時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

帯電拒否。

刃の下に心を置いて。
―――それで殺せたら、苦労は無い。




忍務が無ければ非常に穏やかに過ぎ行く一日を満喫した後、日鳥は杖承の塒に寄った。
理由なんてどうでもいい。忍務が無いか聞くのでも、単に暇だからでもいい。…心の奥底の一抹の寂しさを見抜かれなければ。
身一つで田舎に出てきた日鳥にとって、自分の保護者である杖承は家族同然の存在であり、他人には見せられない心細さを見せることが出来る唯一の存在でもあった。
忍として未熟であるとは充分解っているが、自分の心になにより素直な、ある意味忍らしくない忍である彼にとってその歩みを止めないのは苦ではなかった。
いつも通りに街路樹を蹴って飛び上がり、直接マンションの窓に辿りつく。この窓の鍵は杖承が家にいる限り常に開け放たれている。日鳥の為なのか、鍵を壊される危険性を鑑みてなのかは微妙なところだが、勿論日鳥は気にしなかった。
「よーっす、オッサン! …あれ」
軽い声でなされた挨拶は、しかしすぐに訝しげな疑問符に変わった。ここは都内の勤務に便利な所謂ワンルームマンションと言う奴で、中に入れば全部の部屋が見渡せる。そして、見る限り部屋の中に人影は見えない。
「……なんだ、早風呂か」
耳を澄ますと、常人より数段性能の良い聴覚がボイラー音と水音を聞きつけた。向こうも日々の激務の疲れを癒しているのだろうし、挨拶は出てからで構わないだろうと勝手に納得し、我が物顔でソファにごろりと横になると、髪を上げていたサングラスを外してテーブルの上に放り投げた。
ちかり。
「んっ?」
目の端でサングラスとは別口の輝きが一瞬だけ輝き、何事かと視線を向ける。自分のサングラスと、吸殻の積もった灰皿が一つ、その脇に小さな銀色に光るものが置いてある。
指輪、だった。恐らく杖承がいつも、肌身離さず左手の薬指に嵌めている指輪。
日鳥にも、それが結婚指輪であることは良く解っている。しかしそれ以上は知らない。
…例えば、これと対の指輪を持っている人が、どんな人間であるのかと。
ごろりとソファの上に腹ばいになり、その銀の輪をじっと見詰める。
思考より先に運動神経の方が繋がりらしい日鳥は、何も躊躇わずに無造作に手を伸ばした。

―――パチッ。

「!」
慌てて、触れかけた指を離した。一瞬部屋の中で閃いた青白い色の光は、彼にとって見慣れたもの。未だ未熟で、制御が甘いといつも千葉に詰られるもの。腹が立つけど事実なので言い返せない。感情が高ぶると暴走させて電化製品を使い物にならなくしてしまうもの。―――自分の武器、雷の刃。
そう、今の輝きは自分のせいに相違ないのに。
…拒絶をされたような、気がした。命の通わぬ心の戒めに。
「―――ッ、何だってんだよ…!」
まるで、彼に触れられること自身を拒むかのように、指輪はテーブルの上で冷たい光を放っている。無機物相手に大人気ないと頭の片隅で思うものの、感情を抑える事が出来ずに放電しかけたその時。
「あれ、やっぱり来てたの日鳥クン」
「ッ!!!」
がつんっ!
がっちゃ、とバスからのドアを開けて入ってきた杖承の声に、文字通りびょんと日鳥は飛び上がった。同時にローテーブルを上がった足で蹴り上げてしまい、上の銀の輪が飛び上がってちゃりん、と音を立てた。
「あ、駄目だよーイタズラしちゃ」
わしわしとタオルで髪を拭きながら歩いてきた杖承は、正しく子供をあやすような声で日鳥を往なし、自然な動作で指輪を拾い、薬指に嵌めた。
それは彼にとって本当に当たり前の行動であることがその動きから解り、日鳥の心にまた苛立ちに似た何かが沸いた。
「なー、オッサン!」
「うん?」
その指輪のもう一人の持ち主のことを聞こうとして立ち上がり、それでも見下ろしてくる視線が全てを物語っていた。聞かないで欲しいと言っていた。…気づいたら、聞けるわけが無かった。ぐ、と喉まで出掛かっていた言葉を無理やり飲み下す。
…納得できたわけでなく、ただ拒否を提示されたことが恐ろしかった。それ以上、進めなかった。
「どうしたの? …日鳥くんが言いたい事我慢するなんて、珍しいねぇ」
俯いてしまった日鳥をどう思ったのか、そんなことを言いながら、杖承は微笑んで部下の頭を撫でる。まるで、言う事を聞いた子供を褒めるように。…指輪の嵌った、左手で。
「…………」
わしわしと撫でてくる手は温かくて、それなのに指に嵌った金属だけが冷たく感じて、何故だか目の端に涙が浮かんだ。
やはり杖承は気づかないようで―――気づかない振りをしただけかもしれないけれど―――ずっと優しい手で日鳥の頭を撫で続ける。
「…なー、オッサン」
「うん?」
ず、と洟を啜って日鳥は問う。杖承も口の端を持ち上げたままの顔で促す。
「やっぱ俺、もうちょいその…感情コントロールとか、出来た方がいいか?」
「うーん、そうだねぇ。キミが大人になるのは本当頼もしくて楽しみだけど」
撫でる掌は止まらない。
「焦る必要は無いからね。キミはキミらしく在ればいい」
甘やかしてくれる言葉は心地良いけれど、素直に従う気にもなれなくて。
それでもいつの間にか頭に乗っている掌から、金属の冷たさが無くなっていることに気付いて、日鳥は安堵の溜息を吐いた。



――――刃の下の心はとうに、
気付かれているのかもしれないけれど。