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鬼子の産湯

異変は一瞬。その一瞬で充分。
年若き召喚師は腰に下げた刀を抜き放っていた。静かな堂の空気がぐにゃりと歪み、地の底から屍鬼達が現れる。しかし彼らがその腐った爪を振るう前に、
ビュオッ!!
素早く横薙ぎに繰り出された一刀に全て両断された。腐肉が散り、腐臭が散布されるが、攻撃した彼は眉一つ動かさない。
全く、出来すぎた十四代目だ、と密かにその様子を観察していたゴウトは舌を巻いた。
年の頃は未だ十代そこ等と聞く、線の細さすら伺えるのに、悪魔に振るうその刀の鋭さも、引き金に指をかける躊躇いの無さも、異形に臆さず悪魔達を使役するその胆力も、全て葛葉ライドウの名を継ぐのに申し分無いだろう。この分では最後の試練として囚われているオキクムシも、ようやっと成仏出来るだろうと確信する。
そしてそれはやがて現実となり、彼が使役する妖精が放った炎によって、蟲の姫は安堵すら浮かべてその身を灰とした。
お偉方の口上が終わるのを待って、梁の上から飛び降りる。
まぁ最初から甘やかす必要もあるまいと、殊更嫌味を込めて挨拶してやったが、彼は学帽の下の目を僅かに瞬かせた後、「…御指導、御鞭撻の程、宜しくお願い致します」と静かに言い、深々と頭を下げた。
その上真面目か、お偉方にとっては良い手駒だな、と体の癖で毛繕いをしつつゴウトは思った。
その時は、それだけ思った。




