時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

一願、未だ遠く

「うーん……うぅーん…」
第四ノモスの武器屋にて、しゃがみこんだままみかるは真剣に悩んでいた。彼女が眺めている店頭に並べられているものは、およそこの少女には不似合いであろう凶悪で無骨な銃器類。財布に詰まった魔貨を見ぃ見ぃ、その鉄の塊をじっと見ている。
「…いつまで悩んでんだ、馬鹿」
「あぅ」
ぺち、と平手で頭を叩かれてその視線が傾ぐ。反動をつけて上を向くと、自分を見下ろしているパートナーの姿があった。
「別に買えねぇ事はないだろうが。今更ロクに金なんざ使わねぇし、買っとけ」
「う、そうなんだけどー…ほら、弾も高いし…」
「…いよいよあの野郎にお目通りなんだ。準備しといて損はねぇ」
魔界に聳え立つ巨大な塔を必死に登ってきて、どれだけ時間が経ったのか。今はただ、最上層の天のノモスを残すのみ。そこを抜ければ、この歪な魔界を造り出した張本人―――魔神皇が待っている。
どれだけの悪魔を統べ、どれだけの力を持っているのか。それが解らないのだから、準備は万全を期すべきだ。そういう意味合いを込めたアキラの言葉に、しかしみかるはきゅうっと眉を八の字にして俯いてしまった。
「うん…撃たなきゃ、いけないんだよね」
ぽつりと呟かれた言葉に、アキラは僅かに動揺した。既に半魔へと堕ちてしまった自分にとって、銃器―――命を奪う為に特化された武器を、あの男に向けるのに何の躊躇いも無い。しかし彼女は、まだ人間だ。且つ、どうしようもないお人よしで、本来ならば剣を振るうことも出来ることなら避けたいと思っていることもアキラは知っている。
甘いことを、と思う。この世界では人間としての美徳は邪魔にしかならない。一瞬の躊躇いが命取りになってしまう。
―――それでも。少しずつ磨り減っている自分の人間としての魂が、彼女がそのままでいることを望んでいることも事実で。
アキラが一瞬の躊躇いを持つうちに、みかるの方は迷いを振り切ってしまったようだった。ふるふると頭を振って、笑顔を見せる。
「ごめんね、わがまま言っちゃった! ちゃんと二人分買っておくね!」
「………あぁ」
結局、止めることなど出来ない。手持ち無沙汰にしていた店主に国友の銃と弾丸を二人分頼んでいる小さな背中を、なんとも言えぬ表情で見送ることしか出来なかった。




天のノモスは、今までのフロアに比べると狭く、空気も一瞬清冽であるかと思えるほどに静かだった。しかし暫く歩くと、その理由は穏やかでは無いことにすぐに気がついた。
空気は淀んでいない。だが、澄んでもいない。何も無い―――虚無だ。今までの階には多かれ少なかれ、この魔界を造り出した男の感情の残滓があちらこちらに散っていた。或いは悪意、或いは虚栄、或いは羨望。しかしここには、何も無い。まるで意図してそのような揺らぎを全て消してしまったかのように。
「…変だね。静かでキレイなのに、なんだか、息するのが苦しい」
「ああ…胸糞悪いな」
共に通路を歩いているケルベロスも、魔神バールも破壊神セイテンタイセイも何も言わない。本来ならば個々の欲が常に渦巻いている魔界らしくないこの場所に戸惑っているのかもしれない。
と、やや先行していたケルベロスが足を止め、低く唸り始めた。敵の気配を感じ取ったらしく、一同に緊張が走る。みかるは躊躇わず焔の剣を構え、セイテンタイセイと共に前に出る。アキラとバールはいつでも魔法を唱えられるように意識を集中させる。
ずるり、ずるり、と何かを引き摺る音がする。誰かの唾を飲む音がそれに重なった。
やがて――――それは現れた。
「っ…!」
みかるは咄嗟に上げようとした悲鳴を如何にか飲み込んだ。今まで魔界を闊歩して、生理的嫌悪を催す悪魔には何度も出遭ったことがあるが、これは今までのそれとは比べ物にならないほど―――醜悪だった。
闇とヘドロをそのまま混ぜて固めたような柔らかい皮膚の色も、そこから何本出ているのか解らない大小さまざまな触手も、その間からこちらを見ているらしい目玉らしきものも、全てが見えているのに、それを意識が知覚することを拒んでいた。こんなものを理解してしまったら、自分の存在など取るに足らない砂粒以下の存在であると理解してしまうことにも繋がるであろうことを、本能的に理解した。
それが、ある一人の人間が系統立てて生み出した、遥か古代にこの地上に降り立った旧支配者のひとつであるとは誰も知らなかったが、とにかくこの存在を消滅させなければならないという「否定」だけが全員の頭に浮かんだ。コレはこの世の何とも絶対に相容れないモノであると、感じたのだ。
「…行くよ、ケルちゃん、ゴッくん!」
「グルゥアオオオ!」
「その名前で呼ぶんじゃねぇ!」
みかるの声に答え、銀色の魔獣と聖棍を握った破壊神が飛び出す。目の前の存在は、自分に近づいてくるモノに気付いたのか、緩慢に触手の先に付いた鉤爪を無造作に振るう。
「物理反射壁テトラカーン!!」
カキィン!!
