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のんべんだらりんごった煮サイト

真円の夜

天の頂きにかかるその輝きは、かの地のものとは違う白く冷たい光を放っていたのに、
何故か、あれと寸分違わぬ真円を形どっていた。




からから、と小さな音がして、瓦礫の上を石が転がっていった。
自分の蹴飛ばしたそれを最後まで見送ったみかるは、ふぅ、と小さく息を吐いてしゃがんでいた足を伸ばした。
「そっちはどうだ?」
急に後ろから声をかけられても、彼女は全く動じず、ただ残念そうに首を左右に振った。
「アキラくんの方は?」
「駄目だな。この辺りなら、東の方に逃げたんじゃないのか?」
「うん…そうだね」
少女の後ろに立って居たのは、赤黒い肌と、鱗のような羽毛のような半身を持った異形の男。猛禽を思わせる鋭い瞳は、油断無く辺りを見回しながら自分の「主」に声をかける。
その声を受けて、みかるもこくりと頷いた。
この、一見アンバランスとしか見れない二人が何故一緒にいるのかは、これを読んでいる人々にとってはもう解り切った事だろう。
悪魔との融合を果たしたヒトは、かの少女に契約による忠誠を誓ったのだ。
出会って、別離れて、もう一度出会えた二人は、壊れてしまった世界を今日も彷徨う。
嘗て東京と呼ばれていた大都市は、神の鉄槌と名のついた兵器によって、瓦礫と焦土と化した。
二人が今いる場所も、記憶の上では賑やかな繁華街だったはずなのだが、今では倒壊した建物が散らばる廃墟となっていた。
勿論、人の気配は無い。
「そろそろ、いこっか」
「ああ」
少女の促しに踵を返したアキラが、ふと見上げると。


真白い満月が、自分を見下ろしていた。


―――どくり、と心臓が鳴る。


魂と肉体が異形と交じり合い、1つのモノになったアキラの身体は、その定めに従って、月の光を享受する。
満ち欠ける月。
引力。
バイオリズム。
潮の満ち引き。
昂ぶる魂。
精神の高揚。
――――求めるのは。




「…キラくん?」
はっと、意識が戻る。
目の前に、かなり低い位置から自分を覗き込んでいる、みかるの心配そうな顔が見えた。
「だいじょぶ?」
心底、自分が心配だと言っているその瞳には、僅かに涙が浮かんでいて。
動き易く襟ぐりの広いシャツが、とても悪魔と戦えるとは思えないほど細い身体を包んでいる。
「…………あぁ」
かなりタイムラグがあったが、それでも彼女は笑ってくれた。
「何でもねぇ。行くぞ」
「うん!」
「待て!!」
大きく頷いたみかるの声に被さるように制止の声が聞こえた。それを聞き、アキラはもううんざりだと言うように嘴の下にある眉を思いきり顰め舌打ちし―――みかるははっと息を呑んで、困ったようにまた眉を寄せた。
「悪魔! その少女から離れなさい!」
瓦礫の坂を危なっかしく滑り降りながら、青と白で統一された衣服の一団が二人を糾弾する。否、正確にはアキラだけを。
「相変わらず煩ぇ奴らだ…」
唯一神を信望し、救世主が現れる事を望む、メシア教徒達。彼らは同じ門徒の同士達に対する慈悲はとてつもなく深いが、
同時にそれ以外のものに対しては凄まじい糾弾を行う。彼らの目には、どう見ても小さな戦う力などない少女に見えるみかるの側に、恐ろしげな風貌の悪魔―――アキラがいるのが、捕食か脅迫か、としか映らなかった。そんなこともこの国に戻って来てから日常茶飯事と化していて、いい加減慣れた。
「違うよっ! アキラくんはそんなんじゃ――」
「止めとけ、みかる。この勘違い集団には何言っても無駄だ」
はっとなって弁明するみかるを、アキラが心底馬鹿にした口調で押し留めた。
元からアキラは他力本願と異端排除はどちらも気に入らない行為だったので、その二つを内包したこの宗教を許容できなかった。そしてそれ以上に、常に自分に浴びせ掛けられる言葉が、更にアキラの神経をささくれ立たせる。
声高に、叫ばれる。
人間では無いと。
悪魔と。
その少女から、離れよと。
ふざけるな、と思った。
この道を選んだ事、後悔などしていない。
例え、それまでの自分を全て捨ててしまう事になると解っていても、自分はこの道を選んだのだ。
その決意を、何も知らない人間に批難されたくはない。
自分を責められるのは、目の前の少女しかいない。
「メイガス様、この娘も既に魔に魅入られているかと――」
「うむ、やむを得まい。神の名の元に、裁きを!」
『裁きを!!』
一際豪奢な衣装を纏った大柄の男が、辺りの信者達を扇動する。応と声を上げる者達の、輝いているのに虚ろな瞳が一斉に二人に向けられる。
「違うってば…!」
「無駄だっつってんだろ。構えろ、来るぞ!」
既に爪の長い指先に炎を灯し、自分の主に発破をかける。先程の言葉が、更に許せなかった。自分だけなら兎も角、この少女まで侮辱した狂信者達を、生かして返すわけにはいかなかった。
みかるは悔しそうに唇を噛むと、背中に背負っている不似合いな無骨な銃は降ろさないまま、掌の中に紅い宝石を握りこんでぶんっと手を振った。一瞬炎が轟! と巻き、その中から炎を纏った刀身が現れる。剣を構え突撃してくる騎士達との、戦いが始まった。
「我は命ず、日輪の輝き持て炎と為し我が敵を討ち払え! 魔波火炎爆熱maha-agidain!!」
ゴウオオオオオオッ!!
『うわあああああああっ!!』
流麗に紡がれた呪と共に、アキラの手から放たれた熱波が突撃部隊を舐めていく。
「アキラくんっ、殺しちゃだめぇ!!」
飛びかかってくる狂信者の鳩尾に剣の柄で一撃を与えながら、みかるが叫ぶ。こんな時にまで、自分に襲い来る敵の身の上の方を心配する彼女の言葉に、アキラの脳裏に別口の苛立ちが浮かぶ。
コイツが、こんな性格な事なんて、初めて会った時からわかっている。
だが。それでも。
嫌な苛立ちが、脳裏を焦がす。
狂暴な衝動が、収まらない。
腕を無造作に振るい、敵の腹肉を抉り取った。血が飛び散り、自分の眼の中に一滴飛び込んだ。ぬるり、と視界が紅く染まる。
「アキラくんっ!!」
悲鳴のような制止を、無視した。
空を見上げると其処には、

