時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

錯綜鎖

しん、と静まり返った寝室、薄布で区切られた豪奢な寝台の上。
「………んー…」
もぞもぞと動く音と共に、間抜けな寝惚け声が聞こえた。
敷布の中からぽこ、と茶色い頭が飛び出す。今にも落ちそうになる瞼をくしくし擦りながら、寝台の上を見渡す。
起き上がった少女以外の人影は無く、敷布に温もりすら残っていない。何度もその敷布の上を叩き、漸く諦めたらしく―――彼女はもう一度柔らかな床の上に寝転がった。
「…さみし……」
ぽそりと呟いた本音は誰に聞かれることもなく崩れて消えた。
魔界の一国を治めている自分のパートナーである魔人は、とにかく忙しい。声を交わすことは愚か顔すら見れない日がもう暫く続いている。
「つまんないよー」
ころころころ、と寝台の上を転がる。包まっていた白布が置いていかれて広がる。
「アキラくんに会いたいよー」
またころころころ、と今度は逆回転。白布の端を掴んで自分を中に巻き込む。
「のり巻き」
何の意味もない。はぁ、と一つ溜息を吐いて、みかるはのそのそと即席のり巻きから這い出した。
力が唯一の秩序となるこの魔界で、一国を治めるということがどれだけ大変かということは解る。まともにぶつかり合う戦の他に、権謀術中、腹の探り合い、何でもありだ。そんなことに自分は役に立たないのも、彼が―――アキラ自身が、自分をその手のことに巻き込みたくないと思っているのも知っている。
その気持ちは素直に嬉しい。でもそれ以上に、自分も彼を守りたいと思っている。その気持ちは初めて出会った頃から変わっていない。
「何か、出来ること無いかなぁ」
ぽそり、と呟き。みかるはぱっと顔を上げた。悩み沈み込む時間はもう終わりだ。気が済むまでそうしたら後は上に向かって駆け上がるだけ。彼女はずっとそうしてきた、そうやってここまで来た。
「…よぉっし! 頑張るぞーっ!!」
行動は素早かった。寝巻きを放り捨て、服を着替え、愛用のCOMPを腕に付け、剣の化身である赤い宝玉の首飾りを下げる。戦闘態勢を整え、意気揚々と部屋から駆け出して―――気がついた。
「…アキラくんどこにいるんだろ…?」
折角湧き上がっていたやる気がくにゃりと沈む。いつもなら自分にひたすら甘いエジプトの仲魔達も、この手のことに関する口は固い。この点に関して、王と彼らの意思が「みかるを危険な目に遭わせない」に一致しているからであろう。
むぅ、と唇を尖らせながら廊下を歩く。と、向こうからヒホ、ヒホ、とおなじみの声が聞こえてきて、みかるははっと顔を上げて駆け寄った。
「ヒーホーくーん!」
「ヒホ?」
思ったとおり、廊下の先にあるベランダで、みかるが偽りの魔界に落とされた頃からの「友人」であるヒーホーくんことジャックフロストが、他の子供悪魔達と一緒に遊んでいた。
「ヒホホ〜久しぶりだホ〜」
「ヒーホーくんヒーホーくん、アキラくんどこ行ったか知ってるー?」
「ヒホ? あの怖い兄ちゃんなら出かけたホー。でも行く場所は言っちゃいけないって言われてるホー」
「うー、どうしてー?」
首を傾げた雪だるまは、開いたままの口を閉じる為に両手で塞ぐ。諦めきれずに歯を食いしばるみかるに、ジャックフロストはちょっとだけ困り顔になった。
「だってこれから隣のコウテイの国と一戦やらかすからホー。コウテイはともかく、下についてるシユウやトウテツは荒っぽいから、絶対戦いになるってセベク達も言ってたホー。だからお姉ちゃんには知らせちゃダメだって…あれ? お姉ちゃんどこ行ったホ〜?」
フロストが再び首を傾げた時には、廊下には慌しい足音しか残っていなかった。


