時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

フライング魔神皇

軽子坂高校の体育館は、外に伸びる渡り廊下によって完全に校舎と離れている。
体育の授業や部活が無い時には、体育館は完全に無人になり、そこで何が起ころうと人は感知することが出来ない。
だからこそ現在この内部は、大規模な悪魔召喚の方陣等が床いっぱいに描かれたり、悪趣味な旗が立てられたりしているのである。
窓にかかるカーテンを全て締め切っているせいで、体育館の中は暗かった。そこに、時たま耳障りな何某かの悲鳴が響く。思わず「彼」はその両手で耳を塞ぎ、その声に耐えた。
………この「彼」が、まだ年端も行かぬ少年であったり、はたまた線の細い白皙の美青年であったりすれば、まだもう少し見目に耐えうる余地はあったかもしれないが。
「…………サムイ…」
只一言ぼそりと呟きその真黒い身を震わせる、拝火教の唯一悪、魔王アンリ・マンユがその膝を抱えてそうやっている光景は大層シュールだった。有体に言えば、あまりの情けなさというかとんでもなさに腰が砕けるところであるが、幸いなのか不幸なのか、今現在この空間にツッコミを入れられる存在はいない。
何故なら、ここに彼以外に存在するモノは。
「…もう一回だ。橘さんはぼくの事が、好き…嫌い…好き……」
だだっ広い魔方陣のど真ん中にて、地を這うような声でぼそぼそ何事かを呟きながら、こっそり召喚した妖樹マンドラゴラの赤い葉っぱを1枚1枚ぶちっ、ぶちっ、と毟っている魔神皇・狭間偉出夫しかいなかったからだ。
1枚毟るたびにマンドラゴラが断末魔程ではないがかなり不気味な悲鳴を「きにゃー」とあげている。命を奪われるほどのものではないだろうし、そんなもんで命を落としていたら魔王やら魔神皇やらの名が廃るというもの。しかしそれでも、この不気味さとどうしようもない空気の重さは如何ともしがたい。
「嫌い…好き…………き、ら…」
声が止まる。びびくん、とアンリ・マンユはその身を震わせ、きっと次に来るであろう光景に耐える。
「……っ魔破衝撃破断マハザンダイン!!」
ずどばん!!
哀れ、マンドレイクは全範囲の最大衝撃魔法をぶちかまされ粉みじんとなった。
「…は、ははははははーっはっはっは! こんな子供だましの占い如きで私の心を謀れる訳が無い!! 全くもって馬鹿げている! はーっはっはっは!」
辺り一面マンドラゴラの欠片が散乱している―――中々に不気味な光景だ―――中、立ちあがり一人腕を広げて哄笑する狭間。できればマンドラゴラ一群を全滅させる前に悟ってくれれば良かったのになぁ、と外つ国の魔王は声に出さずに思った。
「アンリ・マンユ、今何か私を侮辱しなかったか?」
「イイエメッソウモナイ」
振り向きざまにぎろりと睨まれて、アンリ・マンユ―――やや言うのが手間なのでこれから通称アンリと呼ぼう―――は彼にしてはやや慌てた口調で鋭い突っ込みをいなした。
「全く…気の利かない悪魔だ。アモンの方が余程役に立ったな」
やれやれと露骨に肩を竦めてごちる狭間に対し、あんたその悪魔散々こき使っておいてとうの昔に地のノモスに封印したじゃないですか、とアンリは思っても決して口には出さない。賢明にも。
この少年、ひょんなことから悪魔召喚プログラムを手に入れ、尚且つその成り立ちを理解出来る程の頭脳を持っていたが故に、そのシステムを自らの思い通りに使うことを決めた。即ち、自分を排除した社会全てに対する復讐、を。その為に魔界へ出向き、数々の強力な悪魔を仲魔にし、それを利用し倒す事によって願いを叶えつつあった―――
「そうだ…こんな占いなんて気にする必要は無い。何故ならあの子はいつだって、ぼくに優しかったんだから―――…」
ふ、と遠い目をして淡い自分の恋心に思いを馳せる狭間。はっきり言って怖い。天才故に孤立して、いじめと無視が日常茶飯事だった彼にとって、常に自分に笑顔を向けて態度を変えなかった「あの子」―――同学年D組の橘みかるはまさしく天使の如し存在だった。勿論魔界を徘徊する排他的な輩達ではなく、一番一般的なイメージにおける慈愛の象徴である。
