時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

スキンシップ・ハラスメント

好かれているのは解っても、
許容できないモノというのは、あるもので。
ぺたり。
「ぅひぃっ」
背中に突然襲い掛かった何とも言えぬ厭ぁな感触に、加具山はひっくり返った悲鳴を上げた。
こう、汗の滲んだ肌同士がぺったりくっつく、反射的に鳥肌が立ってしまう不快感。それを加具山に与えた犯人は、思わず飛び上がった彼に構わずへぇー、と感心した声を上げていたりする。
「お、おま、何だよ榛名っ」
「いやー、加具山さん筋肉ついたっすねー。ぱっと見背中だけじゃ気付かなかった」
狼藉を働いた相手は、後輩とは思えない堂々とした体躯を晒し、無造作に再び加具山の身体に手を伸ばしてくる。
「やーめーろー! その汗に塗れた手で触るな」
「加具山さんだってまだ汗拭いてないじゃねっすか! 差別っすよ!」
「何が差別だぁ!」
慌てて振り解くとムキになったのか、がばっと後ろから腹に両腕を回してくる。図らずも「腕の中にすっぽり」な状況になってしまってちょっぴり泣きたくなる。
「だー、離せって気色悪い!」
「ちょ、ヒドっ! そこまで言う事ないっしょ!」
思わず叫ぶ榛名の声は、露骨にショックだ! との思いが滲んでおり、そこに他意が含まれていない事が理解できたので加具山の追求は緩んでしまう。この傍若無人で感情の吐露が激しい後輩を、コンプレックスが刺激されまくる存在であると同時に尊敬しているのも確かなのだ。…例え、普段の言動や行動が手におえない事が多々あっても。
抵抗が僅かに萎えたその隙に気づいたのか、榛名はやはり無遠慮かつ無邪気に先輩の身体をべたべた触っている。それぐらいならもう慣れてしまい、他に部室に残っていた面子も加具山気の毒に、と思いつつスルーしていたのだが。
「あれ」
野球ダコの山ほど出来た掌がずるり、と加具山の腹を触った時、不意に声が上がった。 
「加具山さん腹筋割れてる!?」
驚愕した榛名の声と共に、慌てた両腕が腹の上に回ってくる。それだけならまだ良いが、そのとき既に加具山は下半身んの着替えを終えていて、後は前のボタンを止めるだけ、というところだった。そして榛名の手は何の遠慮もなく、確認すべしと下腹部、布の下までずぼ。と突っ込んでくるわけで――――
「な、にすんだこのバカ―――!!!」
ぼぐっ!!
「わー加具山がキレたぁ!!」
「秋丸呼べー秋丸ー!!」
耐えられる筈もなく、怒りの鉄拳が榛名の顎に炸裂し。野球部の面々は、この二人に唯一割って入れる―――と言うより唯一榛名を止められる、グラウンド整備の為まだここにいない控え捕手の名を連呼する事になるのだった。






