時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Nagel.

眠りを司る魔女・プーシャヤンスタが滅び、タペトの街に活気が戻ってきた。魔界びと達が道を闊歩し、沢山の屋台のような店が軒を連ねている。街角には大道芸人のような者達が並び、簡単な魔法を見せて子供達を喜ばせている。
「ほーれ、次はジオだ!」
ばちばちとかなり貧弱な放電が起き、子供達が歓声を上げる。その活気は一昔前の日本ではわりと良くあった光景で、こんなところは、人間も魔界びともそうそう変わらないのかもしれない。   
「わー! すごいすごい!」
…何故か、そんな子供に混ざって人間の少女が一人。
ひょんなことから閉じられた魔界・ノモスの塔に落とされた、名を橘みかると言う。地べたにしゃがみこみ、ポケットから出したブラウニークッキーをぽりぽり齧りながら、大きな目をきらきらうっとりさせて芸に見入っている。何でここまで馴染んでるんだお前は、という呆れと憤りを込めて、買い物から戻ってきたアキラは深い深い溜息を吐き。
むんず。
「う?」
みかるの首根っこをがっしと引っ掴むと、ずりずりと引きずり出した。
「あれ、アキラくんお帰りー」
「いつまで遊んでやがんだテメェは」
「だってあのおじさんすごいんだよ、さっきねぇブフで石の床に絵描いてたの、しゅわしゅわーって」
「…………」
確かに器用だが、今はそれが問題ではない。
「ちんたらしてる暇はねぇ…行くぞ」
襟首を引っ張りあげてみかるを立たせると、苛立たしげにその細い腕を掴んだ。

ぴくん、と一瞬、少女の身体が強張った。

「―――」
気付いていたことだった。
この身が異形へと変じてから、空気を通して伝わってくる少女の緊張。赤黒く節くれ立ち、爪の鋭く伸びた自分の腕を取ることへの躊躇い。
当たり前だと思っている。自分は最早、ヒトではない存在なのだから。
それなのに。
そのことに別口の苛立ちが沸く自分がいる。
乱暴に髪を掻き毟ると、アキラは無言で踵を返して歩き出す。みかるは慌ててその後を小走りで追った。




