時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

魔界に太陽は無い。
あるのは常に中天に在る、赤く輝く月だけだ。
故に、建物の中などには光源が必須になる。砂礫を組上げて作られた荘厳な宮殿にも、廊下の端々に松明が備え付けられている。
ひんやりと静かなその廊下に、ぺたぺたと小さな足音が響く。暗く、不気味な空気すら醸し出す空間にその音は全く不似合いだが―――、最早この宮では当たり前になった音でもあった。
音源である少女は、冷たい床の上に躊躇わず裸足を降ろして駈けて行く。白い薄布で織られた服を翻して走るその姿は、どこか幽霊を連想させた。
勿論、しっかりある彼女の足と、その顔に浮かべている満面の笑顔を見れば、すぐそんな考えは吹き飛んでしまうだろうけれど。
誰ともすれ違わない廊下を走り抜け、やがて彼女は目的地の豪奢な扉の前に立ち止まり。
その扉を、開いた。




地獄の大公が一人、ルキフグスは緊張していた。常に不遜に構え余裕を崩さない彼がこのような立場に陥るのは、彼が唯一崇めるべき混沌の王の前に立つ時以外は有り得ない筈なのに。無意識の内に部屋全体に張り巡らされている相対する者の重圧によって、彼は頭を垂れざるをえなかった。
魔界の西の外れ、この世界では珍しく独立した自治を保っている、砂の国の王宮。その謁見室にて、ルキフグスはかの国の「不死王(ファラオ)」と対面していた。
勿論、この世界で「王」を名乗るのならばそれだけの力や覇気は当然持っているもので、珍しくもない。しかし彼は心の中で自問自答を続けていた、何故―――、半分人間である筈の者が、こんなにも強い魔力を持ち得るのかと。
不死王がある事件により、脆弱な人間の体と合体したのは彼も聞き及んでいた。だからこそ、どこか緊張感も無く、自分の仕事である魔界の通貨流通の様子を調べる為にこの砂漠の国まで戯れに足を運んだ。有体に言えば、退屈であったし、つい十数年ほど前に立った王など舐めきっていた。そして対峙して―――後悔した。
コレはその気になれば、指一本動かさず、また何の躊躇いも無く、自分を灰燼に帰すことが出来るだろう。ルキフグスは何百年ぶりかで自分の首筋に冷や汗を感じた。
次の瞬間、彼は膝まづいて伏礼を取っていた。歴然とした力の差は、魔界において唯一の秩序。逆らう事など出来ない―――出来る筈が無い。
その態度にも、王は顔色一つ変えず、座の後ろに控えていた鰐の将軍と猿の宰相も最低限の礼を交わした後は何も言わない。
一人慄く彼は、どうにか気取られぬ程度に呼吸を整え、再び話し始めようと―――――
ばたーんっ!!
「アキラくんアキラくんっ、いるー!?」
した瞬間、豪奢で巨大な謁見室の扉が思い切り開かれ、同時に甲高い声が背中から自分に襲い掛かった。
「!!!!!」
咄嗟の事に心臓を口から飛び出させかけたルキフグスは体勢を立て直すことが出来ず、んごっ。と床に額をぶち当てた。
「………あれ?」
しん、と辺りが静まる。今までの空気を粉みじんに破壊してしまった少女は、自分のやらかした事に漸く気付いたのか、ぱちくりと大きな目を瞬かせ、いけなかった?とでも言う風に首を傾げて見せた。床に突っ伏したまま動けない客人の向う側―――玉座に座ったままの王に向けて。
「……………」
漸く身を起こしたルキフグスは、再び信じられないものを見る。全く今日は度肝を抜かれ過ぎだと自分を叱咤しながら。
あれだけの重圧を放っていた不死王が、酷い頭痛を堪えているかのように、思い切り寄った眉間の皺を隠さないまま片手で頭を抱えている。座の後ろに控えていた彼の部下も、目を逸らして笑いを堪えている。信じられない不敬の筈なのに、王は咎めもせず、少女は変わらず自分の後ろに立っている。
「……………来い」
はぁ。と部屋中に響く重い溜息を一つ吐き、王は節くれだった腕を伸ばして軽く指を曲げた。伸ばされた少女はぱっと顔を輝かせ、客人の横をすり抜けて玉座まで走る。そして躊躇うことなく、座ったままの王の膝にひょいっと飛び乗った。
「!!!」
驚愕のあまり大口を開けてしまったルキフグスに構わず、王はぞんざいだが決して乱暴にはせず、少女の身体を片腕で抱き寄せる。自分の膝の上に横座りさせたまま、何事も無かったかのように口を開いた。
「…すまんな。話を続けてくれ」
「は、はい。それでは―――」
