時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

「咎っていくジレンマ」

濃紺に近い黒。
そんな闇の中に、まるで雪のように星が降っている。
子供の頃を思い出させてくれる星空の美しさに、思わず見蕩れた。
そして――――足元に絡みつく、黒い触手に気付くのが遅れた。
「!!!」
咄嗟に振り払おうとするが、どんどん絡みついてくるその触手からは逃れられない。
忘れられない光景。見慣れてしまった悪夢。
恐怖の悲鳴が喉の奥から沸き上がりそうになるのを必死に堪える。
動けなくなった自分の眼と鼻の先、同じく触手に囚われた女性がいる。意識が無いのか、首を垂れたまま触手の樹に縫い付けられている。
「舞耶姉!」
彼女の名前を呼ぶ。必死に手を伸ばす。でも届かない。声も、腕も。
何も出来ない。
何も出来ない。
何も――――――――――
『出口など求めるな』
「!」
耳元で囁かれた声に、咄嗟に振り向く。何時の間にか戒めは解かれていて、只目の前に自分がいる。自分が脱ぎ捨てた筈の七姉妹学園の制服を着た、自分と同じ姿の――――しかし、その瞳が虚ろな黒瞳であるモノが。
『救いを求める資格が、お前に有るわけが無いだろう?』
「…やめろ」
その姿は自分の横に、後ろに、移動しながら、誘惑と言う名の貶めを自分に浴びせてくる。
『他の者は皆希望を捻じ曲げ、静寂の世界を作る事を望んだ。だがお前はどうだ?』
「黙れ…ッ」
『お姉ちゃん…お姉ちゃん…』
「!」
唐突に虚無の眼の自分は子供に姿を変え、膝を抱えて泣き出す。
『嫌だよ、忘れないで皆忘れないでお姉ちゃんお姉ちゃん淳栄吉リサ忘れないで俺のこと忘れないで』
「止めろ―――駄目だ!!」
『どうしてどうして今までずっと我慢してたのに怖いけど辛いけど我慢してたのにやっとひとりじゃなくなったのにもうさびしくないのにどうしてはなれなきゃいけないの?』
がくがくと、狂気を孕んで子供は呟き震え続ける。止めようと抱き締めた瞬間、その子供はあっさりと消え去った。
『お前はその子供並のエゴで、この世界を歪めてしまった』
気がつけば、自分が別の腕で抱きしめられていた。ひんやりとして捻じ曲がった、禍禍しい腕で。
『歴史はまたトレースされる。お前はお前が大切に思っていたものを、また全て失っていくのだ』
その腕が指差した先、囚われたままの姫君は、今まさに鋭利な穂先を持つ槍で貫かれようとしていた。
「止めろ…! 俺はもう何もいらない、何も欲しくないから、だから――――ッ!!」
『もう、遅い』
刃はまるで夢のようにあっさりと、
彼女の胸に吸い込まれて行った。