幽閉の塔は、上に行く毎に潜む悪魔が強くなる。それはこの世界を作り変えた人間が、選定した結果の悪趣味なヒエラルキーなのだろうか。一つフロアを登っただけで、手強い敵が襲い掛かってくる。
「やあああっ!」
裂帛の気合と共に、みかるが自分の身体に不釣合いな大きさの剣を振り回す。飛び散った黒い血液に、自分が怪我をしたわけでもないのに顔を顰める。そうそう慣れる訳が無いのだ、この感触には。
「下がれ、橘ッ!」
後ろからかかった声に、飛び退って道を開けた。一瞬前まで自分がいたところを、炎が舐めていく。アキラの放った火炎が、完全に異形を滅ぼした。
「ふゃあ…」
煩く瞬いていたエネミーソナーの色が漸くおとなしくなり、みかるは剣を杖代わりにしてその場にすとん、としゃがみこんだ。
「――無事か?」
「う、だいじょぶ」
心配を押し殺した声でアキラが問いかけると、しゃがんだままでも顔をあげてVサインを出してきた。軽く息を吐き、アキラはまた後ろを向く。
「無事なら、とっとと行くぞ。悪いが休んでるヒマはねぇ」
「うん、解ってる。…ねぇ、アキラく―――!」
明るい声の問が、急にひゅっと息を呑むことで止まった。アキラが不審に思って顔だけで後ろを振り向く。
「危ない―――ッ!!」
その瞬間。
自分より一回り小さな身体が、ぶつかるように抱き着いてきた。
久方ぶりに味わう他の人間の体温に気を取られる暇はなかった。
びしゃり、と赤いどろりとした水が、顔に思い切りかかったから。
「――――――ッ」
無様に尻餅をついた自分の上から、少女の身体がずるりと滑り落ちる。制服に包まれた小さな背中が、4本の線で真っ赤に切り裂かれていた。
「ッ!!」
猛禽の瞳で上を見据えると、嫌らしげな笑みを浮かべた凶鳥の群がこちらを睥睨していた。岩壁の隅に隠れて機会を伺っていたのだろう。完全に自分の油断だ。腕の中の少女は、ぐったりとしたまま動かない。
ざわ、とアキラの毛足が浮いた。
凶鳥達は死を与える叫びをあげながら、一斉に飛び掛ってくる。
「―――――――去ね」
ぽつり、とアキラが小さく呟いた。
「―――魔波衝撃破maha-zanma!」
次の叫びが空気を切り裂いた瞬間。
ズバン!! 
と凄まじい衝撃音と共に、凶鳥は全て身体を弾き散らされ、岩壁に叩きつけられていた。
「―――橘っ!!」
一瞬の狂気が過ぎ去った後、彼の瞳に明確な恐怖の感情が滲んだ。
普段は自分で抑えておける感情が、彼女という存在だけで溢れ出す。自分の腕の中にすっぽりと収まってしまう身体を包み込んで抱きしめ、牙の伸びた唇から小さく癒しの魔法を紡ぎだす。
ふわり、と小さい光の粒が痛々しい傷口に集まり、それを塞いでいく。
「んぅ…」
「――橘! 無事か!」
「ふぇ?」
ぺったりとアキラの身体の上に伸びていたみかるが、ふと目を開ける。破れた制服は未だ赤黒く染まっていても、傷は完全に治癒されたようだ。ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせ、きょとんとしている。
「ったく…馬鹿がッ!」
「はぅうっ!?」
「何で庇いやがった」
「えっ、え?」
いきなり耳元で叫ばれて、ぴょんとみかるの身体が飛び跳ねる。びっくりしたまま前を見ると、苛烈な怒りを瞳に点したアキラがいた。
「あれぐらいなら、俺なら当たってもどってことはねぇ…余計な真似してんじゃねぇ!」
八つ当たりだと解っていても、アキラは荒げた声を止めることが出来なかった。
何故悪魔と化した自分など庇ったのかと。
何故触れるのに躊躇っていた相手を助けたのかと。
罵声を立て続けに浴びせられても、みかるはアキラの膝にぺたんと座ったまま動かない。やりすぎたかとアキラが舌打ちしようとした瞬間、
「良かったぁ〜!!」
ばふっと小さな身体が抱き着いてきた。
「なんっ…」
「そうだそうだっ、あたしアキラくんのことかばったんだっけ! アキラくん怪我ないよね、良かった〜!」
どうやら現実を咀嚼するのに今まで時間がかかったらしい。僅かに顔を赤らめる魔人を差し置いて、みかるはごろごろと猫のように首筋に顔をすりつけた。
「よかった…アキラくんが、怪我しないで」
本当に嬉しそうに、笑顔で呟いて。
「……………」
ぺしっ。
「あいた」
「馬鹿か。ヒトの心配より自分の心配をしろ。――俺はもう人間じゃねぇんだからな」
手のひらで叩いてみかるを自分の膝から落とすと、何かを振り切るようにアキラは立ちあがった。
―――もうこれ以上、近しい人は作りたくないのだ。
自分は既にこちら側の住人なのだから。
たったった、どんっ。
「っ」
後ろから、何の躊躇いもない足音が追いかけてきて。体当たりと共に、するりと腕を自分の腕に回された。
「アキラくんだって、怪我したら痛いでしょ? あたしは、怪我してもアキラくんが治してくれるからへーき。だから、アキラくんはあたしが守るのっ」
ぎゅう、と羽毛の生えた腕を抱きしめたまま、大きな瞳はまっすぐにこちらを見上げてきた。
――――囚われる。
この真摯な魂の存在を、手放したくないと思う自分がいる。
それがいかに不可能なことなのかは、ちゃんとわかっているはずなのに。
確かに異形に変じた自分の身体に、躊躇わずに触れている少女を見ると―――錯覚してしまう。
「―――お前」
「なに?」
「俺の身体が怖くないのか―――…?」
「なんで??」
真剣に首を傾げられて、どう返せばいいのか解らなくなった。
「あっ、そうだ! アキラくんっ、大事なことなんだけど」
「…?」
視線だけで問いかけるとみかるは、いつも筆記用具やら飴玉やらミニゲームやら、なんでも出てくるスカートのポケットの中にごそごそと手を突っ込んで、

「爪切ろう!!」

と、小さな爪切り鋏をドラえもんの如く持って掲げて見せた。
ぎっし、とアキラの身体が硬直し、片腕を絡ませたまま一緒に歩いていたみかるは勢いを殺せずにつんのめった。
「あわわっ」
きゅっと腕に力を込めて立ち直るみかるを見たまま、アキラはゆっくりと言動と行動の意味を咀嚼する。
「だって、爪そんなに伸びたままじゃ危ないよ! ひっかけたりして爪割れちゃったら痛いよ? ちゃんと白い部分をちょっと残して切らなきゃ駄目なんだよね」
もう既に爪切りを構えて切る気まんまんなみかるの腕を、アキラはぺいっと振りほどいた。
「あうっ」
つまり、あれか。腕を掴んだ時に緊張したのは、爪が伸びているのを気にしていたせいで。
こいつは。最初から、何も。
「―――――橘」
「う?」
切らせてくれる?との期待を込めて自分を見上げてくる少女を、珍しく真っ直ぐ見下ろして。
「馬鹿か。悪魔の武器の一部だろうが、爪(コイツ)は。そんな刃じゃ切れねぇよ」
節くれ立った指と、捻くれて伸びた爪を目の前にかざしてやると。
ぽんっ!と納得して拳を掌に打ちつけ、何度もこくこくと頷いた。
「そっかそっか! だったら固いね、だいじょうぶだよね!!」
そしてその言葉を確信する為にまた青年の手を取り触れ眺めるので、
「いつまで遊んでやがる…行くぞ」
「あっ、はーい」
促すと、みかるは元気良く手を上げて、鼻歌混じりに迷宮を再び並んで歩き出した。



錯覚しそうになる。
希望を持ちたくなる。
全ての自分を包みこむこの繭に。
この存在に依存を望む自分がいる。
いつか必ず、離れなければいけない存在なのに。
痛切に、そう思った。