時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

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「おにいちゃんたち、なんでいきてるです? いきるって、くるしくない?」

そう彼女に問われた時、僕は確かにこう答えた

「その、答え…を。探すため、に、生きてる」




現実を拒否し、夢を作り出した「本当の」少女が居る――――十影とこの世界の麻希は、彼女に会うためにアラヤの岩戸を潜った。
洞窟は薄暗く、不気味に壁に着いた発光苔が仄かな青白い光を発している。
2人とも、無言だった。
幾度も幾度も、自分の存在を揺るがされ続けた2人は、それでも手を取り合ったまま潜り続ける。地下に? ―――否、心の中に。
ここは正しく、深層意識の体現と言っても良い、そんな場所であった。
やがて、2人の前に扉が現れる。2人は顔を見合わせ、こくりと頷き合うと、十影がノブに指を伸ばした。
扉は、その指が触れるか触れないかのうちに音もなく開いた。





僅かな電子音が、最初に耳についた。
「―――? ……!」
目の前に、場違いなほど綺麗な、ゲームセンターにありがちなビデオゲームの本体がある。その前に、一人の青年がいた。こちらを振り向きもせずゲームに没頭しているその青年は、どこか見覚えがあった。
「…え? 十影くん!?」
十影の隣に来た麻希が、その青年を見て驚愕する。
その声に―――否、丁度ゲームオーバーになったからかもしれないが―――青年は席を立ち、くるりと振り向いて―――薄い唇をきゅっと吊り上げて笑った。
それが酷く違和感だった。
何故なら十影は、自分の笑顔など見た事が無かったから。
「…お帰り、園村。そして初めまして―――かな? オ・レ」
気取ったように喋る目の前の自分は、腹が立つぐらい言葉が滑らかだった。
「信じられないって顔だな。疑問に思わなかったのか? 園村や黛も居たのに、何で「自分」がいないのか――って。まぁ気づかなくてもしょうがないか、お前達がこっちに来た時点で、「彼女」が仕舞いこんじまったからな。俺は一番安全パイだったらしくて、ここに置かれてるだけでまだ消されてない」
「消されて、って…じゃあ、稲葉くんや南条くんも!?」
「あぁ。あいつらが来た時点で、この世界の均衡を作る為に彼女が消した。いや、消したっていう自覚さえないんだろう。この世界に同じ人間は2人も必要無いからな。彼女の箱庭は、完全でなければいけない。彼女がこの世界の創始者であり、絶対者だからだ」
「…園、村…は? どこ、にい…る?」
驚愕から漸く立ち直ったらしい十影が、引き攣る喉を宥めながらもう一人の自分に問う。彼は小馬鹿にしたような顔をして肩を竦めた。
「…本当に『俺』は、彼女に対して何の印象も残していなかったんだな…見ろよ。俺とお前は似ても似つかない。彼女がどれだけ、『俺』のことを何とも思っていないかの証だ。逢いに行ってどうする? 彼女はお前のことなんて望んじゃいない」
「そんな事ない! 十影くんなら! 十影くんなら、何とかしてくれるって思ったから…! だから、『わたし』も十影くんを選んだんだよ」
滑らかな糾弾に、十影が唇を噛む。麻希が必死になって反論するが、十影の耳には届いていないようだった。
「お前の心の中に居るのは、別の人間だ―――」
「―――――――!!」
「何で判るのか、って顔をしてるな? 言っただろ? 俺とお前は同じ存在だ。お前の事なんか手に取るように判る。誰よりも大切で? 誰よりも愛しくて? 誰よりも汚れない? 随分と聖女様扱いだな。そんなに良い女だったか?」
「…まれ」
「で? 今どこに居るそいつは? ―――ふん、一家心中―――車―――」
「だま、れ」
「死体が見つからないだけで、生きているかもしれないっていう幻想に縋っているのか? 馬鹿だな。救い様のない馬鹿だ」
「だ、…れ…!」
「お前だって本当は気づいているはずだ。
もう、どれだけ忘れた?
どれだけ思い出せる?
彼女の顔は?
声は?
髪は?
腕は?
足は?
肉体は?
魂は?
人の中の人なんて、どんどん時間と共に風化していって最後には何も残らない。
全部忘れてしまえば楽になれるのに、何でそこまでしがみつく?
…俺には解らない。そんな存在、俺にはいなかった」
がくん、と十影の膝が崩折れる。それを見下ろしながら、もう一人の十影は、溜息で勧告を締めた。
「十影くんっ!」
「…か…てる…そ、なの…わかってるっ……!」
同じくしゃがみこんだ麻希が、十影の両肩を支える。苦しい息の下から、十影は必死に言葉を搾り出す。
そんな事、判っていた。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、自分に言い聞かせた。
彼女の死を認めたくなくて。
それでも、この世で一番残酷な所業は、その事を―――悲しみも、喜びもすべて、満遍なく洗い流し削っていった。
彼女が死んだと判るのが、怖いのではない。
それによって、彼女の存在が、自分の中に無くなるのが、怖い。
忘却は、確実に訪れ。
彼女が、この世から、いなくなる―――――
「…や、だ! そ…な、の、いやぁあッ…!!」
心臓を逆方向に引き裂かれるような、悲痛な叫び。それでも、十影の眼から涙は一滴も、零れていなかった。
「……本当、お前は馬鹿だよ」
自分を見下ろしたままのもう一人の十影は、呆れたように、しかしどこか寂しそうに溜息を吐き。
すっと、身体をずらした。
「行けよ」
「…………?」
声に不思議そうに顔を上げた二人の目の前に、1つの扉が現れた。
「この奥に、彼女が居る。自分を嫌い、世界を嫌い、自分だけの箱庭を作り上げた少女が。説得出来ると思ってるんなら、行って見ろ―――」