「…で。一体何やったの榛名」
「……なんもしてねーよ」
「嘘つけぇ!!」
ひと時の阿鼻叫喚の後、酷く疲れた顔で「榛名の保護者(本人不本意)」が問うと、仕置きとして床に正座させられていた榛名はぶすくれた声でそれだけ返し、秋丸と並んで立っていた加具山の涙交じりの叫びを誘うことになった。
文句を言いながらも正座に従ったところを見ると一応反省はしているらしい、と踏んだ秋丸は改まった声でもう一度問う。
「悪い事したとは思ってるんだろ。何したの」
母親のような諭し方だったが、榛名もやはりぶすくれたまま、ぼそぼそと答えた。
「ちょっと、触っただけだって」
「なんだ、またセクハラか」
「セクハラってゆーな!」 
呆れたような秋丸の溜息に榛名が噛み付くが、セクハラでしょと軽くいなした。
加具山と榛名のスキンシップの濃淡にはかなり隔たりがあり、榛名にとっては触るのも抱きつくのも好意の一環であるのに、加具山にとっては驚愕の対象にしかならない。これはお互いが譲歩して慣らせば問題は無い事なのだが、生憎榛名の辞書に「相手を慮る」とか「譲歩する」という単語は存在しない。言えば理解は出来るのかもしれないが実践は出来ないだろう。寧ろ「相手が自分に合わせればいい」と堂々と言うのが俺様何様榛名様であると、秋丸は知りたくないが非常に良く知っている。
必然的に榛名は好き勝手し、加具山が耐え切れず逃げだす、という不毛ないたちごっこが続いているわけだ。
開き直ったのか、悪びれた様子も無く胸を張る榛名に、加具山の方がおずおずと答えてしまう。
「…なぁ、俺が間違ってるのか? あれは怒るべきことじゃないのか?」
「加具山先輩は何も間違ってないと思います。気にしないで下さい」
「ひっでー秋丸、加具山さんの味方すんのかよ!」
「するよ、そりゃ」
冷たい友人の台詞に流石に反省する気になったのか、いつも吊り上っている榛名の眉が僅かに下がる。部内での孤立は、怪我の次に榛名が最も恐れている事だ。どうやら忠告を聞く耳を取り戻したらしい友人に、秋丸も僅かな険を解く。
「先輩を好きなのは解ったから、少しは自重しな」
「うー…」
「い、いや秋丸…そう露骨に、好きとかそういうのは」
思春期の男子高校生にとって少々言い辛い単語を出されて、加具山の方が頬に朱を乗せてしまう。その言葉に如何思ったのか、榛名が白目がちな瞳をぱちぱち、と瞬かせる。
「オレ、加具山さんのことスキですよ?」
「ぇあ」
真っ直ぐ見詰められて言われた言葉に、変な声が加具山の喉から漏れた。その言葉に偽りが何一つ含まれていないことは、本当に、良く、知っているので。
「だから嬉しんス。加具山さんが、頑張ってんなぁ、って解るの」
にひ、と子供のように歯を剥き出しにして笑う榛名に、毬栗頭の先輩は何も言えなくなった。
結果を出せない自分に苦しみつつも、野球を諦めずにもう一度頑張れたのは榛名のおかげだ。榛名が、自分は野球が好きなのだ、と気づかせてくれたから。
「…そっか」
「そっすよ」
何となく和解の雰囲気が辺りに流れ、秋丸も密かに安堵の息を吐いた、のだが。
「んじゃまた触ってもいーすか?」
「何で触んだよ! 見るだけにしとけよ!」
「触ったほーがちゃんと解るんですって!」
すっかり立ち直ったらしい榛名の台詞に加具山が再び叫ぶ。それだけならじゃれあいの延長でどうにかなったかもしれないが、続く言葉が悪かった。
「それにオレ加具山さんの筋肉のつき方スキだし! 肩のとか腹筋とか、ちょっと舐めたくなるしっ!!」
ぴき、と一瞬部室の空気が凍り―――他のチームメイトはもう付き合い切れんと家路を辿っていたのが幸いした―――加具山は手早く荷物を抱え、ちゃ、と手を挙げた。
「んじゃ俺帰るわ。秋丸、悪ぃけどカギ」
「ええ、早く逃げてください先輩」
「えっ!? 何だよそれ! かぐやまさーん!?」
「榛名。今のはダメ。俺も一瞬友達付合い考えた」
「なんでだよーっ!!?」
榛名の絶叫を背中に聞きながら、加具山は全力疾走で部室から飛び出した。やっぱアイツ変!という心の叫びを口から飛び出させそうになるのをどうにか堪えて。
頬の温度がどんどん上がっていくのが、怒りのせいだけではないと気づくことも無く。




「俺そんなに変なこと言ったかー?」
「自覚が無いのがやばいよ榛名」
眉をきりきり吊り上げて心底不機嫌!と全身で訴える友人を生温かい目で見ながら、秋丸ははぁと溜息を吐いた。逃げ帰った心優しい先輩の心労を慮って。
しかしはた迷惑な台風の勢いは止まらず、榛名は実に真剣な声で秋丸に問うた。
「んっだよ秋丸! じゃーお前、スキな奴が上半身裸でいたら触りたくなんないのかよ!!」
「は」
間抜けな声を出して、秋丸がぴしりと固まる。かなり長い膠着時間を取ってから、顎に手を当てて真剣に考え込む。勿論かけられた問いに対してではなくて、もっと別の。
――――つまり。この友人が間違えていたのは、好意を伝える方法以前に、好意の種類そのものだったのではないか、と。
「どした?」
「あー、いやー…うん」
考え込んだ秋丸を不思議そうに覗き込んでくる榛名の顔にはもう不機嫌は無くなっている。先刻のも、答が欲しかったわけでなく、納得がいかなくて怒鳴っただけなのだろう。照れも何も無く、きっとかの先輩に対する好意が、特別なものであることにも気付いていないだろう暢気な顔に、毒気を完全に抜かれてしまった。
指摘して、自覚させることはできる。言い方一つでかの二人の関係はどんな風にも転がる。だが、しかし。
「いや、いいや…帰ろ、榛名」
「ん? おお」
懸命な秋丸は、敬愛する先輩に余計な気苦労を増やすことも、大切な友人にわざわざ道を踏み外させることも本位ではなかった為、全てを心の中に留めることに決めた。
何か食って帰ろーぜー、という誘いにいつも通りはいはいと頷きながら、もし自分に関わらず事態が進展してしまったら、口も手も出さず暖かく見守ろう―――とある意味無責任な誓いを心の中で立ててはいたが。