無き、かのひかるがいた。
「久しぶりね、二人とも」
ショートカットが良く似合う、スタイルもかなり良い、有名女学院の制服を着ておまけに校則よりややスカートを短く改造しているひかるはかなり目立つ。まだあたりにぱらぱらといるN高の生徒達が注目する中、悠々とひかるは二人に近づいてきた。
「今度は何の用だ」
不機嫌さをあからさまに出して、相原が問う。彼が理不尽な大人相手なら兎も角、同年代のしかも女子にここまで冷たい態度を取るのは珍しい。元からあまり女子とは話さないためN高でもクールで素敵、との評価を貰う相原だが、それは単に親しい女子以外と話すのは慣れていなくて緊張するだけなのだ。その辺のことを知っている菊地は相原のそんな態度に驚きつつ、まぁ仕方ないかと思っていた。何せ昨年末の事件は完全にひかるに振り回されてしまったから。
「何かあったのか?」
しかし菊地は相原ほど腹を立ててはいない。元々女の子に弱いせいもあるが、ひかるは確かに悪巧みをして自分達をも乗せて巻き込むが、それが決して嫌味ではないので却って好感を持てる。最もその中には、ひとみに「あの子本当は良い子なのよ」と何回も言われたせいもあるかもしれないが。
幾分柔らかい菊地の態度に、相原は彼に気付かれない程度に小さく溜息を吐く。聡いひかるはそれに気付き、自分の中の仮定を確信に変えた。そしてにっこりと笑って、菊地に告げる。
「菊地くん、相原くんをちょっと借りて良い? すぐに返すから」
「え?」
「どういうつもりだ」
きょとんとした菊地の隣から、相原が一歩前に出る。僅かに身体をずらして、半分だけ菊地を庇うような動きをした相原に、ひかるはやはり笑顔で告げた。
「大事な話があるの。お時間頂ける?」
余裕の表情で小首を傾げるひかるに対し、相原は眉間に皺を寄せたまましばし逡巡し―――くるりと菊地の方を振り向いた。
「悪い、菊地。先にフィレンツェ行っててくれ。後から俺も行くから」
「え、でも…」
「ありがと、相原くん。ごめんね菊地くん」
「俺も行っちゃ駄目なのか?」
仲間外れにされたような気がして、僅かに菊地が頬を膨らます。その仕草に相原は困ったように目を逸らし、ひかるは本当に楽しそうに笑い声をあげた。
「もう、菊地くんたら鈍いんだから。そんなんじゃいつまでたってもひとみは振り向いてくれないわよ」
「そんなの知らねぇよ」
あからさまに顔を赤らめて、ぷいっと菊地は横を向く。こういう時に素直になれないからあの二人はいつまで経っても友達同士なのだが、勿論それを告げるつもりはない。ひかるはその方が面白いから、相原は―――もっと深刻な事情があるから。
「だから、察してってば。お願いっ」
「え―――あっ」
「おい?」
可愛らしく両手を胸の上で合わされて、はたと菊地は気付かされた。相原は僅かに焦ったように声を上擦らせるが、それ以上の静止が出来ない。
「ご、ごめん。じゃあ俺先に行ってるな」
「菊地っ、」
「頑張れよ相原!」
それだけ言って、慌てて菊地は駆け出した。実は前々からあの二人は、ひょっとしたら良い雰囲気になるのではないかと思っていたのだ。
ずっとひとみに焦がれている自分と違って、相原には妹同然のルミ以外そんな話は全然出てこない。いつも冷静で綿密な計画を立てることの出来る相原にとって、ひかるは良いライバルだ。そんな二人がお互いを意識しても当然ではないか、と思った。邪魔をするのは忍びなく、いまいち意味の通らない台詞を親友に投げて菊地は走っていった。
その後姿を呆然と見送った相原と、くすくすと笑いながら見送ったひかる。
「…本当、お人よしね菊池くんって」
「ああ、全くだ」
呆れ混じりのひかるの言葉に、珍しく素直に相原は頷いた。










「歩きながら話しましょうか」
そう言って先導して歩き出したひかるに続き、相原は極力表情を動かさず続く。
「本当に大した用事じゃないのよ―――ちょっと相原くんに手伝って欲しいことがあるから」
「また何かやらかすつもりか? 頼むから俺達を巻き込まないでくれ」
「俺達? あんた達曰く中学からの『仲間』ってこと?」
「ああそうだ」
「嘘ね」
きっぱりと、一刀両断された言葉に、流石の相原も鼻白んだ。ひかるはくるりと振り向いて、心底楽しそうに笑った―――その瞳の奥に意地悪さを滲まして。
「あんたが巻き込みたくないのは、自分と菊池くんだけでしょ?」
