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砂の都

19XX.Oct.エジプト―――


アレキサンドリアの市場街で、異国の服を着た少女がこの国の新聞を読んでいる。
紙面には、この処日常茶飯事となってしまった『怪物』達の凶報が踊っていた。
ほんの三月前、神の鉄槌が東の小国の都を焼き尽くした時から、この世界に伝説や神話の中でのみ語られていた『悪魔』が復活した。
この国も例外でなく、神として崇められていたモノ達が本当に姿を現した―――薄汚れた紙面には、ナイルの上流にそれらの作った国が在るなどと実しやかに書かれていた。
エジプトの神の顕現。
その現実を彼女が知った時、自分の国を旅立ってから常に心のどこかにあった希望が確信に変わった。
逸る気持ちを抑えるように、胸の上で揺れるアンクのペンダントをしっかり握り締めた。
そこに繋がる糸を、決して離さないとでも、いう様に。





遥か昔、流れる大河によって齎される実りを、この国の人々は「ナイルの賜物」と呼んだ。しかし今は砂漠化が進み、古代の恵みを偲ばせるものは、ない。
「全く、愚かなモノだな、人間ってのは」
ナイルの上流、その大河を見下ろす岩棚に、何時の間にか建てられた堅牢な城。その一角から下界を見下ろすのは鰐頭の聖獣・セベク。
「然り。所詮目の前に結果を突き付けられなければ悟ろうとはせぬ」
その言葉を受けて重々しく返すのは、猿頭の賢者・トート。どちらも古代エジプトで神として崇められた存在だった。
「お二人とも、全ての人間を一括りにしてしまう御言葉は撤回して頂きたいですわ。確かに人は愚かで矮小ですが、それだけではありません」
そんな二人の会話に、鈴の音のような美しい声音が割って入った。頭に神獣である牛の角を戴く女神・ハトホルの声だった。咎めたてる声に、セベクが苦笑して返す。
「勿論、あの嬢ちゃんは別さ。なァトート?」
「いかにも。彼女は我等が主と認めた唯一の人間。愚かなヒトとは一線を画しておられるとも」
彼女の話題を口に昇らせる時、この3人の瞳に全く同じ感情が浮かぶ。懐かしさと愛おしさ、そして僅かな不安。
唯一神の手先によって日本の首都・東京が壊滅状態に陥ったことは当然彼らの耳に届いていた。それと時を同じくして時空が歪み、魔界と人間界の行き来が自由になって、彼らは浮き足立った。
ハトホルなどはすぐさま日本に行き、嘗ての主の安否を確かめようと進言した。他二人の意思も同じだった。それを止めたのは他でもない、彼らの王・アモン。
ともすれば無法地帯となった東京に攻め込もうとする若い悪魔達を叱咤し、嘗て自分達が生きた国に降り立ち地盤を固める様に命じた。誰よりも、彼女に会うことを望んでいるであろう彼が。
「お前達、ここに居たのか」
噂をすれば影。半身を羽毛に覆われ、赤黒い皮膚の上に浮き上がった棘。頭に巻いていた布は嘴に変じ、その姿は確かに異形のものである筈なのに、美しさを感じさせるのは何故なのだろう。
「アモン様!」
今までの会話を聞かれていたのかと、ハトホル達が体を固くする。彼は他の面々に輪をかけての『人間贔屓』であり、迂闊な事は言えない。彼が歩んできた数奇な運命を考えればそれも当たり前のことなのだが。
「下流でまた人間の船が襲われた…出るぞ」
しかしその事に不満を覚えるものは勿論いる訳で。今の彼らの仕事は血気盛んな下魔達を諌めるのに追われていた。
セベクとトートが続こうとするその背中に、思わずハトホルは声をかけていた。
「アモン様…」
「何だ?」
「…いえ…何でもありません」
目を伏せる女神を一瞥し、再び前進する魔人の後ろに続きながら、心の中だけでハトホルは呟いた。
(貴方が彼女の事を何も言わないのは…あの時のことを枷に思っているからなのですか?)