「ぅぁああっ…!?」
叫ぼうとして、眼が覚めた。
慌てて自分の口を塞ぎ、辺りを確認する。
ここは、パオフゥのアジトだ。鉄板が打ちっぱなしの床の上に、皆文句を言いながらも毛布を敷き詰めて雑魚寝している。
幸い、誰も起こさなかったらしい。寝る前に、パオフゥとうららが克哉を巻き込んで酒盛りしていたのが功を奏したようだ。
ほっと息を吐き、その後自己嫌悪が沸きあがってくる。――――いつまで、こんな風に微温湯の中に浸かっているつもりなのかと。
結局自分は大人達に甘やかして貰って。自分の嘗ての仲間達は、未だデジャ・ヴュの中で翻弄されているというのに。
やはり駄目だ、と思い立ち、もう癖になってしまっていた眠る時も抱き締めている剣を取り、足音を出来る限り忍ばせて出口の階段へ向かった。
かん、かん…
やはり音の出てしまう床に苛立ちながらも、細心の注意を払って歩く。そうっとそうっと、階段を昇り切―――――――
「こらっ」
「!!!!!!!!!」
小さい声で怒鳴られて、達哉は飛びあがった。はっと顔を上げると、玄関前の冷たい床に、毛布に包まったまま座ってこちらを見上げてくる影が鎮座していた。
「ま…耶姉」
「どこに行こうとしてたのかなー?」
んんん? と全然怖く無い凄み方で、舞耶は座ったまま達哉を睨む。苦笑も出来なくて、達哉は肩の力を抜いた。
「舞耶姉…見張ってたのか?」
「お姉さんを甘く見ちゃダメよーん」
かむかむ、と掌で招かれて、しょうがなく足を進めると舞耶の隣にすとん、と腰を下ろす。
「んもー」
と、その瞬間ぐいっと腕の中に抱き込まれた。頬に豊満な胸の感触を感じ、一気に頬が紅くなる。
「ま、舞耶姉!?」
「…もう、どこにも行かないで」
焦って叫んだ呼びかけに、まったくトーンの違う静かな願いがかけられて、達哉は我に返った。
「ずうっとずうっと、追い掛けてたのよ。ずうっとずうっと、探してたのよ。お願いだから…もう一人にならないで」
よしよし、とまるで母親が子供を宥めるように茶色い癖っ毛の頭を撫でながら、静かに舞耶は囁く。その暖かさと優しさを、心の奥底でずっと求めていた達哉は拒めない。駄目だと思っていても、泣いて縋ってしまいたいと心の中の子供の自分が叫ぶ。
「舞耶姉、俺は!」
「達哉クン。私が『死んだ』時、悲しかった?」
「なっ…」
あまりにもあっさり呟かれたタブーの言葉に、達哉は絶句した。舞耶は少し腕を緩め、視線を合わせて達哉に再び問うた。
「悲しかった?」
「あ…たりまえだろう! そんなの―――!」
「私も。貴方が死んだら、悲しいわ。きっとその時の貴方と同じ位」
「!!!!」
言葉を紡げなかった達哉を、もう一度舞耶はその胸の中に抱き締める。
「私、その時の事は全然思い出せないわ。只、皆ごめんねって、私の事は忘れてって思った気がする。きっとね、死んで行く人間は辛くないのよ。だってこれでもう、それ以上辛いことなんて無くなってしまうんだから」
舞耶が思い出していたのは、父の後ろ姿。置いていかれることの恐怖と悲しみは、何より彼女が良く知っている。
「本当に辛いのは、いつだって残される方なのよ…?」
だから本当に、無茶だけはしないで。
そう囁かれた優しさに、達哉は眉を顰めて俯いた。


そうやって、貴方はまた俺を許していく。
だからこそこの現実は、あの悪夢よりももっと恐ろしい罰になる――――。


ふと、抱き締められた胸元、僅かに開かれたシャツの間から白い肌が見えた。
普段ならかなりどぎまぎとしてしまう風景だろうが、今はそこから覗く赤黒い痣から眼が動かせなくなった。
それはまさしく、かの聖槍で貫かれた傷と同じ位置にある。
「っ!」
恐怖を堪える為、達哉は其処に顔を埋めた。
「た、達哉クン?」
流石に驚いて顔を赤らめた舞耶だったが、達哉がその傷の上、まるで誓いの騎士のように、恭しく口付けを落としたのを見
て、そっと微笑んだ。
「…守るから。今度こそ、絶対俺が守るから――――」
「…うん。ありがとう、達哉クン…」
傷の上で呟かれた決意を受けて、舞耶は心から礼を言った。



―――そう。
全てが終わったら。
全てが終わっても。
俺は、貴方を守ろう。
貴方がどうか幸せに生きていけるように。
この世界を守る為に。
俺がこの世界から、消えよう――――。


きっとこの誓いを全て伝えれば、彼女は泣いて怒るだろうから。
とても、口には出せなかったけれど。