時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

ひかりのおびのそのしたで。

さきり、さきり、と足の下の雪が不思議な音を立てている。
こうやって地面を歩くのも随分久しぶりのような気がして、金森は小さく微笑んだ。
導術を濫発し続けてから、意識がはっきりしている事も稀になってしまった自分にとって、そんな事すらも嬉しかった。あれほど酷かった頭痛も完全に遠のいている。
―――これならきっとまだ、大隊長殿のお役に立てる筈。
心の中だけでそう呟いて、金森は自分の額に埋め込まれた銀盤に意識を集中させる。自分の体調の良好さだけでなく、感度が非常に良いと感じる。
まるで、自分が空に近づいたかのように、身体と心が軽くなっていく。
瞳を閉じ、意識を浮かせようとした瞬間―――
「こーら。何やってやがる」
ぺふ、と後ろ頭を叩かれ、吃驚して目を開いた。慌てて振り向くと、そこにはここ数日で見知った少尉達二人が、肩を組んで並んで立っていた。
「兵頭少尉、妹尾少尉!」
「よーぉ」
自分より広い妹尾の肩に手を回したまま、兵頭はいつも通り人を食った笑みを浮かべ、妹尾は困ったような、けれども優しい微笑を厳つい顔に湛えていた。
「何でお二人とも、こんなところに…? お二人は防衛線に、あれ?」
「はいはい、ちょい落ち着け」
あまりにも突然の、会う筈も無い人間に会えてしまった驚愕で、金森はわたわたと混乱している。それを宥める為かからかいの為か、綺麗に剃られた頭をつるつる撫でている兵頭に苦笑してから、妹尾は改めて口を開いた。
「もう、良いんですよ金森二等兵。もう、無理をしなくて良いんです」
「何を…?」
言っているんですか、と続けようとした声は、金森自身の唇に飲み込まれた。
空を見上げる。夜空だ。光帯が、酷く近い。近すぎる。
辺りを見回す。何も無い。平原だ。地面に積もっているのは雪ではなく、星の欠片のようにも、骨の欠片のようにも見える無数の粒だった。
ここは、あの北領では無い。
そして、自分は。





ぽつ、と白い地面に雫が落ちた。
妹尾が慰めるように、金森の小さな肩を何度も緩く叩く。本当お前って真面目な、と兵頭も呆れ交じりだったが、その頭を撫で続ける手は優しい。
ぽたぽたと落ち続ける雫を遮るように、金森は震える喉から必死に声を絞り出した。
「…っ隊長殿に……言ったんです」
「うん」
「少し、休んでっ、目が…覚めたら、」
「うん」
「また…お役に、立てますから…って…!」
促すように何度も頷いてくれる妹尾の声に耐えられなくなり、ぼろぼろと涙を零しながら、金森は嘆いた。
憧れだった。凄いと思った。だから、もっとお役に立ちたかった。それなのに、自分は。
最後まで導術兵の役目を果たせず、命を落としてしまった。
きっと彼の人は、思ったよりも使えなかった部下に失望しているだろう。
それが悔しくて、とても悲しくて、金森は泣いた。
少尉二人は困ったように顔を見合わせ、やがて兵頭が改めて小さな頭をぺち、と軽く叩いた。
「あのなぁ。俺が言うのも何だけど、お前滅茶苦茶頑張ったぞ。俺も妹尾も全員、やりたかない殿軍押し付けられて、あれだけやり切ったじゃねぇか。それでいんだよ。それぐらい、あの大隊長殿も解ってるって」
「そうですよ。元気だしてください…というのも、今更何か変ですが…」
同じく慰めようとしたらしい妹尾のどこか抜けた台詞に、兵頭が噴出す。
「違いねぇ。本当今更だよなぁ?」
「ぁ…それじゃ、お二人も―――」
漸く涙の止まったらしい目尻をごしごし擦って、金森が顔を上げる。その顔に嘆きは残っていても後悔は無い事が解ったので、兵頭はわざとふざけたように肩を竦めて答えた。
「おぅよ。盛大に玉砕って奴だ」
「私達こそ、お役に立てずに申し訳ないと言ったところです」
「そんな事! ……あ」
慌てて言葉を否定しようとして、自分が先刻の兵頭と同じような事を言おうとした事に気がついた金森は口を閉じた。気づいたな?とばかりに兵頭は人の悪い笑みを浮べる。
「だろ? 少なくとも、地獄の閻魔の前には行かなくて良いんじゃね?」
「…これから行く所にはいるかもしれないけどな」
さきり、と砂を踏む音と共に、第四者からの声がかけられ、三人は驚いて振り向いた。どこから歩いてきたのか、いつの間にか彼らの近くに立っていたのは、漆原だった。
「げ、お前も来たのかよ」
「という事は、予備隊は…」
「…っ、漆原少尉! 大隊長殿は―――」
三者三様の反応に、漆原はどこか落ち着いた感じで一つ息を吐いてから、彼にしては珍しく淡々と言葉を紡いだ。
「解らない。少なくとも俺が先に死んだから」
「状況はどうだったよ?」
「四面包囲の上白兵戦に入っていた。最も、俺が死んだのは油断して狙撃されたせいだけど」
「うわ、格好悪っ」
「なんだと!?」
奇妙な自嘲を率直に断じられ、漆原の頬に僅かに朱が刺す。そうするとこの北領の負け戦に参戦する前の―――もっと正確に言えば、新城直衛大隊長殿に不信感と反発を抱く前の彼そっくりに見える。
そんな素直な反応に、兵頭だけでなく妹尾も少々驚いていた。あれ以来どうにもささくれて不安定な彼の姿がお互い気にかかっていたが、自らそれを乗り越えたのだろうか。
二人の視線を受けてどう思ったのか、漆原はばつが悪そうに頭を掻き、酷く近く見える光帯を見上げた。
「あの人と俺が、違うものだという事はとうの昔に解っていたさ」
許せないし、認めたくもないけれど、それは間違いのない事実で。
「だから―――こんな所で」
俺如きが死んでしまう場所で。