×××


「たしか、この辺…! ビャッコ、止まって!」
背中に乗せた主の声に答え、白い虎はその走りを止めた。グルグルと喉を鳴らし、自分の傍に降り立った少女に顎を擦り付ける。自分の顔を一飲み出来るであろうその巨大な顎を撫でてやりながら、みかるは辺りを油断無く見渡す。
砂漠が途切れ、岳山と森林が多くなってきた。ここから先はコウテイ―――中国を央として四海を制した王の領地となっている。信仰によって神格を得た彼は、今も尚名実共に王として人々の上に立っている。
彼も元来争いを望む性質ではない。敵に容赦はしないが自ら攻めることも無く、砂漠の国とはお互い不干渉を貫いていた。しかし先日、国境付近をトウテツの群れが荒らしたらしいという報告が入り、真偽を確かめる為に不死王自らが出向いたのだ。王自身はともかくお互いの側近に血の気の多いものが多く、容易く争いに発展することは容易に知れた。
やはりここは魔界、力で相手を踏み躙るのが当たり前の世界だからだ。
「…でもそれなら、あたしでも役に立てるよね」
我ながら悲しいが、頭を使った国営など自分では何の役にも立たない。その代わり、この腕は剣を振るえる。この身体は愛しいひとの盾となれる。それに喜びを感じるのに躊躇いはない。
「まずは行ってみよう! ビャッコ、戻って!」
腕に付けられた機器を操作し、白い虎をストックに戻す。迂闊に自分の仲魔を連れて行き、相手を刺激したくなかったからだ。こう言うときっとアキラは暢気なことを、と呆れて怒るだろうが、みかるは自分の矜持を変えるつもりは無かった。どんな相手にもまず話してみなければ始まらない。高校生の頃、初めて異形との戦いを余儀なくされた頃から―――例え自分の体に傷が増えても、譲れない思いだった。
しかし、それが拙かったのかもしれない。
「――――ッ! 誰?」
気配を感じた時には、囲まれていた。
「ニンゲンだ」
「ニンゲンだぞ」
「美味そうだ」
「美味そうだ」
しわがれた声が木々の間から沸いて出る。二本足で立ち上がることの出来る羊だが、その顔は紛れもなく人の形をとっている。中国では恐ろしい四体の化け物「四凶」と呼ばれたものの一つ、トウテツだった。顔に凶悪かつ貪欲な笑みを浮かべ、みかるを取り囲んだ。
「こんにちは! 橘みかるですっ! ねえねえ皆、アキラくんどこにいるか知ってる?」
普通は恐ろしくて足の一つも竦ませるところだったろうが、生憎みかるはその辺普通ではない。明るく挨拶すると共に、躊躇い無く自分のパートナーの名前を出す。今まで見たことのない反応に、トウテツ達も戸惑っているようだった。
「ナンだコイツ」
「ヘンな奴だ」
「だが、美味そうだ」
あからさまな食欲の視線を向けられてもみかるは全く怯まない。
「知らないんだったら、良いや。探すから、ここ通して」
「逃がすか」
「久々の獲物だ」
「コイツは、アレだ。あの『出来損ない』の妻だ」
「弱くなっただけでなく、ニンゲンを娶ったという噂は本当だったか」
一歩踏み出したみかるの足が、止められる。更に囲いを厚くした動きにではなく、その中の一体が放った声のせいで。
「…アキラくんは、弱くなんかないよ」
「ナニ?」
「アキラくんはっ、弱くなんかないよぅっ」
子供のような、駄々の筈だった。それなのにトウテツ達は、思わず後退ることになった。目の前の少女の気配に、強烈な力が宿ったからだ。ぎゅっと唇を噛み、両手を握り締めているみかるの大きな瞳は、僅かに潤んでいたが雫を零れ落ちさせることはしなかった。
怒り、ではない。悲しみ、でもない。―――悔しかったからだ。
「アキラくんは、強いんだからっ。アモンさんと合体する時も、ちゃんと自分で選んで決めたんだからっ」
彼が突然叩きつけられた理不尽な運命に、どれだけ苦しみ、抗い、そして打ち勝ったか。彼女は知っている、ずっとずっと傍に居たのだから。
「誰かの為に戦えて、誰かの為に頑張れる、本当に強くてかっこいいひとなんだからっ!」
ぎゅっと首から提げた珠玉を握り締めて念じると、轟!と焔を巻き上げてそれは刀身に変わる。群れが色めき立ち、殺気が膨れ上がる一瞬前。新しい気配が、みかるの後ろに立った。
「…恥ずかしい御託並べてんじゃねえよ……」
「ふぇ? ……アキラくんっ!!!」
いつの間に現れたのか。みかるの後ろに立ち、呆れ混じりの溜息を吐きつつも、相対する群れを猛禽の瞳で睨みつけているのは紛れもなくアキラだった。その魔力の大きさに、トウテツの群れの囲いはますます広がる。
「…お前達の王は、今回の件をお前達の独断専行だと明言した。異を放った輩は全て私が叩き潰した。…貴様等にも身の程を知る為の対価を払ってもらうぞ」
悪魔の群れに向かって放つは正しく王の言葉。萎縮しかける群れの中に、それでも逆らおうとする数匹がキシャァッ!と声を上げてみかるを狙おうとする。
ゴウッ!! ドパァンッ!!
「ギャアアアアッ!!」
しかしその身体は辿り着く前に焔の剣で打ち払われ、魔力の衝撃波で潰された。こんな動きは、打ち合わせが無くても簡単に出来る。―――ずっと傍にいて、戦ってきたのだから。
「―――行くぞ、みかる」
「うんっ!!」
声を交わすのも一瞬。後は何も言わず、敵の群れに向かって駆け出した。