帝都を守るという中々盛大な使命を与えられた十四代目葛葉ライドウ―――本名は桔禰真柴、というらしい―――とゴウトは、明日旅立つ準備の為、宛がわれた寺の一室に腰を落ち着けた。といっても真柴の準備は刀と銃と管の手入れをしてから、簡単な手荷物を纏めるだけで済んでしまったが。
「荷物はそれだけか?」
「はい。他は特に。…業斗童子殿の御荷物がありますれば、御運び致しますが」
「…真柴」
「…何でしょうか?」
「解っていると思うが、俺は今仮の体とはいえ猫なわけだ」
「承知しております」
「今はまだ良いが、帝都の街中で俺に対してそんな大仰な喋り方をしてみろ。変わり者扱いされるならまだしも、最悪官憲に引っ括られるぞ、怪しい奴だと」
「ご心配無く。官憲如きに遅れは取りませぬ故」
「いや待て待て待て」
無表情なのにどこか誇らしげに物騒な事を言い放つ召喚師に、かくんとゴウトは器用に肩を落としてみせる。こいつに必要なのは技術や度胸ではなく常識じゃないのか、と彼を推挙し自分にお守り役を押し付けた葛葉の連中を恨む。
「兎に角、人の目のある場所では慎め。後、その仰々しい呼び方も止めろ。ゴウトで良い」
「……………では、ゴウト殿、と」
「まぁ、良し」
かなり彼自身の中で葛藤があったらしく、ようよう搾り出した譲歩案に頷いてやる。全く真面目すぎるのも考え物だ、と備え付けの座布団の上で丸まりながらこっそり溜息を吐く。
自分が眠る体勢に入った事に気づいたのか、真柴が立ち上がる気配がする。衣擦れの音がするところから考えると、向こうも眠る支度を整えているらしい。
何気なく片目を開けて見ていると、彼がずっと被っていた帽子を外すのが見えた。そういえば真面目一辺倒な割りに、挨拶の時も部屋に入っても外さなかったな、と不思議に思い首を起こす。
それにあわせるように丁度真柴も振り向き、一人と一匹の目が合った。―――ゴウトの視線は、真柴の瞳ではなく額の方に注がれていたが。
「―――ッ!」
初めて、真柴が動揺の気配を見せた。一瞬学帽を被り直そうとし、無駄である事に気づいたらしくすぐに下ろす。僅かに肩を落として、ゴウトの視線を受けたまま床に正座し直す。
「…驚かれましたか」
「そりゃあ、な。生まれつきか?」
「仰る通りにございます」
露になった短い黒髪の間、額の両端に白く硬質化した突起が見える。皮膚が変化したものか、骨が突き出ているものかは定かではないが、正しくそれは角に見えた。
「今度の候補者は鬼子だと、口さがない者の噂は聞いた。その理由が、それか」
「…噂にあらず、真にございます。母の腹を食い破りて生れ落ちた鬼の子と」
ぴくりとゴウトの耳がそば立つ。異形を鬼と蔑む悪習は、未だあちこちに残っている。それが葛葉のような、歴史の深いものであればあるほど、その風当たりは強かっただろう。
「鬼として生まれた身なれど、人になりたいと願いました。その浅ましき思いの末に、第十四代目葛葉ライドウの名を襲名した次第にございます」
深々と、畳に手をついて頭を下げるその背から溢れる感情は、自責だ。敬うべき名を自分が襲名した故に汚してしまったとでも、思っているのだろうか。
―――馬鹿馬鹿しい。
ふん、とゴウトは一つ鼻を鳴らした。僅かに揺らぐ真柴の肩に気づかぬ振りをして、たしたしと畳を踏んで彼に近づき―――
ざり。
「っ? …ゴウト、殿?」
角が覗く額をひとつ、舌で舐めてやった。無礼も忘れてぱっと上げたその顔が、無表情を忘れて目を見開いていて悪くないと思った。
ライドウの名など、そんなにご大層なものじゃない。遥か昔、どうしようも無いお人好しであるが故に命を落とした男の名を、皆有難がって使っているだけ。
人になりたいが故に人外の力を手にしたこの青年を、ゴウトは哀れまない。
「…いいじゃないか。救われたいと思わない人間などいやしない。自分を蔑む鬼もな」
ただ、かけた言葉にぴんと背筋を伸ばし、その僅かに色素の薄い瞳に確かな意志を燻らせたのを、好ましく感じた。全く持って今回は大当たりだ―――と僅かに含んで。
この抜き身の剣のような青年を―――一見脆くしかし決して倒れないであろう彼を―――、背に爪を立てつつ導いてやるのも悪くない。
「取り敢えずは、帝都を守る為に尽力しなけりゃあな。今日はもう寝ておけ、真柴」
「…ゴウト殿」
「ん?」
真摯な声で名を呼ばれ、首だけで振り向く。表情はまた無くなっていて感情は読みにくかったが、瞳が僅かに揺らいでいた。
「…十四代目を襲名する際、自らの名を捨てよと言われました。自分もそれを望んでいました。忌み名となっていたものでありますから」
「ふん」
「ですが貴方は、その名を呼んで下さりました」
「…消える名なら、別に俺が貰っても悪くはあるまい?」
に、と口の両端を上げて見せてやる。元々、まだまだお前はひよっ子だ、の意味を込めて今までの襲名者も全員本名で呼び続けていたのだが。
真柴は、僅かに顔を引き攣らせて、目を眇めた。恐らく、酷く不器用だったけれど、微笑んだのだろう。
「……初めて、自分の名前を尊いと思うことが出来ました」
たったこれだけのことで漸く微笑める程、自らの存在を貶めていたのだろう青年は。
「有難き幸せ、恐悦至極にございます…」
心からの感謝を捧げ、もう一度頭を畳に擦り付けた。
大仰な喋り方は相変わらずなのに、何故だか彼がとても小さな子供のように見えて。
今日だけの気まぐれだ、と自分の中で言い訳しつつ、ゴウトは彼の額づいた頭に首を摺り寄せてやった。
猫が甘える際の仕草なのに、何故かそれは猫が青年を甘やかしているように見えた。



―――仮初の魂の一つや二つぐらいなら、コイツの為に使ってやるのも悪くないかもしれない。
そんな、らしくない夢を見てしまった。