しかしその攻撃は、素早く編み出したアキラの魔力の壁で防がれる。彼がそうしてくれると何も言わずとも解っていたからこそ、みかるもスピードを緩めない。
「ガゥウッ!!」
「おりゃあ!!」
ケルベロスの牙と、セイテンタイセイの棍がそのモノの表皮を削っていく。衝撃どころか感覚すら感じていないのか、攻撃された相手は全くリアクションを見せない。そこを逃さず、みかるは炎の剣をそのど真ん中に叩き付けた!
ギャギャギャギャッ!!
「えっ…!!」
しかしその瞬間、表皮の上で思い切り剣が滑った。そうとしか言えない動きで、その刀身に纏った炎がそのまま、みかるに跳ね返ってきた!!
ゴォウアッ!!!
「きゃ…!!」
「橘!!」
自分の炎撃をもろに食らい、堪らずみかるは尻餅をつく。その光景を見て、バールは雷の呪文を紡ぎかけていたのを咄嗟に止め、別の魔法を素早く組み上げた。
「治癒光波メディラマ!!」
癒しの強力な光が全員に降り注ぐ。火傷を負った皮膚があっという間に治っていき、全員が安堵の息を吐く。
「ぅ…いたぁー…」
「無事か!?」
「ん、平気っ。ありがとバール!」
アキラの言葉にぱっと反動をつけて立ち上がり、自分を癒してくれた仲魔に振り向かないまま礼を言う。古代の魔神は見えていないにも関わらず恭しく礼をした後、真剣な瞳で敵を見据えた。
「アモンの。気をつけよ、恐らく奴は魔力を全て跳ね返すぞ」
「成る程な…バール、お前も前に出ろ」
「元より、承知の上」
魔の名を呼びながらの忠告にアキラは得たりと頷き、強化の魔法の詠唱に入った。バールもその手の鉤爪を掲げ、前に出る。彼は物理攻撃の特技を習得していないのだ。
「橘! ヒノカグツチを仕舞え! 魔力の攻撃はそいつに効かねぇ!」
「解ったー! …買っといて良かったっ!」
焔の剣を一振りで紅い宝玉に戻すと、背中に背負っていた銃器を両手で構える。弾丸はちゃんと装填してある。最早その顔には微塵の躊躇いも無い。回避することの出来る諍いには決してその手を振るわないが、振るわなければいけない時に躊躇はしない。それが彼女の強さだった。ひたりと合わされた照準を覗くその目には、悲哀を無理矢理押さえ込んだ覚悟が浮かんでいる。
「強化力タルカジャ、強化防御ラクカジャ、強化集中スクカジャ!! 行け!!」
その瞳を見て、アキラは全力で強化の魔法を紡ぐ。軽くなったと感じる身体で、再び魔獣が、破壊神が突っ込んでいく。更に魔神が斬撃を食らわせたところで、みかるが銃器を抱え直す。
「皆、どいてっ!!」
その声に仲魔達が一斉に散り、少女はその細い指で破壊の塊を撃ち出した!
ドゴォオ――――――ンン!!
「やったかっ!!」
物凄い噴煙と、爆音が辺りに響く。セイテンタイセイが僅かに喜色を浮かべた声で叫ぶが、後の面々は皆無言で見守っている。
ずるり、ずるりと、再び嫌な音がした。
「ぅ…っ」
敵は、爆撃によってその身を僅かに削られていただけで、まだ余裕がありそうだった。
「マジかよチキショウ…」
常識外れのその姿に、破壊神は歯噛みをする。しかも拙いことに、爆音に気付いたせいか同種族の危機を感じ取ったのか、ずるずると似た様な音を立てて新手が近づいてくるようだった。
全員無言で長期戦を覚悟し――――泥沼の殴り合いが始まった。魔法が効くのならばアキラとバールのおかげで殲滅力は格段に上がるのだが、今回はそれが出来ない。且つ、相手の攻撃自体が強力で、魔法は回復にしか回せなくなり、どうにか後一匹まで減らしたもののバールの魔力が枯渇してしまい―――。
「アオォオオン!!」
「ケルちゃんっ!! 戻ってぇ!!」
そしてついに間に合わず、ケルベロスが血を辺りに振りまいて倒れた。咄嗟にみかるがCOMPを操作し、ぎりぎりでリターンさせる。しかしそれが、確実な隙になってしまった。気付いた時には死角から、巨大な鉤爪が迫り―――――!