ああ。

あの世界と同じ、

紅い  月が

ま   る        く






ぅあ゛ア゛アアアアぁア――――――ッ!!」
辺りに響いた咆哮が、全員の動きを一瞬止める。
「…アキラく……」
目の前の敵を昏倒させて、振り返ったみかるは、名を呼び切る事が出来なかった。
「ふー…っ…ふぅーっ…」
苦しげな息の下から、敵を射竦めたその瞳は。
恐ろしいほどに、紅く染まっていた。
「しょ、正体を現したな!」
「囲めッ!! 囲んで、殺せ!!」
上ずった声でメイガスが周りの騎士達に命ずる。
あっという間に包囲が出来、じりじりと距離を縮め――――
「―――――――去ね」
ズパァン!!
小さな言葉と共に、何かが弾けるような音が響いた。
何の前触れも無く、一番前列に出ていた騎士達の身体が弾け飛んだ音だった。
どさどさと倒れる身体を見下して、アキラは―――笑っていた。
余りにも簡単に敵が砕けた事が、可笑しくて仕方がなかった。
この、満月の光に満ち満ちた世界ならば、呪文の詠唱なしで魔力を発動させる事が出来る。
そしてそれに、身体中の細胞が、悦んでいるのを感じる。血が沸き立ち、肉が疼いた。
「――どうした? かかってこい。お前達の信望する神とはそんなものか?」
「…お、おのれっ!」
「我らが神を侮辱するか!」
「――――侮辱したのはどっちだ」
怒りで恐怖を押さえつけ、剣を振り被った騎士―――――の、頭をその節くれだった右腕でがっ! と掴む。
ぐ、しゅっ!
まるで何かの果物のように、あっさりとそれは砕けて潰れた。
「ひぃ…っ」
臆し、悲鳴を押し殺す男達を、順繰りに爪で薙いでいく。背中を向ける者には、容赦無く衝撃波を浴びせ掛ける。
血が。
肉が。
骨が。
辺りに飛び散る。
生臭い、凄惨な臭いが、自分の神経を昂ぶらせ、ますます意識が冴えていく。
「ひいい! 来るなっ、来るなあああ! 助けてくれ! 助けてくれっ」
壁を一切無くした司祭が、尻餅をついて後退る。もう恥も外聞も無く命乞いをする姿を、不快そうに見下ろした。
「死ね」
牙の覗く口が大きく開き、腕が振り下ろされようとしたその時――――