「そうさ、ぼくがこれだけ凄いことをしてるって知って貰えば、彼女は喜んでくれる…いやそれどころか僕の事を…」
想像が妄想にまで発展したらしく、青白い肌をうっすら桃色に染めていたりする。更に怖い。アンリはびくびくと怯えつつ、この主に捕まってしまった自分の運命を呪った。
「…よし、早速行って来よう。アンリ・マンユ」
「ハイ、魔神皇様」
それでも絶対忠誠の返事を返してしまう。契約と言うのは残酷だ。
「これから私は出かけるので、ここをきちんと片付けておくように」
「カシコマリマ――――エ」
頭を下げてからその意味に気づいた時には、既に白い学ランの姿は消えていた。恐らくアストラル移動を行ったのだろう。
「…ココ、全部?」
思わずぽつりと呟く。見渡す限り、豪奢な儀式用の用具があちこちに配置され、床には全面に白線引きで描かれた魔方陣。尚且つその周りにこれでもかと散乱したマンドラゴラの残骸。
大人しく掃除用具入れからモップを取り出しながら、魔王はちょっとだけ泣いた。





既に黄昏の帳が下り出した教室。殆どの生徒や教師は家路についてしまい、人影は殆ど無い。
「う〜…黒井くん、終わった〜?」
ぐんにゃりと溶けた声で呟くのは、先程話題に上がったD組の橘みかる。何故か彼女はE組の教室におり、隣の席に座っているこのクラスの生徒である友人、黒井慎二通称チャーリーに話しかけた。
「うんにゃ。お前何問まで行った?」
「…4番」
「俺より進んでねぇのかよ! ああーたりい」
彼らの前に鎮座しているのは、今回の学力テストで成績不振者に振舞われる居残り勉強。全学年でもう少し人はいたのだが、一人減り二人減り、ついにこの二人のみになってしまった。悪態をつこうが溜息を吐こうが、これを全て終わらせないと家に帰れない。どっこいどっこいの学力しか持たぬ二人は、熱暴走を起こしそうな頭を抱えて再びプリントに向き直る。しかし当然シャーペンは遅々として進まない。
「ったく…もう帰っかな」
「ああああ、待って置いてかないでぇ駄目だよー」
既にやる気は1年分の備蓄を使い倒したとばかりに、背凭れに体重をかけて椅子の足を半分浮きあがらせるチャーリーに慌ててみかるが縋りつく。二人だから何とか諦めずに作業を続けているのに、ここで一人にされたら心細くて堪らない。
「あっあっ、そうだ! ねっ黒井くん、休憩しよ? これ食べる?」
制服のポケットからみかるが取り出したのは、細い筒に詰まっている駄菓子のチョコレート。燃費が悪いのか単に口寂しいからなのか、彼女はしょっちゅうこうしてポケットに駄菓子を入れて口に放りこんでいる。それでいて身体は横は愚か縦にすら伸びないのだから、そのエネルギーがどこに行っているのか非常に気になるところではあるが。
「おう、貰う。寄越せー」
「うん。はい、あーん」
暇潰しが出来るのなら何でもいいと、チャーリーは手をひらひらさせる。みかるは何の躊躇いも無く、手の中にカラフルなチョコの粒を取り出して、一個抓むと立ちあがってチャーリーの顔に近づける。普通ならやや面食らう行動だが、チャーリーはみかるの事を「ガキ」と認識しているし、こんな彼女の行動は日常茶飯事であるので今更動揺したりもせず、普通に口を開けた。
『却ぁあっ下ああああっっ!!!』
「ふやああああっ!!?」
「うおおあああ!?」
がたーん!!
唐突に。本ッ当に唐突に、教室中に声が響き渡った。思わず悲鳴をあげるみかると、驚愕に思わずバランスを崩して椅子ごと後ろに引っくり返るチャーリーを無視し、他に誰も居なかった筈の教室のど真ん中に現れた白い影は、実体を持って床に降り立った。
「貴様、俗物の分際で橘さんに何をしている―――ッ!!」
「って、何しにきやがった狭間ァ―――――!!!」
スパカ――――ンッ!!