ガツッ!! ダァン!!
爪の直撃は何とか避けた。しかし丸太並みに太い触手のなぎ払いはみかるの平均よりかなり小さい身体を浮かせて―――床に叩きつけた。安否を気遣う声が喉から出る前に、じわりと赤黒いものが床に広がった。
「―――――」
ひゅう、と息を呑む音がした。全員の動きが止まる。仲魔達にとって、主の存在がそのまま自分の存在理由に繋がる。
彼女と契約を結んだ悪魔達はすぐに理解できた―――彼女がかりそめの死を賜ったことを。
異界の神はそれに構わず、じりじりと包囲を狭めてくる。どうするかと一歩下がったバールの背に、静かな声がかけられた。
「バール。…セイテンタイセイと共に、一度ストックに戻れ」
「何を言う。どうするつもりだ、アモ―――」
旧知の者の名前を呼ぼうとして、止まった。振り向いたその顔に輝く猛禽の瞳は、金に混じる飴色の炎を燃やしてそこにあった。嘗て同じく古代の世界を支配した神の一柱として、それがどうしようも無いほどの怒りであることにすぐ気付いた。邪魔立てするならば貴様ですら容赦しないと、その瞳が雄弁に語っていた。
「…承知した。また主殿に呼ばれるまで、暫し眠ろう」
「ああ。すぐに、呼べる」
答えに満足げに頷き、バールはセイテンタイセイに向かって顎をしゃくる。彼はまだ戦い足りないようだったが、その緊迫した空気は解ったようで、ちっと舌打ちをしてその姿を消した。
通路はまた静かになった。声など発さぬ異形の神は、自分の目の前に放り出されているモノに自然に触手を伸ばす。周りにあるものを「壊す」ことしか出来ないそれにとって、世界は須らくもろい玩具でしかない。
「―――触れるな」
しかしそれを、言葉が止めた。否、言葉では止められなかったが、それと同時に振るわれた腕が、、ギゴッ!!
醜悪な塊のど真ん中に、叩き込まれていた。
「去ね。旧世界の遺物が」
絶対的な否定の篭った、命令。紛れもなくアキラ=アモンの言葉であるそれは、信じられない程冷たく重く響いた。
ずるりと、羽毛の生えた腕が抜き取られると、その傷はずるずると塞がっていく。言葉も力も、このイキモノには通用しないのか。
アキラは軽く辺りに視線を巡らし、倒れた少女の横に転がっているあるモノを拾い上げた。
再びずるりと触手を伸ばし、鉤爪がまっすぐ自分に向かう前に―――
ドゴォッ!!
再び拳を叩き込んだ。そして間髪いれず、掌に握りこんだモノを何の躊躇いも無く「握り潰した」。
グォワッ!!!
ズガアアアアアアンン!!
次の瞬間、黒い肉片は幾千にも散らばった。鳴き声すらあげないので解りづらかったが、きちんと今まで与えたダメージは累積していたらしい。無防備な体内で爆発した衝撃に流石に耐え切れず、破裂してしまったのだ。
「…去ねと言った筈だ。二度目は無い」
何の感慨も無く、あくまで冷静にアキラは言葉を紡いだ。軽く振った腕から、こびり付いた黒い肉と共に、少なくない血がぼたぼたと落ちる。
―――そう、先刻拾い上げたのは、銃に装填しようとして零れ落ちていたプルトニウム弾。それをあの異形の神の中に直接叩き込み、手の中で握り潰したのだ。
無茶をした腕は悪魔の肉体といえど、ずたずたに引き裂いていた。かなりの痛みが走るだろうに、アキラは頓着せずにその腕で躊躇い無く、意識の無いみかるの身体を抱き上げた。
一度入り口まで戻ろうと踵を返しかけたその場に、ふわふわと光の球が降りてくる。かりそめの死を与えられた人間を蘇らせる為にやってくる守護悪魔の魂。
バシィン!
今にもみかるの身体の中に入ろうとするそれを、アキラは無言の気迫だけで弾き飛ばした。彼女に触れることすら許さないというように。…彼女にこれ以上、枷を付ける事を拒むように。
自分の行動に根本的な矛盾を抱えていることが解っていても、今は解らない振りをした。
――――いつかは必ず離れてしまうのだから、今だけは。
自分のエゴを頭の片隅に押し込めて封印してしまうと、復活の魔法を唱え…ようとして思い直し、簡単な治癒の魔法を先に紡いだ。
彼女が目を覚ました時に自分のこの腕を見たら、きっと彼女は自分よりも痛みに悲しむだろうから。