「だめえええええええっ!!」

「!」
その腕に、みかるが飛びかかった。両手で腕にしがみつき、動かせないように抱き込んだ。
「くっ…離せっ!」
「だめっ! 絶対だめっ!! …おじさん、逃げてっ!!」
「あ、あぁあ…」
こけつまろびつ、白い衣装を泥で塗れさせたまま男が逃げていくのを見届けて、みかるはもう一度アキラの腕を抱き締めた。
暖かさと柔らかい感触に、少しずつアキラの瞳から鬼気が抜けていく。
「―――…みか、る?」
「アキラくん…よかったぁ…もう、平気?」
自分の名前を戸惑いがちに呼んだ男に安堵して、みかるは彼の腕の中に飛び込んだ。
その温もりに、アキラは漸く1つ息を吐いた。―――漸く、収まった。
この肉体を悪魔と合身させてから、月が真円を描いていくと共に強くなる衝動。多くの悪魔は、満月になると理性を失い、狂暴化する。それは彼も例外ではなく、先刻のように、攻撃衝動が異常に高まる。
このことは、みかるにはずっと黙っていた。あの魔界の塔を登り続けた時でさえ、ずっとひた隠してきた。だが―――、もう、限界かもしれない。
事実、今でも衝動は完全に収まっていない。両腕が血塗れなのにもかかわらず、自分のどこかでもっと、と強請る声が聞こえる。
今までは、みかるが箍だった。彼女がいれば、その衝動を押さえる事が出来ていた。―――一度、別れる前までは。
やがて、再会した少女は、どこか少し大人びていて。
自分が全く変わっていない事に気がついて。
――――焦燥が、胸を焦がした。
もう、歩む時の流れすらかけ離れてしまった二人。いつか必ず、自分にとってはそう遠くない未来、完全なる別れが訪れてしまう事に。
―――いっそ喰らいたい。
歓喜の涙を流しながら最後の一滴まで血を啜り尽くしたい。
無邪気で、暖かくて、優しすぎるこの少女を、自分の一部と化してしまいたい。
そんな凶悪な衝動が、自分を突き動かそうとする。
本能と完全にリンクしてしまった自分の魂は、残っていたはずのヒトとしての理性を食い潰していく。
「アキラくん?」
自分の腕の中に、「獲物」はいた。
悪魔と戦っているはずの細すぎる身体を抱き上げ、制止の声がかかる前に、小高い瓦礫の丘の上まで飛びあがった。
あの血に塗れた場所では、あまりにも忍びないと思ったから。
それが、最後の理性。
降り立った瞬間、噛みつくように、口付けた。「―――――ッ!!」
びくん、と身体を震わせたまま、自分の腕の中で固まってしまった小さな身体が、酷く愛しかった。
牙で軽く唇を噛み、僅かに開いた歯の間に舌を滑りこませる。反射的に揺らす肩を抱き抱え、僅かに平らな瓦礫の上に押しつけた。
「ん…ぅ―――っ…ふぁ、あきらく…?」
唐突に与えられた、彼女にとっては強烈すぎる快楽に、とろん、と潤んだ眼を与えた相手に向ける。その仕草だけで、アキ
ラの身体は思う様昂ぶった。
衝動のままに、シャツの襟ぐりに手をかけ、グイッと引き裂いた。
「ひゃっ! やぁ…」
服の下から覗く白い肌を、両手で抱えて少しでも見せないようにする。恐怖ではなく、完全な羞恥心からの制止の声だったが、今のアキラの神経を苛つかせるのには充分な拒否だった。
僅かに筋の浮いた細い首筋に、思いきり噛みついた。
「いたっ! あ…!」
牙が刺さるほどの噛みつきが痛くて身体を捩ったみかるだったが、次の瞬間その傷口をざらついた舌で舐められて、びくんと別口の刺激で身体が震えた。
―――抱かれるのは、初めてではない。
あの砂の王国で再会した時、何もかもを彼に奉げた。
怖くなど無かった。自分が相手に求められるのが、嬉しかった。
漸く会えたかけがえのない存在を、求めているのは自分だけなのかとずっと思っていたから。
だから。
胸の上で組み合わされていた震える細い腕は、ゆっくりと伸ばされて、アキラの頭を抱え込んだ。
「――――お前…」
驚きにより、僅かに光を取り戻したその眼が嬉しくて。
「だいじょうぶだから…っ」
それだけ言って、自分からキスをした。




