時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

紅吸口

『……不死の王。不死の王よ』
「――――…」


頭の中に直接響いてきた声に、アキラはつと目を開けた。
自分は、塔の一室に有る記録の石版に持たれかかり、その両腕に自分のパートナーである少女を抱き締めていた。少女は眠っているかのようだが、顔に赤みが差し、息も荒い。
体調不良を訴えていたのは前からだった。
「ちょっと熱っぽくてふらふらするけど、だいじょぶだよー」
そう言って笑っていたから、自分もそう気にしなかった。
第4ノモスに入った折、彼女は唐突に倒れた。いくら回復や治癒の魔法を与えても、目を覚まさない。先刻回復の泉にも入れたが、エルフも首を傾げていた。何せ彼女は人間の容態など見たことがないのだから。
自然に重ね合っていた左手の下から、意識の声は響いていた。彼女の小さな手の内に握られた、焔の剣の化身である御魂から。
『これ以上は、無理だ。主はこの魔界の瘴気に耐えられぬ。これ以上天に昇れば命に関わる』
「解っている」
自分は、悪魔と合体することで魔人となり、寧ろこの魔界の淀んだ空気を心地良く感じていた。だから失念していたのだ、本来このような世界で人が長く生きられるはずがない。
『―――せめて守護悪魔が居れば、まだ耐えられるのだが』
「…黙れ」
躊躇いがちに聞こえた剣の言葉に、アキラは猛禽の瞳で見下ろすことで答えた。
物理的な肉体よりも精神的な力が勝るこの世界で、ヒトの死は死にならない。身体は消滅せず、意識体となって別の悪魔が入りこみ、肉体を共有することによって力を得ることが出来る。
しかしその為には、仮初であれど、命を落さなければいけない。
―――見たくなかった。子供じみた我侭だと解っていても。
この少女が、傷つき倒れ臥す光景など。
『………我とてそのような枷を主に架せたくはない』
意識が繋がっているせいで、いらない部分まで通じてしまったらしい。ちっとひとつ舌打ちすると、小さな少女の身体を抱え直した。
『不死の王。受肉を共有させよ。少しでも主を楽にさせる為だ』
「そうしてどうなる。コイツも――――俺達と同じ側に来させる気か?」
『それ以外に方法は無い』
剣が想う、主を救う方法は、アキラ―――正確にはアモンの記憶にもあった事象らしい。しかしそれを指摘されて、アキラは嘴の下の眉をぐっと寄せた。
『僅かで良い。肉一片、血の一滴で構わぬ。主に与えてはくれぬか―――』
もう答えずに、アキラは左手を離した。響く静かな声は不意に途切れた。
魔界の瘴気に耐えられぬのは、人のままである身体。それを僅かでも、こちらの世界に馴染ませてやれば良い。受肉の共有とはその事を指しているのだ。
しかし、それを行う事は、アキラにとって耐え難い誘惑だった。
それは即ち、その身を悪魔に近づける事。
それは即ち、彼女を我が身の側に縫い付ける事。
手に入れてしまえと半身が叫ぶ。
それはならぬと半身が叫ぶ。
身体が二つに裂け分かれてしまうように痛い。
「ん…」
ふと、自分の腕の中でみかるが身じろいだ。
上気した頬と、苦しげな吐息が痛々しかった。
息を一つ吐き、アキラは天を仰ぎ。
ぎり、と音を立てて、自分の赤黒い肌の人差し指の先を噛み破った。
じわりと浮かぶ血液の雫は、未だ紅かった。
僅かに震え続ける指を、そっと薄紅色の唇の上に置いた。
流れ落ちる雫がその上に溜まり、紅を刺した様に映えた。
少しでも身動ぎすれば。それを抵抗と感じれば、すぐに離すつもりだった。
それなのに。
「ん…ぅ」
潤んだ薄目を開けた少女は、紅潮した顔のまま、
ぺろり。
と、小さく舌を出して雫を舐めると。
ちゅ。
と、爪の長く伸びた指を躊躇い無く咥え、吸い上げた。
「ッ―――――」
何の技巧も衒いも無い、赤ん坊が乳房に吸いつくような舌の動きだった。
じわりと広がる錆の味が、温もりとなって身体に染み渡っていくのを、みかるは夢現の内に快感に感じているらしい。
目を閉じたまま、その行為を続ける少女に、耐え難い程の歓喜が浮かんできて。
指を引きぬくと、両腕で少女の身体を抱き締め、僅かに紅く濡れた唇を塞いだ。
あまりにも身勝手な悦楽の叫びが、その口から零れそうになったから。
彼女なら受けとめてくれると、やはり身勝手に想った。