慌てて膝まづき、再び顔を伏せたルキフグスは、しかしぐるぐると頭の中で別の事を考えずにはいられなかった。信じられなかった。噂話として聞いてはいたが、まさかと思っていたのだ。そんな事があるわけがない、と。
曰く―――――砂の国の王は、后に人間の娘を娶った―――と。





「…おい。起きろ」
「ん―――…ぅ?」
軽く身体を揺り動かされて、みかるは漸く眠りの淵から戻ってきた。
くしくしと両目を指で擦って、漸く自分がどこにいるのか理解できたようだ。謁見室にはもう、彼女ともう一人以外誰もいない。つまり、彼女のベッド代りになっていたこの国の王―――人であった頃の名前をアキラという―――だけ。淡々とした会談は、彼女に取って子守唄かドルミナーにしかならなかったようだ。
「あれ? お客様帰っちゃったの?」
「ああ。お前がぐうすか寝てる間にな」
「うぐ」
流石に恥ずかしかったのか、みかるが喉の奥で呻き声を上げる。ふ、と吐息だけで笑って、アキラは小さな身体を抱き抱えて立ちあがった。
「で? 一体何だったんだ、用は」
「あっそうだ! あのねっ凄い大変な事が解ったの! ハトホルに教えてもらったんだけどねっ、あのねっ」
ばっと身体を起こし、目を輝かせて嬉々として話し出すみかる。しかし途中で言葉が止まってしまい、如何したと目線で促すアキラにてへ、と笑い。
「………びっくりしすぎて、忘れちゃった」
あまりと言えばあんまりな、同時に全く持って彼女らしいその台詞に、アキラは溜息だけで応える。
「寝惚けてんのか、馬鹿が」
「ち、違うよ? ほらあるでしょ嬉しいこととか美味しいこととか、びっくりしすぎてうわーって驚いて、それで何で驚いたのか忘れちゃったとかっ」
「ねぇよ」
「うううう」
言い訳を一刀両断されて、みかるは下唇をぎゅっと上げて唸るが、自分を運ぶアキラの足が宮の奥に向かっていることに気づいた。
「あれ? こっちアキラくんの部屋だよね?」
「ああ」
「なんで? お仕事は?」
ここ数週間の間―――といっても月の満ち欠けのみで数えるちょっと心もとないものであったけれど―――、アキラはずっと、この辺りの他勢力の代表と話し合ったり小競り合いを起こしたりする、所謂外交に力を注いでいて、滅多に部屋に帰ってこなかった。みかるは切ったはったならともかく政治関連の話だと全く役に立たないことが解っていたので、自分から首を突っ込むことはしなかった。…勿論先程の様に、自分の用があるのなら遠慮なく会いに行っていたのだが。
「今日のあれで終わりだ。いい加減休ませろ」
みかるの身体を抱き抱え直し、耳元で囁く。くすぐったそうに首を竦ませたみかるは、すぐにその言葉の意図に気づき、満面の笑みを浮かべてアキラの首に両手を回して抱き締めた。





静かな部屋の寝台に身を降ろして、どちらからともなく口付けた。唇から始まって、瞼、額、頬、耳朶、首筋、遊ぶ様にしながらも、アキラは僅かに意識を集中させて、彼女の生体マグネタイトをほんの少しだけ吸い取る。
最早人の身を無くした彼にとって、食欲と性欲はほぼ同一のものになった。それを求めるのがこの人間の少女一人きりだというのも、自分の業の深さに呆れ返ってしまうが。
「ん…ふ、ぇ、んぅ」
緩やかに与えられる刺激に、みかるは抵抗を全くせずに力を抜いて行く。今なら何をされても―――喉笛を食い千切られても構わないとでも言うように、その身を魔神の前に曝す。
アキラは遠慮無くその身を覆う薄布を剥ぎ取り、柔らかい身体に緩く歯を立てる。ひぅ、と小さい悲鳴が聞こえて体が緊張するが、それでも決して拒まない。
始めて抱いた時から、殆ど変わっていないように見える少女の身体。
―――生まれた世界すら捨てさせ、自分と血肉を混ぜ合わせてから、少しずつ彼女の身体に降り積もる時間は遅くなってきている。魔界の空気のせいなのか、悪魔と交わったせいなのか、はたまた守護悪魔が憑いたせいなのか―――それは解らないが、年代だけで考えれば、既に彼女は壮年と言っても良い年月を重ねている。肉体は兎も角精神すら、殆ど成長していないのは少々困り者だけれど、それにアキラが救われているのも紛れもない事実で。
しかし、時は遅くなっていても、止まることは有り得ない。
今はただ、執行猶予の時間が続いているだけ。いつか必ず永遠の別離が来る、それは二人とも解りきっている。
だからこそ今だけは、何も考えずに混じり合いたいと望む。
「は、ふっ…んゃっ!? や、あ、んんんっ」
既に上がっていたみかるの息が不意に飛び跳ねる。胸の僅かな膨らみを乱暴に捏ね上げられ、同時に先端を吸われた。同時に自分の生体マグネタイトが吸われるのも解って、その部分が痺れて感覚を無くす。同時に頭に霞みがかかってきて、何も考えられなくなる。
