時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Stand by me.

「おい、お前! まさか追いかけるわけじゃないだろうな」
七つの大罪、憤怒を司る異形の魔宮の中、チャーリーの怒鳴り声が響く。怒鳴られた相手…氷冴は、いつものような人のいい笑みを浮かべて返す。
「龍一もガンバッとるけど、ここで一人は辛いやろ? なんか、手助けしてやろうや」
暢気としか取れないその答えに、チャーリーの頭に完全に血が昇った。
「…そうかよ。じゃあ勝手にしな、俺は一人でズラかるぜ」
「………え?」
一瞬、氷冴の表情が無くなる。チャーリーの頭に罪悪感が走りぬけるが、感情が抑えられない。
「…嫌やなあ、チャーリー。冗談キッツイで、こんな時に」
また、へらりとした笑顔に戻る。いつも彼の顔に貼りついている、作り物の笑顔。それを作り物だと気がついているのは恐らく、彼の親友であると銘打たれている(本人は嫌がっているが)チャーリーのみだろうが。
「テメェは龍一と一緒に、ハザマのご機嫌でも取ってろよ。…じゃあな!」
踵を返す。本当に、もう未練が無いと言うように、荒い足取りで去っていく。
「チャ…!!」
使い尽くしている感のある仇名を呼ぼうとして、背中に手を伸ばして―――ふっと、肩の力を抜いた。その内に、見慣れた金色の髪は角を曲がって見えなくなった。
残された氷冴は、伸ばした手を額にやって、くしゃりと茶色の髪に指を突っ込む。
「…上手くいかへんなぁ……ホンマ…」
小さく、呟いたその顔には、いつも浮かべるものとは違う…自嘲の笑みが貼りついていた。





ムカつく。ムカつく、ムカつく、ムカつく!
「だー! ったくよう!」
苛立ちを大声に昇華して、チャーリーは不気味な文様のついた床を思いきり蹴った。
何でこんなに腹が立つのか。
人を掌の上で躍らせているハザマか?
自分の女一人守れず、人に迷惑をかける龍一か?
不平を言わず龍一を助けるという氷冴か?
それとも…………
「…………畜生」
自分一人だけ助かろうともがく。こんな世界ではそれが当たり前だというのに、それでも人を助けようと思える氷冴に、……嫉妬、した。
しかし同時に腹も立てている。そんな事を続けていたら痛い目を見るのは自分なのだ。それをアイツは解ってるのか!?
「…あの馬鹿」
「けんかしちゃったの?」
「んどぅわぁ!!」
いきなり至近距離で声をかけられて、文字通り飛びあがった。声の正体は…いつのまにか制服のポケットから透明な羽根を覗かせている、ピクシーだった。本来氷冴の仲魔のはずなのだが、チャーリーは何故か妖精や夜魔に好かれやすい。彼女も始めて仲魔になったときからずっとチャーリーに懐いている。こっそりついてきたらしい。
「な、何だ…お前かよ。脅かすんじゃね―よ」
「お兄ちゃん、マスターとけんかしたの?」
彼女は氷冴の事を「マスター」チャーリーの事はお兄ちゃんと呼ぶ。
「……まーな。それより何でついて来たんだよ、ご主人様はあっちだろ」
「え〜、ピクシーお兄ちゃんといっしょがいい〜」
肩に両手で掴まっていやいやと首を振る。その仕草に頭痛を覚えつつ、チャーリーは溜息を吐いた。
「なんかお前と話してると、悩むのバカバカしくなってくるな。………どう考えても俺が悪い、か…」
「なんで? お兄ちゃんは悪くないよ。だってじぶんがたすかろうとしてるのに、ほかの人をたすけるなんて変だもん!」
「…お前らは、それが普通なんだよな。けど…人間の世界じゃ、俺みたいな奴はヒトデナシって言われるんだろうぜ」
本当は、羨ましい。あそこまで、他人に対して強く優しくなれることが。自分には絶対に出来ない。自分さえ良ければいいと駄々をこねている自分には。
「……愛想つかされて当然、か」
別れたのは俺のほう。切り捨てたのは……アイツのほう?
「情けねー……」
「お兄ちゃん…泣いてるの?」
迷宮は広がる。囚われ人の慟哭と、それを目指す者への憤怒を飲みこんで。




「おりゃあああっ!」
鞘から抜き放った一振りの刀。それが音楽を奏でる堕天使を、一瞬のうちに葬った。
「見事ダナ、ますたー」
ケルベロスが感嘆の声を上げる。それにも、氷冴の顔は緩まなかった。
笑みがない。彼の顔にいつも貼りついていた笑顔が無くなっている。別人と思えるほどにその顔は冷たく冴え冴えとしていた。名前負けをしないほどに。
「さてと…ええ加減にせぇよ。いつまで人ォこき使えば気ィ済むんじゃ、ボケ」
ぴっと刀の血糊を払い、誰もいない空間にドスを効かせる。程なく、笑いの混じった答えが返ってきた。
『ククククク…随分とご立腹のようだね? もう無理な命令を聞くことはない、早く麗しき恋人達を助けておあげ』
「……………」
無言のままに、歩き出す。背中に怒りが篭っているのが解る。ハザマに対するどうしようもない怒りと苛立ちを抑えきれていないのだ。地獄の番犬が一瞬、声をかけるのを怯むほどに。
「…ますたー」
「…ん? どした?」
一拍置いて振り向いた時には、いつもの笑みを浮かべたつもりだったが…目の前の魔獣が緊張している所を見ると、上手く行かなかったらしい。そう思っても、氷冴は黙ったまま次の言葉を待った。
「皆、疲レ切ッテイル。奥ニ行ク前ニ少シ休モウ」
「あ、せや…な。ほしたら、回復の泉いこか」
本音は、今すぐ最奥まで斬り込んでいきたかったが、魔獣の忠告に我に返った。
自分一人だと思うと、どうしても後先考えずに行動してしまう。乱暴に首筋にかいた嫌な汗を拭い、氷冴は元来た道を戻り出した。




