時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

夢のまた夢。

「うーん…」
教室の机に座り、白いA4の紙を目の前でとっくり返しひっくり返し見ながら、みかるは溜息を吐いた。
「何似合わない溜息ついてんの?」
「あう」
ぐに。
と後ろからのしかかられてみかるは机の上にぺしょりとつぶれた。のしかかったのは勿論彼女の親友である白川由美である。そのままみかるの手から用紙を取り去り、ナルホドと鼻を鳴らす。
「進路相談ねぇ」
二年生ともなれば、それなりに将来を考えなければいけない時期。例えそれが狭い世界の中の局地的な知識の中から選ばなければいけないとしても。
「うー…ユミちゃんはどうするの?」
「あたし?」
重しから解放されてぐるんと座ったまま上を見上げる親友に問われ、ちょっと考えるように目を逸らす。
「そうねぇ…美容師系の専学、行ければ良いと思ってるけど」
「えぇえ! もう決めてるんだ…すっごーい」
「凄くないって。行ったからって就職できるとは限らないし、親も説得しないといけないし」
「でもでも、ちゃんと考えて決めてるんだよね? …凄いなぁ」
素直な尊敬の目で見られて、少し面映ゆい。
「凄くないってば」
「ひゃあー」
わしわしとショートヘアの頭を掻き回されてみかるが悲鳴を上げる。
「何や、何盛りあがってんの?」
ひょこっと顔を出したのは、学年一のお笑いコンビ(約一名非常に不本意)の氷冴とチャーリーだった。昼休みになったので階の違うE組からわざわざ引っ張ってきたらしい。
「あ、Dじゃ今日だったのかこれ。俺ら先週にもう貰ってたぜ」
みかるの机に置かれたままだった用紙を手に取りチャーリーが言う。と、その肩に長身を折り曲げて顎を乗せ、氷冴が問う。
「チャーリーなんて書いたん?」
「まだ出してねぇよ。っつーかまだ高二でこんなん書けるかっつーの」
「ホンマ!? 良かったぁ!」
「あ?」
一々もっともなチャーリーのぼやきに、何故か目を輝かせる氷冴。嫌な予感がしてチャーリーが後退る前にがっしとその手を取り、窓の外を指差して。
「見えるやろっ、あのお笑いの星が! さ、第一希望に『吉本』って書いてきてや!!」
「見えるかそして書くか――――!!」
ゴツッ。
ブーツを履いた足での蹴り技はなかなか凶悪である。顎にクリーンヒットした衝撃は流石の氷冴も昏倒させた。
「…懲りないわね、アンタらも」
即席漫才にぱちぱちと笑いながら拍手を送るみかると、呆れたように否心底呆れて呟くユミ。
「ええやんか〜。俺と一緒にお笑いの殿堂目指そうや〜」
「寝てろ」
ずみ。
「ぎゅふ」
床に突っ伏したまま踏まれて滂沱の涙を流す氷冴。いつものことなので最早誰も気にしない。
「うーん、でも本当どうしよー…」
ひとしきり笑った後、また机に突っ伏するみかる。ごろごろとその上で上半身を転がしながら悶えている。
「そんなに細かく考えることないわよ。こんなの最終決定じゃないんだし」
「せや、みかるちゃん小さい頃何になりたかった? それに関係したこと何か書いとけばええって。俺は当然吉本」
「だから寝てろ」
めし。
「ぐきゅ」
その悪魔並の体力で起き上がったはいいが、再び踏まれる。心なしか先程より大きく体重をかけられて。
「…んまぁ、別にそんなんでいいんじゃねぇ? どーせ先公もそこまで突っ込んで見やしねぇって」
そんなおざなりなチャーリーの返答をちょっと睨みながらも、ユミも肯く。
「まぁね。子供の頃なりたかった職業とか、ある?」
興味も手伝って問われたユミの言葉に、みかるは目をきらきらさせて起き上がり、大声でこうのたまった。


「アンパンマン!」


―――三つ子の魂百まで。
そんな諺が、其処にいた全員の脳裏に過ぎった。








「………馬鹿か。テメェは」
「何でぇ!? 子供の頃だもん! そりゃ、今もちょっとはなりたいけど…」
だからだ。アキラはそう突っ込みたかったが気力が無くなって、立てた片膝に自分の額を乗せた。
放課後、二人の逢瀬(…と言えるほど艶っぽくはないが)の場所となっている屋上の給水塔の裏で、みかるは足をぶらぶらさせて唇を尖らせた。
「だって凄いんだよ! 強いし、お腹へっても自分の顔食べれるし、そうだ鼻も小さいアンパンなんだよ! 凄いでしょ?」
アンパンマンが空腹に耐えかねて自分の顔を食べたという話は聞いたことが無いが。というよりあったらホラーだそれは。
痛んできた米神に指を当てて、苛だたしげに煙草をふかすアキラに、みかるはじいっと視線を向けて。
「…アキラくんには、夢ってある?」
素直な問いに、一瞬真剣に考えてしまった。夢。言うのも馬鹿馬鹿しい、夢物語。それでも。
「岡本のおじさんは『俺といっしょに世界を目指せぇ』って言ってたけど」
「…性に合わねぇ…」
「ふーん」
「…バイク」
「え?」
ぽろっと口を衝いて出た言葉に、自分でも驚く。しかし一言出すと、止まらなかった。
「…でけぇバイク…自分でチェーンした奴、使って。大陸横断して。エジプトまで行って見てぇな」
とても叶わない、子供のような夢。それでもいざとなると口からすらすらと出てきた言葉に、意外に自分が真剣だったことに気付き、苦笑いしか口に浮かばなかった。
馬鹿馬鹿しい、と笑い飛ばそうとした時、
「…かっこいい…!!」
「………」
紅潮した頬で、きらきらと目を輝かせて言われて。皮肉を出せなくなった。
「すごい、いいなぁ! あたしもそういうの、やってみたい! かっこいい〜!!」
本気の視線で両手の握り拳を胸に当て、わくわくと身体を揺らす。
「ねぇ、あたしも行きたい! 一緒に行ってみたいよう!」
「ばッ……」
馬鹿か、と静止する前に、腕をがっしと掴まれた。
「ねぇ、お願い! 一緒に連れてって! あたしもバイクの免許取るし! 二人なら寂しくないよ!」
彼女の言葉にも瞳にも、一欠片の冗談も見つからなくて。
『二人なら寂しくないよ』
そんな台詞が、酷く嬉しくて。
「馬鹿野郎が…」
「あう」
ぺしっ、と軽く頭を平手で叩いて、先に一段高い屋上から飛び降りる。
「夢なんざ、叶わねぇから夢なんだよ」
それだけ言って、屋上を去った。
「あー、待ってよー!!」
すぐさま追いついてくるのが解っていたから、その歩みは幾分ゆっくりだったけれども。




他愛の無い夢。
それでも皆、それをどこかで諦め切れず、現実に押し流されながらも、毎日を歩んでいく。



「僕の夢は――――」

生きることは一寸先が闇で、次に何が起こるか分からないことにも気付かずに。


「破滅を。贖罪を。懺悔を。快楽を。怨嗟を。―――回帰、を」


自分の未来が、唐突に変わってしまうことにも、気付かずに。


「ははは……はっはっはっはっはははっはーっははは!」


足の踏み出したその先が、崖の縁であることにも気付かずに。