憐れな『人間』の作り出した偽りの魔界が崩壊する時、彼らの王はずっと側にいた少女と道を分かつ事を望んだ。
何度も首を振り、納得しなかった彼女に最後の「人間の証」である護符アミュレットを押しつけ、半ば無理矢理元の世界に追いやった。
「…イヤだと言っても戻ってもらうぜ。もう、ここにいる理由なんざないんだからな…じゃあな。ここで起こった事なんざ、さっさと忘れるこったな……」
思いきり、突き放した声。
おそらくは、自分を嫌わせるため。
最後の、嘘。
誰よりも、彼女を大切にしていたのは、彼だったのに。


(あの事を、気にしているのなら……しかしそれは―――)
彼女は、全て解っていたのではないだろうか。
彼が、彼女の事だけを考えて、あのような暴挙に出たことも。
だからこそ、彼に逆らったのではないだろうか。
「アキラ君! あたし、絶対、絶対、アキラ君のこと忘れないから! 絶対、戻ってくるから! また魔界に来るからっ………!!」
姿が掻き消える瞬間、彼女は確かにそう叫んだのだ。
「何をしている、ハトホル。行くぞ」
「はい、アモン様」
相手のことだけ考えすぎて、自分のことまで頭が回らなくて。
どうしようもなく不器用な自分の王と主を、酷く、愛しく思った。







ギュキイイキキキッッ!
川辺を疾走していくバイクが、砂埃をあげて急ブレーキをかけた。
「とっと…」
乗っていたとうの少女が勢いに降り飛ばされそうになって、慌てて片足で機体を支える。
こんな危険な急停止をさせたのは、大河の中ほどで炎をあげている船が目に入ったからだ。火に巻かれる他に、遠目からでも解る異形の物に追いたてられ、河に落ちていく。
「大変だ!」
常に腕に取り付けているハンドヘルドコンピューターを起動させる。素早くプログラムを立ち上げるのも、慣れたものだ。
<UPDate.Devils Summon Program>
<Summon devil>
<Light−Low Suzaku>
<…………………………………………………>
<SUMMON OK!!>
中空に描かれた電子の魔方陣から現れ出でたのは、深紅の翼をはためかせる日い出る国の霊鳥。間髪入れずジャケットのポケットから、掌に隠れるぐらいの大きさの紅い宝石を取り出す。それは一瞬光を放ったかと思うと、彼女の手の上で一振りの魔剣へと姿を変えた。
クワァアアアッ!
戦いに向け、一声鳴く大鳥の足に掴まると、一方的な虐殺が終わりかけている船上へ向かった。




パピルスで編まれた船は帆もないのに風に乗り、凄いスピードでナイルを下っていく。
しかし悪魔達が辿り着いた時は、火は収まりかけ、異形の姿も殆ど無くなっていた。
何があったのかとそこに目を凝らしたアモンは、妙な光景に目を見開いた。
最後までそこに残っていた深紅の鳥が、突然掻き消えたのだ。
その消え方に、彼は心当りがあった。昔、よく見た光景だったからだ。
じりじりと船が進み、沈みかけた船に隣接する。その上に、すっくと立つ人影を一つ確認し、アモンの思考は完全に停止した。
固まってしまった彼の周りに、何事かと他の面々が集まってきて…
「おぉ……」
トートがその皺に埋もれた目をこれ以上は不可能というぐらい大きく開き。
「あぁ……」
ハトホルが込み上げてきた歓喜の声を抑えようとするかのように口元に両手を当て。
「こいつは……」
セベクが呆れた様に呟き刃のずらりと並んだ口をぱっくりと開け。
その少女を見た。そのすぐ後、彼らの神を見た。
その視線に後押しされる様に、アモンの口から言葉が突いて出た。
「…………みかる…?」
小さな声だった。
それなのに、彼女の耳に届いた。
振り向いたその顔は、返り血と煤で汚れていたけれど。
こちらを見て、笑ったのだ。
あの時と寸分違わぬ笑顔を向けたのだ。
あの時と同じ声音で、彼の名前を呼んだのだ。
「アキラくん!!」





