時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

残酷な真実を教えてくれた父なる神に。

日曜日の朝、目を覚ましてやる事は、パソコンの起動。
「光、ちょっといい?」
朝飯をたらふく腹に押し込んで満足した俺に、母さんが声をかける。
「何?」
「…あのね、光。本当に大学に行く気ないの?」
俺には、父親の記憶がない。
物心ついたときから、母さんと二人暮しだった。
近所の主婦達の口さがない噂を又聞くと、母さんは強姦されて俺を生んだらしい。
しかし母さんは何も言わないし、俺にも信じる気はない。勿論聞くつもりも。
今はすっかり「おばさん」の仲間入りをしてしまった様相だが、昔の母さんはそれなりに美人で、子供ながらに護ってあげなければ、と思ったのも事実である。
……我ながら、マザコンの気があることは認める。
しかし男に頼らず、女手一つで子供一人高校まで行かせたのだから、素直な尊敬の念がある。だからこそ、もう苦労はさせたくないのだ、本当に。
俺のようなコブはとっとと家を出て、母親に新しい生活を上げるのが親孝行ってやつだろう。しかし母さんはせめて大学を出ろ、とうるさい。親の心子知らず、子の心親知らず。
「ないよ。卒業したらバイトしながら職探す。んで、ある程度金貯めたら家出るよ」
「光……私に苦労かけると思ってるの? 大丈夫よ、貴方一人ぐらいなんとか」
「…別にそんなんじゃないよ。けど、俺なんかいないほうがイイ男捕まえられるだろ?」
「光」
諭すような母さんの声。
「お母さんね、もう男なんてこりごりなの。興味もないし、結婚したいとも思わない。どうしても貴方が一人暮ししたいっていうんなら仕方がないけど…そんな理由だったら」
「とにかく、その気ないから。ごちそうさま」
この話はいつも堂々巡りになるので、この辺で切り上げるのが利口だ。ジャケットを取り上げて羽織ると、ダイニングを飛び出す。
「バウ! ワウ! バウ! ワウ!」
愛犬パスカルが駆け出してきた俺に吠えまくる。許せ、散歩は後回しだ。
「光!」
「いってきまーす!」
「出かけるんなら、帰りにアーケードでコーヒー豆買ってきて頂戴!」
がしゃん!
…玄関を出た所でずるこけた。こういうところが敵わないのだ、母さんには。



「ひーかーるっ!」
勢いで走っていた俺の足を止めたのは、となりの個人病院の娘であり俺の幼馴染でもある摩莉亜の声だった。
「摩莉亜。どした?」
「どした、じゃないわよ。こっちは事件のせいでデート中止になってイライラしてるってのに、元気そうにはしゃいじゃってさ」
片親だから、と言うわけでもないだろうが、俺は子供の頃所謂仲間外れと言う奴だった。無視されるか苛められるかのどちらかで、喧嘩だけは強くなった。中学生の時コンピューターとネットに嵌ってからは更に人が遠ざかり、俺と普通に話すのは彼女以外にいない。
「別にはしゃいでないよ。散歩兼お使い」
しかしデートが中止とは、根性のない彼氏である。それが顔に出たのか、摩莉亜はむっとして話しかけてくる。
「言っとくけど、あたしは平気って言ったのよ? でも海里ったら、『あなたのことが心配なんです』って言って、後で会いに来てくれるのよ」
カイリ。何回か見たことがある、少し長めの髪の美丈夫だ。その口調からして、お坊ちゃんなんだろうか。
「あっそ。んじゃなー、摩莉亜」
「うん、バイバイ」
別れた後、ちょっと事件の方に興味が沸いた。どうせ今帰ってもまた母さんに話を蒸し返されるのが目に見えている。
そして俺は、井の頭公園に足を向けた。




…それからは……沢山の事が有り過ぎた。
『汝が望むのは 光の神に選ばれた民の法と秩序か 力持つ者どもが 争いあう混沌か』
白昼夢。
『やあ 光くん また 会いましたね』
『マジかよ 昼間から 夢見てるなんて』
夢の中の戦い。夢の中の痛み。
『まだおぬし等の力では無理か』
頭が痛い。
『あなたを待っていたのよ。永遠のパートナーとしてね…』
デジャ・ヴュ。
『藤沢光だな!? 捕らえろ!』
悪い夢?
『一緒に、連れていってください』
『俺にもっと力があれば…!』
出遭う。
『はやく わたしの なまえを よんで』
運命?