「はー。生き返るー…」
泉で人心地ついて余裕が少し出た氷冴の脳裏に、ふと悪友の顔が浮かぶ。
「チャーリー…だいじょぶやろか…」
魔法が使えるとはいえ、一人でこの魔界を歩くのは自殺行為だ。いくら「魂の死」が無いとしても傷ついて身体が冷え意識が途切れるあの感触は何度も味わいたいものではない。
「…アノ男ノ心配ヲシテイルノカますたー」
「んー。…やっぱ、あいつから見たら俺は偽善者なんやなぁ…」
返事の後の言葉は本当に小さく、ぽそりと呟いた。ケルベロスは無言だ。
「ケルちゃん、ちょいとヤボな話するけど、つまらんかったら聞き流しといてええで」
膝の上に乗せられた頭の銀色の鬣をそっと撫でてやる。また応えはない。目を閉じているが耳は時折ぴくぴくと動いていた。
氷冴もそれ以上強要することなく、目を空に泳がせながら言葉を選び出す。
「俺な、中学の頃めっちゃ荒れててん。周りみーんなつまらんくて、腹立ってしょうがなくて、喧嘩三昧やっとった。気ィついたら、周りにだーれもおらんくなっててな」
淡々と、自嘲的な笑みを浮かべたまま氷冴は続ける。
「そん時始めて、寂しうなったんや。何とか仲良くなろ思て、色んな奴に話しかけた。けど、みーんな俺のこと、怖がんねん。そうされると、俺頭に血ィ昇って、何するかわからんくなるんや…」




「…魔波電撃maha-zionga!!」
ビバシバシバシッ!!
チャーリーの指から放たれた電撃が、周りの悪魔を打ち倒した。
「はぁ…あらかた片付いたか…」
倒したはいいが、こちらの精神力も限界に近い。パートナーと違って、腕一本で悪魔と戦う度胸は無かった。
「お兄ちゃーん、こっちに回復の泉があるよー!」
「おっ、ありがてぇ!」
意気揚揚と中に入ろうとし…ばばっ! と岩陰に隠れた。
「お兄ちゃんどうし…むぐ」
慌ててピクシーの口を塞ぎ、中を窺う。
(何であいつら、こんなとこにいるんだよ〜!!)





中の氷冴は外の気配にも気づかず、懺悔の様に話しつづけている。
「転校してきて、もう前と同じ間違いせぇへんって決めた。自分抑えて笑てれば、みんな笑い返してくれる。ええカッコして、『いい人』やってれば、誰も俺のこと村八にしたりせぇへん…けど、チャーリーは騙せへんかった」
扉の外で、自分の名前がいきなり出てきたのを聞いたチャーリーが息を呑む。
確かに。誰にでも笑っているあいつの顔がどうにも嘘臭かったから気に入らず、それを難癖つけたのは自分だ。その時奴は、ついさっきの様に表情を無くした―――あれが、コイツの素の表情なのだろう。
「あいつに言わせれば、俺なんかタダの偽善者なんや。…俺は、あいつの方が羨ましい。自分全部、表に曝け出して笑ってられる…あいつの方が、めっちゃ強いんや。俺には、そんなこと怖ぁて出来ん。嫌われるの、怖くて、本音も言えん」
握り締めたチャーリーの拳に、力が入った。




「何甘っちょろいこと言ってんだよ、馬ー鹿」
「!!?」
「マスターごめんね、聞いちゃった」
「オ前達……」
「あああああチャチャチャチャーリィー!!? なにウソ、いつからおったん!!?」
「あー…転校してきて、の辺りから」
「………ウソぉ……」
驚きで立ち上がった氷冴が、顔を真っ赤にしてずるずるぺたん、とまた座りこむ。頭を抱えたその横に、チャーリーが腰掛けた。
「…チャ「あぁーうるせえ!! 何も言うな!」
そっぽを向いた顔が赤い。でも多分、自分の方が滅茶苦茶赤いだろうと氷冴は思った。
「…ったく。独り言だからな。…テメェの本性知ったくらいで、俺がダチ止めるとでも思ってんのか?」
「え、…それって」
「るせぇ! 独り言だっつっただろーが!」
「はいい!!」
明後日を向いたまま怒鳴られて、反射的にそこに正座する。
「…あー…、つまり…だな。偽善だって、思ってんなら、貫き通せよ。死ぬまで偽善やり通せば、立派な聖者様だぜ。それぐらいやって見せやがれ、俺のダチならな!!」
らしくない。本当にらしくない。こんな台詞、もう一生言わないだろう。封印してやる。
目を逸らしたままチャーリーは喋っていたので気づかなかっただろうが、その言葉を聞いていた氷冴の顔に、徐々に笑みが浮んでいた。いつもの、自分を掴ませない軽い笑みでなく…心からの、明るい笑顔。
「チャーリー! 大好っきやぁ―――!!!」
「どわぁあっ! バカヤロ、抱きつくな気色悪ィ!!」
「おおきにぃ…ホンマ、おおきにな、チャーリー…」
「…うっせーよ、バーカ」
礼の言葉に涙が混じっていることに気づき、苦笑してでかい子供の頭を軽く叩いてやった。