身体中に、舌の湿り気と牙による痛みが交互に刻まれる。
「ふあ…ひゃう、あっ! んゃ…ああんっ!」
普段自分でも触れられないような、項から背中、内腿まで。
「や――…ァッ…も、だめらよぉ…っ」
ろれつの回らない舌の必死な懇願を聞いているのかいないのか、アキラはただ白い身体に刺激と傷を与え続ける。
少し力を込めて、脹脛を噛んだ。
「いたあっ…! はぁ、もおっ…」
食い千切られるか、と思った。
それでもいい、と思った。
安心出来る場所、温もり、愛しいと思う気持ち、その全て。
いくら返しても返しきれない―――みかるは本気で、そう思っている。
だから、拒む事など有り得ない。
アキラが望むなら――、この身体など食われてしまって良い。
痛いのは嫌だけれど、もう絶対に共に生きられないことが解っているから。
それなら、彼の一部になりたかった。
自分の命で彼が永らえるのなら、とても嬉しかった。
そんな事を考えながら、潤んだ瞳をゆるゆると上げると、ぼやけた月が見えた。

満月だった。

ぎゅっ、と自分の腕の届く範囲にいた黒髪の頭を抱き締めた。
何故か、見せたくなかった。
今だけは。
アキラはそれに気づかぬようで、長い爪の指を少女の花内に入れ、ゆっくりと掻き回し始めた。
「あっ、あ、あー…やぁんっ! は、きゅう、あ、あん、ひゃんっあっ!」
余りの刺激に、みかるはただ身体を捩らせることしか出来ない。指が中で広げられ、分泌液が奥に流れ落ちていく感触に耐えきれなくて、ぎゅっと眼を瞑った。
「みかる…っ」
耳元で囁かれて、耳朶を噛まれると同時に、身体が熱さに引き裂かれた。
「〜〜〜〜〜ッッ!! はっ…! ァン………!!」
途切れ途切れに口から漏れる喘ぎは、牙を含んだ唇で止められた。
内側の粘膜を擦られる耐え切れない痛みと快楽により、ぐずぐずと自分の身体が溶けて崩れてしまうのではないかと不安になって。
全てが終わるまで、ただひたすら、目の前の身体にしがみついていた。





全てが終わって。
みかるは気絶したように、自分の服を敷いた瓦礫の上に寝かされていた。眼の端からは涙が零れた後があり、今までとは別の痛みでアキラの胸の内を責め苛む。
これだけのことをしでかしたのに、自分の衝動は未だ消えない。嫌になる。これでは獣と何も変わらない、否それよりも性質が悪い。
―――いっそ、泣いて叫んで抵抗してくれれば良い。そんな、虫の良いことをふと思った。
彼女が本気になれば、自分の首ぐらいならば一振りで落せるはずだ。
いっそのこと。殺してくれれば―――――
「ッ!」
こんな事しか考えられない自分を、嘲笑うことしか出来ない。
空を見上げると、まだ満月は其処に在った。
予定調和のように、魅入られる。
凶悪な衝動が、全身を駆け抜けようとした瞬間――――
とむ。
「…みかる?」
いつの間に起きたのか、背中に少女がしがみついていた。裸の胸が背中に押しつけられる感触に、やっと収まったはずの熱が再び上昇しようとすることに気づき、ぐっと唇を噛んで堪えた。
「…どうした」
出来る限り優しい声を出したつもりだったが、振り向いてちらりと見えた顔には、新しい涙が浮かんでいた。アキラの罪悪感が沸きあがる一瞬前―――
「あ、あきらくんが…あきらくんがっ…」
何かを堪えるようなみかるの声が聞こえ、無理矢理身体を捻ってちゃんとそちらを向く。
俺がどうした、と言う前に、みかるは絶叫していた。

「アキラくんが、かぐや姫になっちゃうよぉ〜!!!」

「―――――――………」
時間が止まった。
「…何が、言いてぇんだ、馬鹿…」
「だって! だって! ずーっとずーっと前から、お月様が真ん丸だと、アキラくん外ずっと見てたじゃない! だめぇ…月に帰っちゃだめぇー…」
泣き声が本格的な嗚咽にかわりかける前に、咄嗟に軽い口付けで唇を封じた。
「誰が帰るか…」
ああ、畜生。どうしてこいつはこうなんだ、とアキラはぐしゃぐしゃと自分の頭を掻き毟る。
言動も行動も、全てが予測範疇外。自分の姑息な考えなど一足飛びに飛び越えられて、自分が勝てるわけがない。
「どっからそんな発想が出てくんだテメェは…」
「だって〜…」
ぐしぐしと鼻を啜るみかるの顔をやや乱暴に指で拭い、自分の腕の中に収めると、またぎゅっとしがみついてくる腕。
それなのに、何時の間にか自分の中の衝動はすっかりなりを潜めていて。
気がつくと、夜明けが近づいて来ていた。
丸い月はその光を失いかけ、今まさに地平線に沈む所だった。



太陽が自分の側にいる限り。
月の光に迷う事はないだろう。