×××


「…で、だ」
「……ハイ」
砂の国の宮殿に戻ってきて。寝台の上に腰掛けたアキラの膝の上に更に腰掛けて向かい合ったみかるは、苛立ちの篭っている眼差しに大人しく頭を下げた。
「何で追ってきた」
「…アキラくんの、役に立ちたかったから、です」
「…何であそこに居た?」
「詳しい居場所が解んなかったから、誰かに聞けば解るかなって思って。そしたら、アキラくんの悪口言われて…怒っちゃった。…ごめんなさい」
結局邪魔をしてしまったのだ、とみかるは落ち込む。この世で一番嫌なことは、彼に迷惑をかけることなのに。
じわ、と目尻が緩んだ為、隠したくてぎゅっと相手の首に抱きつく。と、何の抵抗も無くアキラの身体ごと寝台の上に倒れた。
「…? アキラく、わぷっ」
上げようとした顔を胸の上に押さえつけられる。自分より一回り小さな身体を自分の上に抱きかかえたアキラは、眉間に皺を寄せたまま片手でぐしゃりと髪の毛を押さえた。
「この、馬鹿が。何て顔してんだ」
目を逸らしながらも、みかるの頭を長い爪で傷つけないようにそっと撫でている。その暖かさを心地良く感じていたみかるの身体から強張りが解けていく。
「アキラくん…怒ってない?」
恐る恐る聞いてくる声に、怒れるか馬鹿、と心の中だけで叫ぶ。とても素面でそんなことを口には出せない。
この少女が動いたのも怒ったのも、全て自分の為。あからさま過ぎる好意はとても擽ったく恥ずかしいものであったが、不快でないことも事実で。
彼女が傍に居るだけで自分は救われているというのに、更に自分を甘やかそうというのか。
負け続けの自分がどうにも悔しくて、アキラはみかるの身体を上に引き上げてそのまま口付けた。
「ん? む…ぅ、ン」
「っふ…」
戸惑い気味の相手の舌も、すぐに嬉しそうに絡んでくる。暫く遊ぶように唇を交し合い、身体の場所を変えないままに衣服を取り去った。
「ん、ひゃ、ぅ、ッン!」
下方から肌に熱い舌が押し当てられる不思議な感触に、小さな身体が痙攣する。胸の先を大きく含み歯を立ててやると、びくんと反り返る。
やや動きにくい体勢だったが、ぴったりと吸い付いてくる彼女の肌は悪くなかった。焦らすように臍の辺りをついばんでやると、小さな悲鳴が聞こえた。
「ゃ、ゃ、アキラ、くっ」
痙攣する太腿が擦り付けられる。答えるようにそこを両腕で抱え込み、近づいた花の中心を甘噛みする。
「や! ひゃぅ、ぅ、んっゃあー…!」
秘部だけを相手に晒している格好の恥ずかしさから、顔を真っ赤にして首を振るが、アキラは我関せずに溢れた蜜を啜る。何度も繰り返してやると、我慢が出来ないとでも言うように腰が揺れ、男を誘った。
「…欲しいか?」
「んっ、うんっ、」
低い声の問いにもう恥も外聞もなくこくこくと頷くと、ずるりと身体を引き摺られた。戸惑っているうちに、未だ寝転がったままのアキラの腰の上にすとんと座らされて、みかるの頬が限界まで赤くなった。
「ぅや、やだっ、」
恥ずかしさのあまり足をばたつかせると、それを掴まれて動けなくされる。明確な欲の篭った視線がアキラから突き刺され、みかるは逃げるように相手の胸の上に突っ伏する。
「やっぱり、おこってる…」
「あ?」
「アキラくん怒ってる…ごめんなさい…」
どうも羞恥心を煽る行為を仕置きであると解釈したらしい。首筋に顔を摺り寄せながら詫びる姿は大層そそるものがあったが、そんなつもりのなかったアキラは身体を起こし、両腕でしっかりとみかるを抱き寄せた。
「違ぇよ、馬鹿。…ちゃんとしてやる、来い」
「う、うん…っ」
向き合って抱き合う体勢をとり、ゆっくりとその身を繋げた。
「ん、く、ぅゅぅ…っ!」
「ッ…く!」
身体がきちんと繋がり、ひとつになる。苦しいけれど安堵の方が強く、衝撃をやり過ごしたみかるは満足げに息を吐く。
―――どんなにお題目を並べてみても、本当の気持ちは唯一つ。
離れたくない。
一度離れてしまった後悔は、飽きるほどした。今度出会えたら絶対に離れないと誓ったのだ。
苦しい息の下からそれでも甘えるように身を摺り寄せてくる少女に、アキラもその思いを理解した。一度彼女を突き放した身としては、罪悪感が胸を焦がす。
それをかき消すように、只管動き、頂点を目指した。甘い悲鳴が掠れて、意識を飛ばすまで何度も。
「ッァ! ぁ! ぁ――――…ッ!!」
「…っう! く…!」
がくりと支えを失う身体を素早く抱き寄せて、耳元で囁く。
「…今度は、連れてってやる」
自分以外の全てを捨て去って傍に居てくれる彼女をこれ以上心煩わせたくない気持ちはあれど。結局のところ離れたくないのは、自分も同じなのだ。
声が届いたかどうかは解らないが、意識を拡散させる寸前、みかるは本当に嬉しそうに―――笑っていた。