時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

海の藍と空の蒼。

『海に行きたい』と言い出したのはどちらが先だっただろう。





潮の匂いの混じった風。
打ち上げられた貝殻が靴の下でぱしり、と音を立てて割れる。
ざ、ざ、ざ、と途切れ途切れに聞こえる波の音が、耳の奥で反響している。
時間は、程よく夕暮れ。
もう圧力を失った太陽が、ゆっくりと海に溶けていく。
「うおー、すっげぇ〜」
波打ち際に靴を脱いで足を突っ込んでいたマークはその光景に瞳を輝かせた。
グラフィティアーティストとして、創作意欲を刺激させられる景色だったに違いない。
所在無げに砂浜に佇んでいたレイジは、赤い光に照らされている相手を只見ていた。


綺麗だと感じるのは可笑しいか?


「オイレイジ、ちゃんと見てたか?」
最後の欠片が海に溶けきって、闇がじわじわと辺りを覆っていく。
興奮冷め遣らぬマークは、裸足のまま砂浜を駆けて来る。
「おい、」
足についた砂をどうするつもりだ、と軽く睨んだら、
「そのうち乾くって」
とまるで気にした風もない。
「もう帰んだから洗って来い…」
「どうせまた汚れるじゃねーか」
どうしろってんだ、と唇を尖がらせる相手に少し笑うと、預かっていた靴を投げてやる。
「っと」
両手で受け止めた隙を狙って、後ろに回って腰を持ち上げた。
「おわ!? コラァ! 何しやがる!」
「よし、洗え」
「お前なぁあ!」
凪になっている海の上に足だけ伸ばして洗う。こんな情けない格好、誰かに見られたら憤死モノだろう。
「早くしろ、重てぇ…」
「ぐ…わーったよ」
ぱしゃぱしゃと温い塩水で足をおざなりに洗い、素早く靴を履く。
「オラ、もういいだろ。降ろせよ」
黙ったまま、陸に向かって歩き出す。勿論、マークの腰を抱えたまま。
「オイコラァ! 降ろせえええ!」





すったもんだと暴れた末、漸く解放されたマークの足取りは荒い。
ずんずんと歩く一歩半斜め後ぐらいの所にレイジがいる。然程スピードはないのにほぼ並んで歩いていけるのはコンパスの差であろう。
そのことに気付きまた少し不機嫌になる。
「……稲葉」
「んだよ」
「行きてぇのか?」
レイジは、普段の言葉が凄く少ない。主語や目的語をあっさり省略して話すので、話の流れを掴むのは親しくない人には難しい。
勿論、マークには判った。
「…あー。アメリカ行きてぇ」
その声音に、迷いはない。
「…そうか……」
返す言葉に、いつもの覇気はない。しかし、それは咎める口調でもなかった。
ぴたりと足を止める。それに合わせて止めたレイジの腕の中に、飛び込んだ。
「帰ってくる…何年かかろうが、成功して帰ってくる。だからッ……」
一瞬固まった腕が、ゆっくりと背中に回される。
「あぁ……待っててやる、何年でもだ。帰って来い……」
お互いの温もりだけを感じる薄闇の中で、小さく、約束を交した。