時計+人形

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なかないこどもたち

夕暮れから降り出した雪は中々止もうとせず、アスファルトの上に白い化粧を盛っていた。
七原はその褥を駆け足で踏み荒らしながら家路を急ぐ。唇から零れるのは、街中どこでもかかっているのでつい覚えてしまったクリスマスソング。
家賃の安さだけが自慢のアパートメントに入り、階段を二段飛ばしで駆け上がる。家の玄関まで辿りつき、ドアにいつも無造作に挟んだふりをしている広告紙を確認してからチャイムを押す。
『…Who are you?』
「I'm "Wild seven"」
インターフォンから聞こえてきた無愛想な声におどけた調子で答えると、僅かに笑い混じりの吐息が聞こえ、ついでドアチェーンが外れる音がした。ドアが僅かに開き、見慣れた髭面の男が皮肉げに笑って出迎えてくれた。
「お帰り。早かったな」
「ただいま。それなりに稼げたから今日はひけてきた。…って言うか、もう夜だから客も減ってきたしな」
「成る程。何はともあれご苦労さん」
川田が僅かに開けてくれたドアと身体の隙間に滑り込み靴を脱ぐ。外よりは温かい室内の空気ともう染み付いている煙草の匂いに、七原は漸く安堵の息を吐いた。
狭いリビングに入って驚いた。テーブルの上に、安物だけれどもチキンやらケーキやら、所謂クリスマスのご馳走がずらりと並べられていたからだ。川田は料理もかなり出来る男だが、家の冷蔵庫にこれだけのものを作れる材料は入っていなかったはずだし、どちらかが外出する時はもう一人は必ず残る―――留守中に進入され盗聴等を防ぐ為―――と決めているので、その理由は有り得ない。そして自分達にとって、その他の選択肢もそう多いものではなく。
「典子サン来てたのか?」
「ああ、折角のクリスマスだからってな。元気そうだった」
「一人で帰したのか?」
「トミーが一緒だったさ。ちゃんと帰った電話も貰った」
今典子が腰を落ち着けている修道院に付属の施設で働いている男―――真面目で誠実な上に、どうやら彼女に惚れているらしい―――の名前を出すと、僅かに緊張していた七原の肩もほっと緩んだ。神経質と思われても、自分達にとってこれぐらい警戒するのは当たり前の事だった。何せ自分達の敵は、遠いといっても国一国なのだから。
ギターケースに無造作に詰めてきた、今日の稼ぎをかき集めて仕舞うと、改めて今日集めてきた情報を川田に伝える為口を開こうとして――――盛大に腹が鳴った。あまりのタイミングの良さに川田が噴出し、七原が憮然として顔を赤らめる。
「ははっ、まぁ取り合えずは、聖夜のご相伴に預かろうや」
「…だな。腹減った」
まだ温かい食事から立ち昇る匂いに逆らうことは出来ず、二人は大人しく椅子に腰掛け、無造作に料理に手を伸ばした。





―――彼らが自分達の生まれた国を捨てたのは、もう随分と昔になる。
大切なものも、愛する人も、自分の矜持すらずたずたにされ傷つけられて、逃げることしか出来なかった。否、奪われたものを取り返す為に、逃げ出した。
そして今。僅かではあるが、協力者を得、情報を交換し合い、少しずつあの国を切り崩していっている。世界は既に、閉じられた豊かな国を許そうとはしていない。切り開くことによって血が流れようとも、その後再び生まれ変われることを願って、戦い続ける。
「―――まだ、時間はかかりそうだけどな」
川田の肩越しにパソコンのディスプレイを眺めながら、七原は自嘲混じりの溜息を吐く。
「焦るなよ。一度でも失敗したら、こっちの負けなんだ」
「…解ってるさ」
ぐ、と喉の奥から湧き上がっていく焦燥を押し殺したくて、七原は無造作に川田の首に腕を回す。川田も前を見たまま七原の癖毛の頭を片手で抱き寄せた。
「…怖いか?」
「怖い、よ」
ぽつりと呟かれた言葉に、七原は小さく首を横に振りながら答えた。
「失敗して死ぬのが、怖いんじゃない。それは悔しいけど、怖くはない」
「ああ」
「でも…こうやって時間が経って、俺の中の怒りが、変わってしまうのが、イヤだ。怖い」
時間はとても優しくて残酷だ。あれほど心の内で渦巻いていた怒りも、恨みも、悲しみも、時と共に少しずつ風化していって、僅かな寂寥を残すだけになる。それは人として喜ぶべきことなのかもしれないけれど、七原にとっては逃げでしかなかった。
「今までの自分がいつか全部嘘になりそうで、怖い」
煙草の匂いがきつい首筋に顔を埋めて、辛そうに呟く七原の髪に、川田はそっと口付けた。感触に驚いたらしく、ぱっと七原が顔を上げる。
「嘘になんてならないさ。お前が強くなってるだけだ」
「…そう、かな」
「そうだよ」
絶望に折れるわけでも、絶望を動力にするわけでもない。昇華して、だからこそ戦う力を生み出せるようになれば、それはきっと勝利の第一歩になる。
「だったら、良いな」
「信じろよ」
まだ自嘲が取れない七原の口元を、川田の唇が掠める。じゃれるような口付けは、次第に深くなった。
―――いつ頃からこんな関係に自分達がなったのか、実は良く覚えていない。未だ恐怖を覚える夜の闇を誤魔化す為かもしれないし、触れ合える相手がお互いしかいない孤独を埋めあう為だったかもしれない。
解るのは、その温もりがどうしようもないほど悲しくて、同時に嬉しいということだけで。
口付けあったまま、どちらからともなく立ち上がって寝室へ向かった。





