時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

悪薬

お前は、どこまでやれば、俺を嫌ってくれるのか。
「ねぇ、何で泣くの」
「…ッ! ぅ…!」
「悪りーんだけど、さ。泣いても止めらんないんだわ。悦すぎて」
「…ぁ、ぅ、う、」
「……ッ、ねぇ、本当なんで」
無理やり、そんな機能が本来付加されていないはずの器官で相手の中心を銜え込みながら、兵頭は独り言のように呟き続けた。
「何で、止めろって言わないの」
どうしてこうなったのか。
考えることなど馬鹿らしいし、そんな時間も暇もない。
着実に迫る敵の大隊と遅々として進まぬ時計の針に対する苛立ちは、例え将校であろうと限界に達しつつあって。
且つ、自らの魂の半身とも言える猫を亡くしてしまった彼の笑顔が、日に日に磨り減っていくのが目に見えて解っていて。
それなのに何も吐き出そうとしない彼―――それが彼の優しさである事は先刻承知の上だ―――に別口で苛立って。
どうにか発散させてやろうと目論んだのは、単なる自分のお節介。興味も無かったと言えば、嘘になるけれど。
彼は当然狼狽して、とてもそんなことは出来ないと首を振ったから。
だったら俺のせいにしなさいよとばかりに、挨拶代わりに唇を奪ってやった。
――――彼は、抵抗しなかった。
「……もうちょい嫌がれよ、お前」
唇を外したときに見えたのは、限界まで見開かれたそれでも小さな目と、無精髭に不似合いな程、紅く染まった顔だった。
「…は、あの、いえ」
まだ両手を前に突き出して抵抗の意志を見せるので、半ば意地になっていたことは認める。
「こういう時まで敬語止めろ、萎える」
そんな勝手なことを言って、もう一度口を塞いでやった。
それからは特に、抵抗らしい抵抗も無く。
自分が上に乗って銜え込もうとした時だけ、あからさまに駄目ですそんなそれは無理ですと身を捩られたが、ここまで来て止められるか馬鹿と無理やり押し込んだ。
久しぶりだったのはお互い様で、ろくに保たなかったのは少々情けなかったが。
泣かせてしまったのは―――正直悪かったと、思う。そうさせたかったのは事実なのだが、矜持もへったくれも無理やり引き剥がしてしまったのだし。
終わった後に、一発二発殴られるのは上等寧ろ望むところ、だったのだ。
だったのだ、が。




今のこの状況はどうなのか、と兵頭は思う。
一瞬の狂乱が過ぎ去って、自分を取り戻した後。
彼―――妹尾は真っ先にこうのたまったのだ。「身体は大丈夫ですか!?」と。
兵頭は一瞬何を言われたのか理解出来ず、沈黙が落ち。
それを否定と取ったらしい妹尾が、「…なわけないですよね、すみません…」と大きな身体を縮めて更にそんなことを言ったので。
「…阿呆かお前は!」
問答無用で、拳骨一発、目の前の頭に振り下ろしていた。
「えっ、え?」
「…あのさ、妹尾。よーく考えろ? お前、俺に強姦されたんだけど?」
「は」
ぽんぽん、と肩を両手で叩いて殊更優しい声で紡いでやると、一拍置いてかぁっとまた頬が赤くなる。
「い、いえ、あの、そんな…それをしたのは、自分の方では」
「阿呆。同意なしに襲った方と襲われた方なら襲った方のが悪いだろーが、上か下かは関係ねぇ」
きっぱり言われた言葉に先刻のことを思い出したのか、赤い顔のまま妹尾は俯いてしまう。
何が何だか解らないうちに、絶頂に引き摺りこまれてしまった。軍隊でそういうことは決して珍しくないとは言え、今までどんな部下相手にでもそんなことをした経験は無かった。それが、同じ少尉である彼を相手に、しかも自分が上役で―――下役に腰の上に乗られた場合も上役と言えるのだろうか―――致してしまったというのは、とんでもない不敬では無いだろうか。
「だーかーらー」
「いたっ」
赤から青に変わった妹尾の顔色を敏感に察した兵頭は、びしっとかなり大きな音を立てて妹尾の額を指で弾いた。
「どーしてお前はすぐそんな考えに行くかね。くどいけど襲ったのは俺。…大体、最中にも言ってただろ、泣くほどキツいなら嫌がれって」
まぁ嫌だと言ってもあの最中に聞く気は無かったが、という本音は綺麗に心臓の裏辺りに仕舞いこんでおいて、それでもこちらも本気の声音で兵頭は呟いた。何となくじわりと浮かぶ居心地の悪さを消したくて、無性に細巻きが欲しくなったが手持ちはもう全部吸ってしまっていた。
しかし、その言葉に対する妹尾の反応は顕著だった。軽く痺れた額を摩っていた手を外してはっとした顔を見せ、慌てて身を乗り出した。
「そんなこと出来る訳無いじゃないですか」
「…は?」
何で、という意味を込めて口から音を零れ出した兵頭を、妹尾はいつに無くまっすぐ見詰めて言った。
「貴方のすることを、私が嫌えるわけないじゃないですか。貴方自身を、私が嫌えるわけないんですから」
それは、からかいや偽りなど入る微塵の隙間も許さない、有り得ない程純粋な結論で。
今度こそ、兵頭は完全に凍りついた。それは決して、天幕の隙間からにじり寄って来る北方の空気の寒さの為ではなく。
「…………せの、」
「…あ」
ひき、と引き攣る喉を如何にか抑えて相手の名前を搾り出そうとした時、先に相手の方が我に返った。紅くない場所など無いくらいに妹尾の頭部全体が真っ赤に染まる。
「し、失礼しました! そろそろ時間なので点呼に行ってきます…!」
慌てて身支度を整え―――精々が緩めた革帯を締めるだけだったけれど、慌てつつも割合確りした足取りで妹尾は天幕から出て行った。なるたけ負担かけないように気ィ使ったからな、と頭のどこか遠いところで人事のように兵頭は考えた。
「……おい。…おい、おい、おい」
ずるる、と凭れかかっていた荷物の上に滑り落ち、兵頭は片手で顔を覆った。触れた頬が僅かに熱い。畜生め、という悪態すらも力が入らない。
「何それ……反則だろ………」
改めて、自分はあの男に何一つ勝てないのだと自覚せざるを得ない。これでは結局、満たされたのは自分の方ではないか。
「生娘じゃあるまいし…」
自嘲の笑いを浮かべても、顔の熱さが中々退かず。
やはり細巻きが欲しくて、駄目元でかの大隊長殿に強請ってみようかと、普段ならばとても思いつかない恐ろしき所業を真剣に吟味し出した。