「かふぅっ!!」
偉そうな態度を崩さず、それでも涙目でチャーリーを指差す狭間に対し、素早く立ち直ったチャーリーが手元に落ちてきたカンペンケースを顔面に向かって投げつけ見事にヒットさせた。現象の理不尽さ以前にツッコミを入れてしまう、腐れ縁の友人に鍛えられた技能の賜物である。
「つーか思いっくそ虹色に光って現れんじゃねえよ! 白ランと相俟ってすげぇ目に痛ぇんだよこの根暗、宗旨変えしやが
ったのか!!」
「うわぁー! ねえねえ今どうやったの? 手品? 大脱出?」
容赦の無い糾弾を続けるチャーリーと、無邪気に尋ねるみかるに、痛みに顔を押さえて蹲っていた狭間は漸くよろよろと立ちあがった。その額をかなり赤く染めて。
「ふ…ふふふ、この私に狼藉を働くとは、命がいらないようだな…」
「あ? 何言ってんだお前、アタマおかしいんじゃねぇの。つかなんでんな偉そうなんだよパシリの癖に」
「ぱぱぱパシリって言うなぁ!」
どうにか立て直そうとした体勢を容赦なくひっくり返される。そう、所謂いじめにあっていた際、このチャーリーも小間使いとして狭間に買い出しを頼んだりしていた。嫌なトラウマをほっくり返されて狭間の余裕が崩れる。
「黒井くんっ、そんなこと言ったらだめだよー!!」
「あーへいへい」
と、ぷんっと胸を張ってみかるがチャーリーを諌める。「子供の正義感」をしっかり持っているみかるは、そういう行為を捨て置けないのだ。まるで庇うように間に立たれて、狭間の常にとぐろを巻いている陰鬱なオーラが若干点描に変わる。――――似合わない。
「橘さん…!! ふふふ…やはり君はぼくの天使…!」
うあ。痛ぇ。と思わず呟いたチャーリーに構わず、狭間のテンションは上がって行く。
「橘さん…私は何れ慈悲を失うこの世界の王になる。だが君だけは、罰を与えるのは忍び無い…君が望むのなら君を私の伴侶として魔界へ迎え、共に――」
「え、だめだよそんなのー」
ずっぱり。と音を立てるが如く、魔神皇の演説をみかるの言葉が一刀両断した。別に責める色は込められていなかったが、あくまでさらっと何てことの無いように言われると却ってダメージがでかい。事実ぴきりと固まった狭間は、そのままがくりと両膝を地面につける。「燃え尽きたぜ。真っ白な灰にな…」と言うぐらいに。勿論白いのは服のせいだが。
「だって『はんりょ』って結婚するってことだよね? あたしまだ16歳だもん。おとーさんとおかーさんのお許しがないと結婚したらいけないんだよー? おとーさん、あたしがいくつになっても嫁にはやらーん、っていっつも言ってるし。だから無理だよぅ。あれ? 狭間くん、だいじょぶ?」
「いや、橘良くやった。グッジョブ」
懇切丁寧に説明を続けていたみかるが、漸く蹲る狭間に気づいて心配そうに声をかける。近づこうとするのを止めて、チャーリーはぐっと親指を突き出した。
「寝言言ってんならとっとと帰れよ。あ待てよ、その前にこのプリントやっといてくれよ。俺らもう帰っから」
「あ、それはちょっと嬉しいかも…お願い狭間くん、教えてー!」
「ふ、ふ……ふははははははーっはっはっはっはっはっ!!」
漸く復活したらしく、ぎりぎりとぜんまい仕掛けの人形の如く狭間が立ちあがる。両手を広げ肩を揺らし、お約束のように笑いながら。
「どうやら君達は僕を本気で怒らせてしまったようだ…少々早いが何れ、この学校全てが私のものとなる。君達はその儀式における生贄としてあげよう…!!」
「おーい、とうとうイカれたかパシリ」
「だからパシリって言うなあああ!!」
半泣きになりながらも狭間は、魔力を集中させる。彼の力は、もういちいち召喚プログラムを起動させなくても、強力な悪魔を呼び出すことが出来るようになっていた。
「出でよ…我が僕、魔王アンリ・マンユ!!!」
ブワァッ!!と教室内の空気が歪む。何かが収束し、一瞬で弾ける! その圧力に、みかるとチャーリーは思わず目を瞑った。
「なっ、なんだぁ!?」
「ひゃああ!?」
圧力は、瞬間で立ち消えた。しかしそれと同時に、夕日に染まった教室があっという間に影に染まる。日が沈んだのではない。この教室内だけが瞬時に、異界へと変貌を遂げたのだ。そして狭間の後ろに―――黒い闇の塊が、居た。
