時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

VESUS!!

正しい注射の打ち方
@打つ部分をアルコールで消毒する
Aその部分を軽く叩いて痛覚を麻痺させる
B血管に添って斜めに深く一気に針を入れる
これだけ覚えればあとは簡単・さあ皆もやってみよう!




「…で?」
ツンドラ気候もかくや、と思われるほど冷たい声で吐き出された促しに、テルは一瞬腰を退かせながらもなんとかふんばった。
「だ、だから。注射の練習をしようかなって」
「いつも通り布とチューブ管でやればいいだろう」
「いややっぱ実際の人間でやった方が上達出来るだろ?」
「だから何でその実験台に俺がなるんだ?」
更に気温の下がった北見の声が、下斜め45度の見下し目線でテルに降って来る。凄まじい身長差を思い知らされて、テルの眦もきりきりと吊り上がる。
「いいじゃねぇかよお前だって今休憩中なんだし! ちょっとぐらい付き合ってくれたって!」
「黙れ小僧。俺の商売道具をそんな下らん用事に使えるか。自分の腕にでも刺してろ」
何を口論しているのかと言えば、この二人。最近痛くない注射に自信を持ったテルがにわかに「注射マニア」になったらしく、同僚やら看護婦やらに「練習させてくれ」と持ちかけているのだ。
「いーから! …院長に言われたんだぜ、北見と練習しろって」
「何!? …院長が?」
そしてそんな暴走医師に業を煮やした院長が、「そんなにやりたかったら北見にでも打って来い」と冗談混じりで命令したらテルはそれを見事に信じ切ったらしく「あいつ今休憩っすよね!」と北見が寛いでいた休憩室に走りこんできたわけである。
「な? 院長じきじきの命令なんだってば。ほら、手出せ」
「……………………分かった」
(北見って何故だか院長には絶対服従なんだよなー)
ほくそ笑みつつ、院長の実力を知らないテルはその理由がわからなくて首を傾げていたりする。
「仕方ない…やるんならさっさとやれ」
「オッケイ」
腕の袖を捲くられ差し出される。
(うわ、結構太いな)
どちらかと言うと優男なイメージがあったのだが、差し出された北見の腕にはしっかりと筋肉がついていて固い。色はあまり日に当たらないせいか白く、大理石の彫刻のように見えた。
「……おい」
「あ、悪い悪い」
ついじっと眺めていたテルに居心地が悪くなったのか、北見がぼそっと呟く。慌ててテルはアルコールを含ませた脱脂綿で北見の腕を軽く拭った。
正直緊張する。目の前の相手はどんなにいけ好かなくても医療に関しては大先輩で。
どれだけ細かい所を突っ込まれるかと思って内心ひやひやしていたのだが、北見はただ黙ってテルの手つきを見詰めるだけで何も言わない。よっしゃ、と根性を決めてテルも注射器を手に取った。
僅かに濡れたアルコールのついた腕を軽くぴしぴしと叩く。そして浮んだ血管に添って針を入れ――――
針を――――
「…………………」
「………………おい。何をやってる」
「えっ、あ、ゴメン!!」
皮膚ギリギリまで近づいた針が、其処で躊躇してしまう。どうしてもテルはそれ以上針を進めることが出来なかった。苛立ちがぶり返した北見が、口を開―――
「さっさとし―――」
「何か…勿体無くって」
―――いた瞬間、ぽかんとしたようなテルの声に遮られた。
「………何がだ」
「あー…のさ。何か」
「何だ」
「綺麗なのに、針なんか刺しちまうの勿体無ぇって、思って」
何の衒いもなく言いきられたテルの声に、北見の方が動きを止める。
「……お前は患者の身体の美醜如何で注射するかしないか決めるのか? 馬鹿が」
「ち、違うって! お前だからそう思ったんだよっ!!」
しん、と部屋が静まる。
響いた叫びの内容を、お互い吟味して。
かぁっ、とテルの顔に血液が集る。
「あ…だから、別にお前だけってわけじゃ…あ、あれ、あるのか? あああつまり! つ、付き合ってくれてサンキュ!!」
思いっきり車付き椅子を蹴飛ばして、テルは休憩室を飛び出した。途中で転んだのか、ズダーン! という音とともにギャーという悲鳴が聞こえた。
それが聞こえても、北見は暫く動けなかった。
「何を…言ってるんだ…あの馬鹿は」
呟きながら、北見も立ち上がり部屋を後にする。
その普段動かぬポーカーフェイスが僅かに紅潮したままだったことは、幸いなことに誰とも擦れ違わなかったため外に漏れることは無かった。