「お帰りなさい光。心配したのよ、さあいらっしゃい」
やっと戻ってきた家。しかしそこに、母親はいなかった。
「ウゥ・・・ウウウゥウ……」
パスカルが唸りをあげている。
「…様子が変ですね…」
海里が、呪文を唱え出す。
「イヤな臭いがするぜ」
双葉が、銃を構える。
皆が一斉に俺を見た、ような気がする。
「……お前は、誰だ?」
口から声を絞り出す。
「……チッ、おとなしく食われていればいいものを…」
べり。
皮が剥がれるような、音がした。
べりり。
母親であるはずのモノが、顔に手をやる。
「まさか……」
海里が、喉の詰まったような声を上げる。
べりいぃっ!
そしてそれは、爪を立てて、顔の皮膚を引き剥がした。
「……!」
耐え切れなくなったのか、海里が目を逸らす。
「う、ぐっ…」
双葉が俯いて口を押さえる。
『やはり年を取りすぎたのか…皮膚は固くて不味かったな、ほんの役にもたたん』
ごりごりとした声が、下にあった牙の生えた口から漏れる。
『…まぁ、はらわたは美味かったな。やはり人は、生きたまま喰うに限る』
べしゃりと。
まるで何かを捨てる様に、母親の皮が床に落とされた。
「…………!」
何か、叫んだような気がする。
何と、叫んだのかは覚えていない。



「下がってください、光くん! ……衝撃波zannma!」
ドゥン! と、角を生やした異形を吹き飛ばす。
「のやろう…燃えちまえっ! 火炎弾agirao!」
ゴウッ! と赤い炎が異形を包む。だが。
『ぐくくく…効かぬわ』
「…なにィ!?」
『炎熱波maha-agi!』
ゴォオウッ!
「ぐあっ!」
「うあぁ…!」
「キャイン!」
「………!」
炎が、炎が、炎が。
俺たちを巻き込んだ。
頭がはっきりしない。何だ、何をやっているんだ俺は。
『どうした、どうした。もうくたばるか、息子』
―――――!?
ぴん、と頭の近くで何かはじけた。今こいつは何と言った?
『19年前、お前の母を犯したのはワシじゃ。そしてお前が生まれた。女の記憶も封じていたのは、お前とお前の母を絶望させるため。食らう前に女の記憶を戻してやったら、絶望して泣いたぞ。そうやって手に入れたマグネタイトは実に美味かった。待ったかいがあったというものだ』
頭の中に広がる霧が、少しずつ薄れていく。
あぁ、そうか。
『何故お前にこんなことを教えるのか判るか? お前にも絶望して欲しいからじゃ、息子。美味いお前のはらわたを、喰わしておくれ。さぁ、さぁ…』
青黒い皮膚の手が近づいて来る。血のこびりついた長い爪。
手に触れた獲物を、ぐっと握り締めて。
ごつりと。
奴の頭に振り下ろした。




『ぎひいいぃぃいい! お、お、おのれえええ』
手に馴染んだ三節棍。沢山の<悪魔>を叩き潰してきたこの武器で、父親の頭を砕いた。
『ひっ、ぎっ、ひいい…』
やっとわかった。
どうして父親の記憶がないのか。
どうして母さんが何も言わなかったのか。
どうして、どうして。
『くくく来るな! 来るなあぁあ!』
がむしゃらに振られた爪が、左目に付けられた濃い色のレンズを砕く。
海里と双葉が息を呑む音が、何故かはっきり聞こえた。
どうして、自分が片方だけ赤い目をしているのかも。
今はっきりと判った。
『ワシを殺すか! 殺すのか! いいだろう! どうせお前は逃れられん! ワシの子供だという、悪魔の子だという運命からはな! ぐくくくくひゃあはははあ!』
ごしゃり。
頭蓋骨の砕ける音がした。




「……光くん………」
「…そっとしといてやりな……」
双葉はそう言って海里を止めると、台所の方に行った。
行かなくてもいい。そっちはきっと血塗れだ。母さんの血で。
そう言いたいのに言葉が出ない。
指先が冷えていく。その先には、鬼の死骸がある。
ぐしゃっ!
ぎょっとして、海里が俺のほうを見る。でも止められない。
死骸の上に、三節棍を振り下ろす。ぴっと、自分の頬の上に血とも脳漿ともつかないものが飛ぶ。
振り下ろす。
振り下ろす。
振り下ろす。
「やめ…やめてください! 光くん! 駄目です!」
海里が俺の身体を後から羽交い締めにする。離してくれ。騒ぎを聞いて、双葉が戻ってくる。パスカルの吠え声が煩い。
「そんなことをしても! 貴方のお母さんは生き返りません! もう、…自分を傷つけるのはやめてください!」
がくりと、身体から力が抜ける。からりと乾いた音がして、床に獲物が落ちる。
「……なんて面してんだよ…我慢すんな」
双葉が、後ろを向く。
「誰も、誰も貴方を責めません。貴方は甘くも弱くもありません。…泣いてもいいんです! いいんですよっ、光くん!」
後から、海里の手が俺を抱き締める。
「キュウーン……クゥ…」
パスカルが、俺に鼻を摺り寄せてくる。その辺が、限界だった。
「……ぅ……ぁ、ぁあ―――――――っ!!!」
何を叫びたかったのかも、判らない。
ただ、叫びたかった。ただ、泣きたかった。
そして今側にいてくれる人に、感謝した。
たとえ、いつか進む道が分かれるとしても。
今だけは。どうか、このままで………