まるで闇を凝り固めたような、悪魔の姿。瞳は虚ろな黒瞳で、目を合わせた瞬間その闇に引きずり込まれてしまうような否応無しの深遠。辺りには瘴気が立ち込め、人間の正気を少しずつ削り取っている。
「うっ…ぐ…」
吐気を催して、チャーリーは思わず口を押さえた。何が起こったのか等理解出来ないし、したくもない。だが今、自分が次の瞬間には簡単に命を落とされるかもしれない、という本能的な恐怖だけが身体を支配していた。怯えが充満したその瞳を見つめ、狭間は満足げに溜飲を下げる。そしてどうやって憐れな子羊達を甚振ろうかと、ゆっくり歩を進め―――
「す……っごおおおおおおおおい!!!」
喜色万面なみかるの叫びにより、力一杯つんのめった。
「すごいすごいすごい!! ねぇねぇこのひと狭間くんの友達!? 大きいね、かっこいいねっ!!」
みかるは興奮気味に、何の躊躇いもなくアンリに近づく。その声に恐怖も不快も無く、本当に―――自然に、自分の倍以上の身体を持つ魔王に対し、ぺこりっと頭を下げてみせた。
「はじめまして! 橘みかるですっ! 狭間くんの友達なんだよ、仲良くしようねっ!!」
本気だ。間違い無く彼女は本気だ。どう見ても異形としかとれない怪物を、自分の友人の友人である、と本気で認識しているのだ。だからこそ初対面のモノに対して、素直に名乗り頭を下げたのだ。それが当然の礼儀であるとして。
魔王もかなり戸惑った。自分は主の敵を殲滅する為に呼ばれた筈だ。しかし目の前に立つその「敵」である筈の人間は、自分を見て怯えの一欠片すら見せない。こんな事は紀元前から生きてきて、始めての経験だった。
時間が完全に止まる。ただ一人みかるだけが、返事を待ってん?と笑顔のまま首を傾げている。
ぎぎぎ、と音を立てて首を回し、狭間はチャーリーの方を向き。
「……どういう事だァ――――――!!!」
「俺が知るかああああああああ!!!」
すかさず全力で怒鳴り返すチャーリー。先程のみかるの行動で、完全に毒気を抜かれてしまった―――比喩無しに。今まで充満していたプレッシャーが粉みじんに砕け散ったのだ。非常識な光景など、それ以上に非常識な友人に塗り替えられてしまった。気が抜けて、がくりと適当な椅子に腰掛けた。
「た…橘さん、一体何を…」
狭間もあまりといえばあんまりな光景に立ち直れず、おずおずと声をかけるが、みかるはすっかり新しい友達(予定)に夢中だ。名前は? どこから来たの? チョコ食べる?と矢継ぎ早に問い掛けているうち、不意にもう一度首を横に傾げる。
「きみ、寒いの? くっついてれば、寒くないよ」
両膝を抱えて固まっているアンリをどう思ったのか。みかるは躊躇い無く魔王に近づき、ごわついた皮膚に覆われた膝に両手を回すと、ぎゅっ。と抱きついた。
「!!!!!」
狭間がこの世の終わりのような顔をしつつ固まる。魔王も生まれて始めて触れた人間の暖かさに呆然としている。自分に与えられる寒さは、永遠に消えるものでは無い筈なのに。
「うーん…あたしちっちゃいから、ちゃんとだっこできないや。ごめんね?」
申し訳なさそうに、みかるは謝った。その瞳に湛えられた感情は、子供の姿と精神に不似合いな程、どこか母親のような暖かさで―――――――
「……うわああああああんぼくは誰も愛さない―――――――!!!」
「あっ、狭間く―――んん!!」
本気泣きをしながら、アンリの襟首を引っ掴んで魔神皇は魔界に消えた。自分が欲しかったものを自分の下僕である筈の悪魔が横からひっ攫っていってしまったのだから、これは怒るのも無理はない―――例え本人否本悪魔にそんな気が無くても。
「…結局あのひと、名前なんて言ったんだろ…?」
「知らねぇよ…つーか帰る。俺は帰る。もうやってられるか」
狭間が消えた瞬間元に戻った教室で、ぽかんとしたまま呟くみかるを置いて、もう勘弁してくれとばかりにチャーリーは乱暴に鞄を掴んで歩き去った。勿論、課題のプリントは放り投げたまま。




その後何かに吹っ切れたように、狭間こと魔神皇は軽子坂高校を魔界に落とし、そこに君臨する事になるのだが―――八つあたりなのか何なのか、最強の配下であるアンリこと唯一悪を、自分の部屋の門番に厳命して二度と顔を会わさなかった、
のはまた別の話。
「……サムイ…」
やがて数々の試練を越えてある少女がここに辿り着くまで、彼の孤独は続く。
運命とはかくも残酷なものである。