「嬢ちゃん!」
「みかる様っ!」
「みかる殿!」
わっと周りが沸いて、彼女の側に嘗ての仲魔が集まる。
「ご無事だったのですね!」
「うんっ! ハトホル達も元気?」
「ははは! 相変わらずだなぁ、嬢ちゃん!」
「腕は衰えておられぬようですな」
盛りあがる周りの中で、一人アモンだけ……いや、今彼の意識はアキラであった頃の彼が大部分を支配しているからアキラと呼ぶべきか…はその場を動けなかった。
現実を理解するのに少々時間がかかったらしい。やがて金縛りが解けると、ゆっくりと彼女に向かって歩を進めた。
彼の配下の悪魔達がそれに気付いて道を開ける。
彼女の目の前で、足を止めた。
自分の胸までしか身長の無い、小さな身体。この身体のどこに悪魔と戦う力があるのか、凄く不思議だった。
それでも、少し背が伸びたらしい。自分の記憶と、目線の高さが少しだけ違った。
沈黙をどう捉えたのか、みかるはまじまじと目の前の魔人を見遣り、またにっこりと微笑んだ。
「へへ…、来ちゃった」
「……馬鹿野郎が」
すっと左腕を伸ばして、相手の頭を撫でようとして…それより早く、彼女が胸に飛び込んだ。
「アキラくんだ、アキラくんだ、アキラくんだああ!!」
しがみついて、猫の様にごろごろと自分に頭をすりつけてくる仕草が愛しくて、背中に手を廻した。
「みかる……」
もっと強く抱き締めようとした瞬間、くたりっと腕の中で細い身体の力が抜けた。
「嬢ちゃん!?」
「みかる様っ!?」
「どうなされた!!」
ハトホル達が動揺する中、アキラは軽々とその身体を抱き上げて。
「……眠っているだけだ」
安心しきった様に小さな寝息を立てている少女に、一つ溜息を吐いた。



城に帰って来ると、周りの悪魔達にどよめきが走った。
彼らの王が抱き上げているのが、紛れも無い人間の少女だったので。
中には不躾な、食欲や色欲の混じった視線を投げつけてくる者もいたが、アキラの眼光で萎縮して逃げ出した。
誰も入らない、自分の部屋の寝台に寝かせてやっても、まだ彼女は起きなかった。
今までの疲れも手伝って、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
乱れてしまった髪を直してやろうとして、伸ばした手の爪が酷く伸びていることに気付き、一瞬躊躇ったが、結局柔らかな茶色い髪にその指を差し込んだ。
ほんの少しだけ伸びた髪。
どこか雰囲気も違う。大人びた、と言えばいいのか。中身は余り変わっていない様だが。
唐突に、気がついた。彼女の時間は流れ続けているのだ。自分の時間が止まってしまっても。
理解しているつもりだったが、目の前に晒された現実は尚も如実にそれを思い知らせた。
「チッ……」
いつになく動揺している自分を情けなく思い、舌打ちする。
その音が聞こえたのかどうか解らないが、みかるが目を開けた。
「! …起こしたか?」
「ぅ――…」
瞼が開いても、意識は覚醒していないらしく、固い寝台の上に上半身を起きあがらせると辺りをきょろきょろと見回す。
「オイ。寝惚けてんじゃねぇよ」
「え! へぇえっ!??」
ばばっ! と目の前にいた人影と目を合わせる。それが自分が今まで求め続けていた彼の人であることに気付き……ぼろぼろっ、と涙が溢れた。
「!? おい!」
唐突な感情の奔流にぎょっとして、アキラが濡れた頬に手を伸ばす。爪で傷つけるかもしれないと言う懸念は頭から吹っ飛んでいた。
「アキラくん…どうしよ、あのね、あのね、あたしっ」
ひっく、と喉がしゃっくりをあげる。もっとちゃんと言葉を紡ぎたいのに。
「もしかしたらっ、て。ここまでくれば、逢えるかなって、思って、だから、来たの。と、途中、大変だったけど、逢えるかな、逢えたらなってっ」
「おい、解ったから無理すんな」
「東京が、ヒドイことになったって、ニュースで聞いたけど、も、戻れなくて、そうだ、バイクの免許、取ったんだよ。あ、あきら、アキラくんの夢だったから」
「!」
確かに、話した事がある。自分がチューンナップしたバイクでエジプトまで行くことが夢だと。
そんな与太話を、コイツはまだ覚えていたのか?
「いっぱい、いっぱい、話したい、こと、あったけどっ、あるんだけどっ、く、くるし、くるしくて、もう、も、言えな……っ」
途切れ途切れの言葉の内から叫ばれるのは、たった一つの願い。
逢いたかった。
逢いたかった。
本当に、ただ、それだけ。
「もういい! もういいから…落ちつけ」
気がついたら、また抱き締めていた。
暖かい腕の中に包まれて、我慢が出来なくなった。
「ふぇ…うわあああぁあぁぁんん!!」
泣いた。ただ、泣いた。それ以外の行動が出来なくなった。
アキラは黙って、みかるの頭を撫でていた。
それだけが詫びになるように、ただ、優しく。