服を脱ぎ捨てる川田の広い背中には、無数の傷がついている。それは比較的新しいものが多いけれど、中には古い―――あの忌々しいプログラムによって負った傷も山ほどある。
背中に筋を張ったように広がっているパラベラム弾の傷跡は、彼の命を奪いかけた証。自然に七原は顔を下げ、その傷口にそっと舌を這わせた。
「っ、どうした? 待ちきれないのか?」
「違うよ、バカ」
揶揄交じりの笑い声に顔を赤くしながらも、行為を止めない。この傷以上に彼の魂が傷つき、未だ血を流しているのを知っているから。自分はもう癒えかけているというのに、彼はきっとまだ絶望の暗闇を彷徨っている。その中にはきっと、勝ち目の無い復讐に自分と典子を巻き込んでしまったことを含めて。
と、不意に川田が振り向き、ぐいっと抱き寄せられた。
「…お前が気にすることじゃないんだぞ?」
ああ、まただ。この人は優し過ぎる。優し過ぎて、自分はまだ護られているだけだ。
「俺にも少しは、格好つけさせろよ」
「十年早いよ、お兄ちゃん」
「一つ違いのクセに…」
戯れのような会話の合間にまた口付けしあい、少しずつ息が煩くなっていく。
無造作に相手の身体に手を伸ばして弄り、愛撫する。まるで競争のようにじゃれ合いながらも、段々と七原の方に余裕が無くなって来た。
「、は、川田っ」
「もう降参かい? お兄ちゃん」
「くそ…」
悪態をつくと宥めるように額にキスされた。子ども扱いに感じ腹が立つのに、心地良く感じるのも事実で。とさりとシーツの上に背中を落とされ、身体に降ってくる指と舌に身を任せた。
「は…ぁ、あー…」
中心を舐られて、だらしない嬌声が口の端から漏れる。短く刈り込んだ川田の頭に手を伸ばしてしがみつくと、笑った気配で口腔が震えた。
「川田…かわ、だ、もっ」
声と太腿が痙攣しているのに気付いたのか、川田はずるりと音を立てて中心を解放した。震えている身体を抱き上げて、座って向かい合う形になりながら、七原の後ろに指を伸ばした。
「ぁ…ッ、く、ぅ…!」
長い指で与えられる圧迫感に、喉が震える。中途半端に放り出された中心が果てを欲しがって熱を持つ。意識が攪拌してきて、必死になって相手の背中に爪を立てた。
「いいか?」
耳朶を食みながら言われる言葉にも余裕が無くなっている事に気付き、夢中で首を縦に振る。少々乱暴に再びベッドの上に倒され、熱い楔を差し込まれた。
「ぅあ…! か、はっ…!」
「く…ぉ、」
衝撃と重量と、どうしても埋まらない隙間を埋めてもらったような安堵。それが酷く心地良くて、後は何も考えずに、頂点に辿りつくまで只管体を跳ね上げていた。






混濁していた意識がゆるゆる整然としていくと、髪を撫でている無骨な指に気付いた。
こういう行為が終わった後、川田は良くこうしている。また甘やかされている自分に腹も立つが、疲れきった体に与えられる柔らかさは抗いがたい心地良さで、また瞼が自然に下がっていく。
川田も僅かに笑みを浮かべてその行為を楽しんでいたが、不意に眉間を険しくし、立ち上がる。素早く下だけ履いて、窓の下をそっと覗き込む。その行動に七原もちゃんと覚醒し、服を身に付け始めた。
「…出るぞ」
短い言葉に、七原は頷く。服を適当に調えると、ベッドの下の武器と纏めてあった金だけ掴んで玄関に向かう。
「典子サンには?」
「後にしよう。時間が惜しい」
自分達の潜伏場所が当局に知れてしまったのだろう。アパートメントの下に、物々しい車が何台か止まっている。恐らく裏口も詰められているだろうから、ボイラー室から通じている下水道から抜け出す。この建物を借りた時の理由の一つだった。
「…悪いな」
廊下の気配を確認している七原の背がぽんと一度だけ叩かれる。行為の後に無理をさせているというだけでなく、様々な葛藤が含まれている事に気付いた七原は、明かりを消した部屋の中、不敵な笑みを見せてやった。
「――舐めるな」
強気な言葉に、川田も笑う。余裕すら伺える、見ると自信が沸いて来る笑顔。
一度ぱちんと手を打ち合い、後は言葉を交わさずに、走り出した。