「死なれたら、困る」

だから、きっと生きている。
そう言って微笑んだ漆原の笑顔は、苦笑のようにも微笑のようにも見えた。
「ほー。大人になったなぁ漆原。よし、お前も頭撫でちゃるからこっち来い」
「誰がっ」
「ああ二人とも、こんな所まで来て喧嘩しない…!」
「さてと。これからどうするよ? 本当にどっか行く場所とかあんのか?」
「…さぁ。俺も気づいたらここに向かって歩いていたし」
「私もです。どうしたもんですかね…?」
じゃれ合いつつも現在の奇妙な状況を話し合っている三人から少し離れ、金森は改めて空を仰いだ。
今自分達が何処に居るのかは良く解らない。でも少尉殿達と会えたということは、亡くなった人は皆ここに来るのかもしれない。
――――それなら。
さきり、と尻で白い砂を踏んで、金森はその場に腰掛けた。
「…? どうした、金森?」
それに気づいた漆原が振り向くと、金森はちょっと困ったように笑って、すみません、と詫びる。
「少しだけ、待ってみようと思います。大隊長殿が来られるのを」
三人の少尉は互いの顔を見合わせ、暫し沈黙する。
「申し上げたい事が、いっぱいあるんです。だから、それまで待ちたいんです」
曇りの無い笑顔を向けられ、兵頭がややばつが悪そうに返す。
「…あの人の事だし、そう簡単には来ないんじゃね?」
「そうですね…そう信じたいです」
「というより、来られたら困る。せめて生き残ってくれなきゃ、俺達が死んだのが馬鹿みたいじゃないか」
きつい息と共に言葉を吐いてから、漆原は一瞬迷って―――大股で金森に近づき、その横にどさりと腰を下ろした。
「だから、待ってやるよ。恨み言の10や20じゃおさまらない」
金森は一瞬目をぱちくりさせてから、膨れっ面のように見える漆原の横顔を見て、嬉しそうにまた笑った。
兵頭と妹尾は顔を見合わせて苦笑し―――どちらからともなくやっぱり歩きだし、その横に腰を下ろす。
「ま、どうせ行くアテもねぇしな」
「最期まで、あの人の部下だったんですから、待つべきですよね」
三人の顔を見渡して、金森は気がついた。彼らの他にも、あちらこちらに、待っている人が居る。
兵が、将が、猫達が、皆同じ方向を向いて待ち続けている。
我等が大隊長殿の、最期の帰還を。
「いっそ賭けね? あの人が何歳で来るか。俺は80越えのジジイと見たね」
「そんな不謹慎な…でも確かに、長生きなさりそうですねぇ」
「いくらなんでもそこまで待てない。60ぐらいで勘弁してくれ」
好き勝手に軽口を飛ばしているこの三人も、いざ彼の人が来れば立ち上がり、直立不動で敬礼をして迎えるのだろう。
その事実が何故だかとても誇らしくて、金森は自然に浮かぶ笑みを堪え、一度だけ目を閉じて導術を使った。
勿論これが、彼の人に届くわけが無いと解っていたし、その方が嬉しかったけれど。



――――お待ちしておりますから、どうかのんびりいらっしゃってください。
それだけを願っております――――大隊長殿。