時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

フラワー

エルフが陣取る回復の泉の側は、地面が緩んでいるのかやや柔らかかった。
そこに指を刺してぷすぷすと穴を開け、その中に何かを落としこみ、軽く土を被せ。
泉の水をこっそり掌で汲んでかけ――――
「何やってやがる」
びびくん。としゃがみこんだままの小さい肩が揺れた。恐る恐る、という形容が似合ほどにゆっくりと丸い頭が振り向いて―――
「ばれた?」
悪戯が見つかった時のような顔で上目遣いで見上げてくる、自分の相棒である少女の頭に軽く平手を食らわす。
「あうっ」
「人が眼ェ離してる隙に、今度は何やらかしやがった」
苦虫を噛み潰したような顔で、半身を羽毛の鱗で覆われた魔人、アキラが問う。人間界から共にやってきたこの少女が喋らず、自分を巻き込まず、一人で静かに何かをしている時は大抵何某かの厄介ごとを連れてくる証拠だ。命に関わるトラブルを巻き起こしたことは流石にないが、予測が全くつかなくて心臓に悪い。
「とっとと行くぞ、もう回復は終わった」
みかるよりも精神力の消費が激しい為今まで泉に浸かっていたアキラは、自分の胸までしか身長の無い少女の襟首をむんずと掴むと、誇張無しに引き摺って泉の部屋を出て行った。
「あぁれえええぇえ」
部屋の中にみかるの、ヒノエンマの断末魔のような悲鳴を残して。



「アキラくんアキラくんっ、苦しー離してぇー」
ずりずりずり、とスニーカーのゴムが石床を擦っていく音が、ぴたりと漸く止まった。アキラがずっと掴んでいた襟首を離して足を止めたのだ。
「で」
「う?」
「何やってやがった。吐け」
「…あそこだったら、育つかなぁって」
「あ?」
答えの意味が解らず、訝しげなアキラを他所に、みかるは自分の制服のポケットをごそごそと探る。彼女は小さなものなら何でもポケットに入れる癖があり、今までガム飴板チョコ、シャーペン消しゴムメモ帳、爪切り耳掻き、何故か海で拾った貝殻やガラス片まで取り出したことがある。
そして今回、彼女は其処から更に新しい物を取り出した。
アキラの前に差し出された手の上には、胡麻より結構大きな黒い粒々。小学生の頃誰でも見た事があるだろう、朝顔の種だった。
「これ、植えてたの」
「……………………」
絶句する。何故そんなもんを持っているのか、何故朝顔なのか、そして何故植えようと思ったのか、突っ込み所がありすぎて。
「……前々から馬鹿だとは思ってたが…」
元々口が上手くは無いアキラは、溜息と共にそう吐き出す事しか出来なかった。
てっきり頬を膨らませての反撃が来ると思っていたのだが、目の前の少女はきゅっと俯いたまま、差し出した両手を下げようとしない。
「だって、植えたかったんだもん。何か残したかったんだもん」
「――――…」
ぽつんと呟かれた台詞に、アキラは気付かれない程度に小さく息を呑んだ。
どれだけこの魔界の塔を昇って行っても、どれだけアキラがその身を魔に変じさせていっても、彼女はずっと笑顔だった。
笑顔で、「絶対に一緒にもとの世界に帰ろう」と言っていた。
心底から信じている声音だった。その思いに間違いはない。
それでも―――子供なのに、否子供だからこそ、彼女は人の心に酷く聡い。認めたくなくても、納得したくなくても、気付いている。もうすぐ離別が近づいてくることは。
「だってさ、ここって花なんて咲かないでしょ? 今まで見たのって、マンドラゴラとかイグドラシルだけだったし…もっとキレイな花があればいいなぁって。朝顔だったら育てるの簡単だし、種いっぱいできるから増やせるし」
ぱっと少女が顔を上げた。いつもの笑顔で、必死になって。どんな小さな事でも、つながりになれば良いと。
「………だめ、かなぁ?」
ぎゅっと残りの種を握り締めて、またアキラの顔を見上げる。アキラは乱暴に爪の伸びた手で髪をかき上げ、もう一度溜息を吐き。
「…どうせもう植えちまったんだろうが。好きにしろ」
そう言った言葉に、またみかるは笑顔になる。今度は心からの、満面の笑み。
花が咲いたようだ、などという陳腐な誉め言葉が浮かんで、慌てて喉の奥に飲み込んだ。
いつかは散ってしまうのだから、出来る限り自分の側で咲いていて欲しいと思ってしまったから。
―――――もうすぐ、塔の頂上に辿り着く。
太陽の無いこの世界で、とても花が咲くとは思えなかったけれど。
代りに咲いていて欲しいと、二人とも思っていた。