時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

楽死運命

燃えている。


ちろちろと鈍い炎をあげて、燃えている。



俺の前で、一冊のノートが燃やされた。
勿論、あのクソ親父の仕業だった。




高校に入学してから、自分の脳味噌の裏側で誰かが囁いている声を書きとめたノート。
不快で不快で仕方がなくてでも誰も気付かなくて、それを知らしめてやろうと書きつづけていたノート。
何の変哲もない、ただのノート。







日のあまり当たらない社会科準備室は、鍵が壊れていて簡単に入ることが出来た。
あまりにも声が五月蝿くて、布の破れたソファの裏側にしゃがみこんで、必死に指を動かす。

書き留めなければ。
書き留めなければ。



「―――誰か、いるのかい?」


―――――――!!?


がたがたん!



びくんと身体を硬直させた途端、隣りにあった乱雑に置いてあった資料を倒してしまった。
誰か来る。
見つかる!
見つかる!
隠れなければ!!








「誰か、いるのかい…?」
恐る恐る、といった風で橿原は当たりをつけたソファの後ろを覗きこんだ。
一番最初に見つけたのは、僅かに金色がかった癖のついた髪。
「えぇと…須藤くん、かい?」
名前を呼ばれて、抱えた両膝の間に埋もれさせていた頭をゆっくりとあげる。
「……あぁ、やっぱり。まだ授業中だろう? どうしたんだい?」
場違いな人当たりのいい笑みを浮かべて、教師が問う。
竜也は、どうしたらいいのか解らなくて、視線を泳がせた。

どうして。
どうして、何故、この男は自分に声をかけたのか。
どうして、何故、この男に話しかけられたら脳裏の声がかき消えたのか。

疑問がぐるぐると回り、僅かに震える唇から何の声も出せない。

そんな彼の行動をどう見て取ったのか、橿原は少し逡巡し……
ふ、と柔らかく笑った。



「…それじゃあ、授業が終わるまでここにいなさい。この部屋は僕以外殆ど使っていないから、誰もこないよ。安心しなさい」
どう納得したのかは解らないが、彼はそのまま自分の机に向かって歩き出した。
「それと、そんな所に座ってお尻が冷たくないかい? ソファに座っていていいよ?」
赤みがかった瞳を彼のほうに向けて、竜也はまだ呆然としていた。



―――それから、何度となく俺は先生のところに行った。
このクソくだらねぇ学校の中で、この部屋だけが心地良かったから。


この人は、違う。
他の誰とも、違う。



ずっと、書き続けていたノートを見せた。
「これ、全部須藤くんが書いたのかい? すごいなぁ」
「こ、声が聞こえて……それを、書いただけだから」
凄いことはない、と続けようとしたが、先生は笑って首を振った。
「君には才能があるんだよ。国語の点数もいいし。将来、本格的にこっちの道に進むのもいいんじゃないかな?」


この人は、違う。
この人は、優しい。

自分の道を示してくれる。
他の人間の様に、自分をレールの上のトロッコに縛りつけるようなマネは、決してしない。
嬉しかった。
先生に見せたくて、沢山ノートを書き続けた。
自分の声だろうと、電波だろうと、どちらでもいい。
先生が喜んでくれるんだから。





そのノートが、燃えていく。

ちろちろと鈍い炎をあげて、燃えていく。








「うあああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」







燃え尽きる前に、炎を消さなければ!
崩れ落ちていく紙の上に、自分の手の平を思い切り叩きつけた。
消さなければ!
消さなければ!
まだ先生に見せてない文が沢山あるのに!!
周りの人間が慌てた様に止めてくる。
でも、気にならなかった。
消さなければ!
消さなければ!
消さなければ!
消さなければ!








―――数時間後、竜也は一人で門の前に腰掛けていた。
門の前の表札は、『橿原』。
何回か招かれたことがあったから、来るのは容易かった。
でも、中に入る気はしなかった。 
入る度に、迎えてくれる先生の隣りにいた、美しい女性と可愛い子供。
絵に描いたような幸せの世界。
どんなに望んでも、自分は入れない。
それなのに、どこかに縋り付きたくて、こんな所に座りこんでいる。


「……須藤くん!?」

名前を呼ばれた。
ゆるゆると頭をあげると、如何しても会いたかった人影が見えた。
慌ててこちらに駆けて来る先生を見て、つかの間の優越感に浸る。
「どうしたんだい! こんな所で…寒かったろう、中に入っても良かったのに…」
手を取って立ちあがらせようとして、手の平の水脹れにぎょっとする。
「須藤くん、一体何が」
「…………せんせい」



助けて………




小さく小さく呟いた声が、届いたのかどうか解らないが。
橿原は無言で、竜也の背中を叩いて促した。





火傷に丁寧に薬を塗ると、包帯を巻いた。
竜也は魂が抜けてしまったように、中空を見つめている。
包帯を止め終わると、ゆっくりと身体を起こした。
「………何があったのか、聞いてもいいかい?」
ぴくん、と肩が動くが、無言。
沈黙が続く。
「…言いたくないなら、聞かないよ。ただ、今日は泊まっていきなさい」
そっと、頭を撫でられた。
すぐ離れてしまったけれどその手がどうしてもどうしても暖かかったから。


ぱたんと、ドアが閉じる。
静かな広い部屋のベッドの上で、また膝を抱えると、ほんの少しだけ竜也は泣いた。
「せんせぇ………先生………」
ずっとここに居れればいいのに。
ずっとここで生きていければいいのに。

先生の子供になれたら

先生の家族になれたら



叶わない夢。
叶わない願望。


ちりちりと、脳の裏側が痛む。
また、呟く声が聞こえてきた。
周りを見渡すが、書くものがなにもない。
自分の手を見る。先生に包帯を巻かれた指。
何も考えずにそこを噛んだ。
ぎりぎりと包帯を齧り切ると、焼け爛れた皮膚を噛み破った。
じゅくじゅくと滲んでくる血を、皮張りのソファの上に擦りつけて、
電波の声を書き留めはじめた。