一歩中に入ると、そこは星空だった。
「わ…ぁ…綺麗…!」
麻希が思わず感嘆の声を上げる。前後左右、天地、全て輝く沢山の星が犇いている。安定のない地面を不安に思いながらも、十影はそこを歩いて行く。
こここそが、全人類に共通すると言われている意識の海。星に見えるのは皆、人々の意識なのだ。
『誰…?』
「!!」
ふわり、と浮かぶ1つの星。その中に――――「本物」の園村麻希、が居た。
「わたし…。ねぇ、お願い。一番悪いわたしを―――パンドラを、止めるために、そのコンパクトが必要なの。それを、貸して欲しいの」
「…頼む。園、村」
『都くん…ごめんね…わたし…知らなかった…貴方が、こんなに…沢山…傷を…抱えて…それでも…こんなに…優しかった…こと…』
泡のような球体の中で、「本物」の園村麻希は、ほろほろと涙を零していた。濡れた瞳を、十影からもう一人の麻希に向ける。
『私は…生まれちゃいけない…意識だったのよ…はじめから…貴方が…生まれていれば…もっと…違う人生…だったのに…』
「やめて!」
麻希は、自分の言葉を自分で止めた。
「自分の口からそんな事聞きたくない。わたしはもう逃げない。自分の落とし前は自分でつけるもの!」
赤いリボンを揺らした少女は、きっぱりと言いきった。
それは、とても強い後ろ姿で。
十影はふと、かの人を思い出した。
そう、彼女はいつだって―――
「…ぼ、僕も。自分が…嫌い、だった」
紡ぎ出された言葉に、2人の麻希がはっとそちらを向く。
「だれからも…愛、されない。だれも…愛、して、くれない。だから…どう、人を、愛したら、いいの、か…わからなかった。どう、自分を、愛…したらいいのか、も、わから…なかった」
両親は自分を疎み。信じた人は皆、偽りしか向けてくれなかった。
「だけ…ど、春樹と…出会って。あの子は…僕の、ことを。…愛して、くれ、た」
不信感で全身に棘を生やしていた自分を。
「取り合えず、私から信じてみて」と言い切ったあの人。
「それで…はじめ、て。僕は、自分が、好きに…なった」
あの誰よりも美しいと思った人が、好きだと言ってくれた自分が。
とても、誇らしくなった。
「だから―――、だから」
ゆっくりと、丸い球体に近づき。そっと、それを両腕で抱えた。まるで祈りを奉げるように、その表面に口付けて。
「僕は―――、貴方を、愛する」
瞬きした麻希の瞳から、ころり、と一粒雫が落ちた。
「例え、貴方…が。どんな、過ちを、冒した…として、も、僕は、貴方のことが、好きだ」
今、判った。
自分と彼女は、似ているのだ。
自分が大嫌いで、自分を変えたくて、足掻いて足掻いて、傷ついて、諦めて、それでも諦め切れなくて―――進む道は、あまりにも別れてしまったけれど。
「だから…………。…もどって、きて」
それは偽り無き思い。偽り無き言葉。
『…りがとう。都くん…ありが…とう…』
大丈夫。
まだ戦える。
まだ生きられる。
自分の存在が、必要なものだと判るのなら。
大丈夫。





「…大した奴だな、お前は」
部屋に戻ってきた後、そこに所在なげに立っていたもう一人の十影は、皮肉げにそう言った。
「お前にとって『あの女』は、それほどまでの存在なんだな」
「…うん」
母親のような。親友のような。恋人のような。
そんな比喩では表わせないほど、自分にとって唯一無二の存在。
例え。
これから幾度幾年、時が流れても。
沢山の記憶や想い出が、時と共に風化してしまっても。
「彼女」という存在は、必ずこの奥底に残る。
それだけの、存在。
やっと。
やっと、認める事が、出来た。
悲しみも、いつか、優しい切なさだけに変わる時が来るはず。
それまで。
「…俺にも、そんな奴がいるのか?」
そう呟く目の前の男は、初めて見た時の影もなく、どこか心細そうに呟いたので。
自分の右手を、そちらに伸ばした。
「…逢えるよ。いつか」
そう呟くと、目の前の彼は本当に嬉しそうに笑って。
手が重なる一瞬前、空気のように掻き消えてしまった。
「…十影くんの中に、入ったんだね」
「……うん。多分」
心の奥底に在る、沢山の自分。それを認める事は中々出来ないかもしれない。それでも、それも確かに「自分」であるのだ。
「春樹さんって…そんなに、大切な人なんだね」
今までの翳りを払拭した少女も、持ち前の明るさを取り戻すと、ひょいっと1つになったコンパクトを揺らして悪戯っぽく都の顔を覗きこんだ。切れ長の目をぱちくりとさせて、十影が戸惑う。
「な〜んか、ジェラシイかも」
「……え?」
「なんでもないよっ♪」
とん、と肩を1つぶつけて。
ほんの少しだけ、笑いあった。
そのまま、2人で一歩、外へ踏み出す。
仲間達の元へ。そして―――仲間を助けるために。