「……落ちついたか?」
「………ぅん」
ずっ、と鼻をすすって、ようやくみかるが身体を離す。
「…鼻水つけてねぇだろうな?」
「う? …だいじょぶ。うん」
「今の間は何だ」
「だいじょぶだってば!」
あの時と同じように、軽口を叩き合う。それだけのことなのに、驚くほど簡単に時間の隔たりが立ち消えたような気がした。
「…アキラくん。ひとつだけ、お願いがあるんだ」
「何だ?」
真っ直ぐ自分の目を見てくる瞳。初めて逢った時から、それが逸らされたことなど無かった。
そのまま彼女は驚くべき……考え様によっては当然の言葉を紡いだ。

「あたしの仲魔にならない?」

「……………は?」
間抜けな返答を返すのに、たっぷり5秒はかかった。
「やっぱり、一回日本に帰りたいし…でもきっと大変なことになってるだろうから、アキラくんがついてきてくれればいいなぁって」
「おい、みかる」
「だめ? お金もマグネタイトもあげるよ、宝石だって」
「物でつってんじゃねぇよ」
「不満なら歌うよ。あと踊りとか」
「聞けよ人の話」
「あ、あとすっごいモノあげる!」
「だから聞けよ!」
アキラ自身、ここまで彼女が来たことで半分諦めていた。自分が彼女から離れられる訳が無いのだ。もう囚われてしまった、絶対に。
彼女が何と言おうと側にいるつもりだったのに、先んじて言われてしまっては立つ瀬がない。
声を荒げて止めようとした彼女の口から、しかし逆にアキラの口を封じるような台詞が出てきた。

「あたしの生体マグネタイト、全部っ!」

「……何?」
呆然とするアキラを余所に、みかるのこれでもかと言うぐらい熱烈な勧誘は続く。
「さすがに、今すぐって訳にはいかないけど。あたしが死にそうになった時には、全部あげるから」
人間の所謂生気―――生体マグネタイトは、悪魔にとって素晴らしい美味であると同時に、命の糧になる。
悪魔達が生贄を要求したりするのは、そのためなのだ。
しかし当然、それが枯渇してしまえば、人間も死ぬ。
「どうせ、絶対あたしのほうが先に死んじゃうんだから…だからね。その後は、アキラくんの一部になりたいんだ」
もう、同じ時を生きていくことは出来ない。彼女の方も、それに気がついていたのだ。
「だめ…かな?」
不安そうな顔で、こちらを見てくる。お前、今自分がどんな内容の言葉言ったのか、気付いてるのか?
図らずも、一生自分の側にいて欲しいと言ったのも同じなのだから。
「お前って奴ぁ……」
顔を手の平で抑えて俯くと、吹っ切れたようにまたみかるを抱き寄せた。
「何? …んっ!?」
自分を見上げてくる顔の、柔らかな唇に自分のそれを押し付け、軽く生気を吸ってやった。
離すと顔を真っ赤にして何が起こったのか解らないと言いたげなみかるの顔があって、ほんの少しだけ笑ってやった。実に久し振りの、笑顔だった。
「交渉…成立だ」
耳元で囁いてやると、みかるはやっと満面の笑みを浮かべてアキラの首に抱きついた。