言われた言葉に、相原は動けなくなった。
「…何でそうなる。誰が巻き込まれたって、俺は」
「ああそうね、正確には違うわね。オトモダチの誰かが巻き込まれたら、菊池くんが積極的に動いちゃうから嫌なんでしょ?」
「―――――」
容赦のないひかるの言葉は、確実に相原の臓腑を抉った。き、と歯を噛み締め、何かを堪えるように俯いてしまう。かの相原からそれだけの反応を引き出したことに満足して、ひかるは得意げに言葉を紡いだ。
「解らないとでも思ってた? 少なくともわたしから見たら、ばればれよあんた」
「………そうか」
もう逃げられないと思ったのか、溜息と共に相原は了承の言葉を呟いた。ひかるの視線がやや蔑視に変わる。
「勘違いしないでよね。別に男同士が駄目だとか、そんな野暮なこと言うつもりはないの。只少なくとも、菊池くんが受け入れる可能性は殆ど無いと思うの。常識以前にあいつ、ひとみにぞっこんだから」
相原の応えはない。意気消沈してしまったのか、俯いたまま動かない。ひかるは不機嫌そうに言葉を更に募った。
「だから取引よ。菊池くんにばらされたく無かったら、手伝って」
「断る」
「え…」
思いもよらぬほどきっぱりと拒否が返ってきて、ひかるは面食らう。いつの間にか、目の前に立っている青年は、まっすぐな瞳でひかるを見据えていた。そこに明確な怒りを感じて、思わず息を呑んだ。
「言いたいなら、言えばいい。俺は嘘を突き通す」
「な…何言ってるの? どういうつもり?」
「とっくの昔に決めてたことだ。もしこの気持ちがあいつにばれたとしても、俺は偽る。全力で隠し通す。あいつは誰より俺の言葉を一番に信じてくれる。だから無駄だ」
―――それは、なんて愚かな答えだっただろう。
飼い殺すことなど出来ない苛烈な感情を、一生隠し続けるつもりなのだ、彼は。
呆然として、やがてじわじわとひかるの表情に怒りが沸いてきた。
「あんた、馬鹿じゃないの?」
「そうかもな」
「隠せるとでも思ってるの?」
「隠さなくちゃいけないんだ」
「…そうまでして、何になるっていうの!? 苦しいだけじゃない!!」
「勘違いするな、ひかる」
訳の解らない苛立ちが、ひかるの喉を突き上げて叫ばせた。対する相原は既にいつもの自分を取り戻し、冷静に言葉を紡いだ。―――それでもその瞳の中に、どうしようもない思慕を込めて。
「本当に苦しいのは、嫌われることじゃない。これ以上傍にいられなくなることだ」
初めて出会った時から、彼だけは他の人間とは違った。
あからさまに示される好意が心地良くて、ずっと傍にいたいと思った。
「あいつと居る時だけ、俺は背伸びもしなくていいし、感情を殺さなくてもいい。あいつの傍でだけ俺は『相原徹』でいられるんだ」
彼は何も飾らないから。無理に鎧を作ろうとする自分が馬鹿馬鹿しくなってしまうから。
「だから俺は、あいつの『親友』で在り続けなきゃいけないんだ」
きっとそれ以外の存在は彼にとって必要ないだろうから。
「…………。…あんた、馬鹿よ。本当に」
打ちのめされたように沈黙し、漸くひかるは呟いた。
「あんたとわたし、似てると思ってた」
「ああ。それは俺も思った」
「嘘。全然似てない。そんな馬鹿なことわたしは絶対しない」
叩きつけられた感情は軽蔑。勿論そんなことで、相原の表情は揺るがない。
「仕方ないんだ。お前より先に、俺はあいつに出会っちまったから」
きっと出会わなければ、出会えなければ―――自分はひかるのように、誰も信じず他人を利用することを当たり前にしていただろう。
彼に出会ったから。
出会ってしまったから。
出会えた、から。
「……帰るわ。馬鹿みたい」
「ああ。じゃあな」
何の感慨も混ぜずに別れの言葉を交わし。
どこか泣きそうな瞳を必死に隠して、ひかるは足早に去っていった。
相原はやはり無表情のまま、踵を返して歩き出す。
―――フィレンツェで菊池が待ってる。待ちきれなくて先に食べてるかもな。
ふと、その表情が緩む。
―――きっとひかるとのことを勘ぐられるだろうな。まぁ、その辺は簡単に誤魔化せるから心配ないか―――
これから会いに行く人が、とても愛しいというように。
勿論、程なく辿り着いたレストランの前で、相原は自然にその表情を消し。
窓際に座っていた彼が気づいて手を振るのに合わせて、「親友」へ向ける笑顔を作って手を上げてから、ドアベルを鳴らした。