アキラもそれを解っているから、容赦はしない。弱い部分に口付けて、牙と舌で遊んでからそれを吸う。自分の命を吸われる事に悦んでしまう彼女を見ると、罪悪感と同時に堪えきれぬ悦びが身体に満ちる。
例え全てを捨ててしまっても、全てを失ってしまっても、彼女だけは無くならないと、全身で表現してくれるのだから。
感極まって、アキラは女の身体の一番の秘所、じんわりと熱くなった花弁まで顔を下ろした。
「あ、ゃー…っ」
自分のそこに視線を感じ、僅かに涙を浮かべてみかるは首を振る。嫌なわけではないが、単純に恥ずかしい。こう言うところはまるで生娘のようで、何度しても慣れることは無い。…そう言う態度が相手を煽るのだという事には、幸か不幸かまだ気づいていない。
つ、と遠慮無く伸ばされた舌が、雛先を突ついた。
「ひゃう…!」
びくん、と飛び跳ねた太股を素早く掴まれて、逃げられずに一番敏感な部分を唇で挟まれて吸われた。
「きゃ、ひ、んやあああっ!!」
ひくひくっと腰が痙攣し、簡単にみかるは絶頂に上り詰めた。振り上げた頭が再び寝台に戻る前に、羽鱗の生えた腕で抱き止められる。そのまま身体を抱き上げられ、胡座をかいたアキラの膝の上に、向かい合わせになるように降ろされた。
「ふぇ…?」
「このまま、いけるか?」
僅かに熱の篭った吐息と共にアキラが問う。お互い触れ合うのは久しぶりで、もうあまり余裕は無いらしい。
「ん、」
顔を赤らめながらもみかるは小さく頷き、おずおずと腰を動かした。ぬるりという感触が自分の入り口を擦り、ふにゃぁ、と猫のような声が漏れる。腰が痺れてそれ以上動けず、両腕をアキラの首に回したままはぁはぁと息を整える。
「…行くぞ」
「えっ、ひゃゥン!? んやっ、ゃっ、あ…かふぅっ!」
小さく舌打ちをして、アキラは容赦なくみかるの小さい尻を鷲掴む。みかるの動揺に構わず、無理矢理入り口を押し広げるように力を込め、一気に貫いた。
「あっ、や、ぁぅ! ふぁっ、アキラくっ、アキラくぅん…!」
「っ…みか、るっ……!」
熱に浮かされたように、お互いの名を呼ぶ。今だけは―――お互いの枷を全て取り払い、一つになりたかったから。
「や、もぉだめぇ…! アキ、あっ、く……!!」
「―――――――ッはァ…!!」
びくびくと震える身体を止めたくて、お互いをきつく抱き締め合った。ごぷり、と音がして、結合部分が白濁液で汚れる。
「…………ぁ…」
繋がったままとさりと寝台に降ろされ、ぼうっとした頭のままみかるはぽそりと呟いた。耳ざとくそれを聞きつけたアキラが「如何した?」と囁く。
「さっきの…はなし。おもいだした…」
爪の長い指で髪を梳られる心地よさにうっかり眠りそうになりながらも、みかるは一生懸命言葉を紡ぐ。きっと彼も吃驚するだろうけど、きっとそれは嬉しいからだと思って。
「あのね…はとほるにね、おしえてもらったの。はとほる、わかるんだって。よろこんでた」
「だから、何だ?」
む、と僅かに眉根を寄せる、昔と少しも変わらない不機嫌な顔ににっこり笑って。
「あかちゃん、できたんだって…うれしいよぉ…」
それだけ言って。限界が来たのか、すーっとみかるは眠りに落ちていった。
勿論、取り残されたアキラは一人、投げつけられた爆弾の威力に暫し呆然としていた。
「…………………おい」
ようやっと我に返れたのは、自分の分身が萎えて自然に抜け落ちた時で。
「……………何でそれを忘れる事が出来んだよ、お前は…」
どうにか突っ込めたのはそれぐらいだった。何の不安も無いようにすうすうと寝息を立てている少女を叩き起こしてやろうか、と思った瞬間、
ぽたり。とみかるの白い胸に水滴が落ちた。
「――――?」
理由が解らず、アキラは首を傾げ。もう一度水滴が落ちた時に、それが自分の顎から零れ落ちていることに漸く気づいた。
勿論―――本当の水源は、自分の両目だった。
悪魔は涙を流さない。だからこれは、僅かに残った人としての機能。それは悦びか、恐れか、それとも謝意か。
「は」
自らを嘲笑するように、笑った。とうに悪魔である自分がそんなものを授かるなんて、どこの神の嫌がらせだろうかと。
そう嘯いてみても、ただ惰弱に時を食い潰す自分に与えられた、新しく生まれる輝きに対する感謝は隠しようがなくて。
それを与えてくれた神でも悪魔でもない只一人の少女に、礼の代りに僅かに開いた唇にもう一度口付けを落とした。