時計+人形

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夏の入り口

「はーなーいー! キャプテンおめでとー!」
「だから言うなってんだろ田島ああああ!!」
風が冷たさを含んできた夕暮れ、部活疲れをものともしない大声が響き渡る。後ろから怒鳴られた花井は絶叫してその声に怒鳴り返す。そうされた西浦四番こと田島は気を悪くした様子は毛ほども無く、自転車を両手で押しながらにひゃっと笑った。
「怒んなよ花井ー。そだ、シューニン祝いに肉まんおごれよ!」
「何で俺が奢るんだよ! お前が奢るだろ普通!」
ちなみに他の野球部の面々は手のかかる四番のお守りを全て、本日就任したキャプテンに任せて三々五々散っている。あいつら人の苦労も知らないでと一人ごちてみるものの、苦労する事が解っていてこの任に就任してしまった人間には何も言えないであろう。
怒鳴られた田島はどんぐりまなこをぱちぱちと瞬かせてから、ぽーんと大きく掌を拳で打つ。今度は何だ!と戦々恐々している花井の気も知らず、うんうん頷きながら言葉を紡いだ。
「それもそっか! じゃ俺が肉まんおごる!」
「へ?」
まさかそんな答が返って来るとは思っていなかった花井が間抜けな声を出す。田島は自分の言動と行動に何も疑問を持っていないらしく、たったか走り出して最寄のコンビニに飛び込んでいった。自転車を乱暴にドアの脇に止め、早く来いよーという田島の声に我に返り、花井も慌てて後を追った。




「ほいっ」
「あ、あー…さんきゅ」
てしっ、と湯気の立つ肉まんを手の中に押し込まれ、やや照れながらも礼する花井に、田島はやはりにかーと笑って、器用に片手だけで自転車を操りながら、ちゃっかり自分の分も買っておいた肉まんを大口で頬張る。美味そうに咀嚼する姿に唾を飲み、花井も思い切りかぶりついた。散々身体を苛めた後の空腹には堪えられないご馳走だった。
まだ温かい食料をもぐもぐやりながら、花井はこっそり隣を大股で歩く田島を見下ろした。そう、見下ろせるのだ。身長差は歴然で、体格も骨格も自分と比べ物にならないほど小さい。
それでもその身体の中には、天性の素質といっていい野球の才能が詰まっている。多分―――いや絶対、今の自分では太刀打ちできない。そんな卑屈な思いさえ頭をもたげてしまうほどに。
空を仰ぐ。夕暮れが端からじわじわと藍色に変わっていく。言葉が発せられなくなった為、田島の自転車のカラカラという音だけが辺りに響いている。
「…なぁ」
「んー? なに?」
あっという間に食べ終えた肉まんを名残惜しそうに、口元をぺろぺろ舐めていた田島が花井を振り仰ぐ。逸らされない視線に何故か気圧されてしまうが、心の中だけで堪えて一つ息を吐く。
「お前はさ、キャプテンやりてーとか思わねぇの?」
「キャプテン? 無理無理ぜってー無理。オレみんなをまとめるーとか出来ねーもん」
首を横に振りながらあっけらかんと笑う田島に、いやそりゃそうだけどなと返しつつも花井は心密かに思う。―――実力で劣ってしまう男に、お前はついてくる気があるのかと。
思ってから、何考えてるんだ卑屈すぎる俺これじゃ三橋のこと怒れねぇよ、とがくりと肩を落とした。大役を任された事によってナイーブな彼の心象が現れているが故の葛藤なのだが、本人は気付いていない。
「花井が一番似合ってるって」
「――――え?」
不意に、横から声をかけられて、反応が遅れた。ぱっと振り向くと、やはり同じ位置に田島の顔があって、やはり同じように―――笑っていた。
「花井がキャプテンなのが一番イイって。オレが保障する!」
えへん、と胸を反らせて言われる台詞に、根拠なんてないと解っているのに。



「―――甲子園行こうぜ! キャプテン!!」
そんな能天気な一言が、どうしようもなく嬉しかった。



「……っ、うるせぇよ! キャプテン言うな!」
「じゃー甲子園行こうぜ、花井ー!」
「わーかった、わーかったっつーの!!」
嬉しさか羞恥か苛立ちか、とにかく良く解らないごちゃまぜの感情に突き動かされて花井は早足で歩き出した。それを追って田島もすぐに追いつき、再び声を張り上げる。そんなじゃれあいを続けているうちに、花井が乗るバスの停車場まで辿り着いた。
「んじゃオレ帰るー! じゃーな花井、また明日な!」
「おう。朝練遅れんなよ、宿題忘れんなよ! 忘れもんしても貸してやんねーからな!」
自転車にまたがり、思い切りペダルを踏んだ田島の背中に花井が声をかける。こういう時にこう言ってしまうから、部員全員にキャプテンと認められたりしてしまうのだが、それは言わぬが花である。
そんな声にどう思ったのか、キキーッと急ブレーキをかけて田島の自転車が止まる。どうしたのかと首を傾げる前に、花井の方を振り向いて田島が叫んだ。
「はないー!! 花井も飯食って歯ぁ磨いて風呂入って、ヌイて寝ろよー!!」
「んなっ…! こっ、バカヤロー!!!」
幸いバス停には花井以外の人影は無かったが、端的過ぎる田島の言葉に真っ赤になって慌ててしまう。田島はわはははは、と笑いながら物凄いスピードで走り去ってしまった。
「ったく、あのバカ……………?」
憤懣やる方なく踵を返してから、はたと気付いた。田島が自転車で駆け去っていった方向は、今まで自分達が歩いてきた、即ち学校への方向。そして思い出した、田島の家は自分とは正反対の方向にあるということを。
つまり、自転車一分の通学時間を有する田島が、わざわざ遠回り過ぎる遠回りをして自分に付き合っていたということ。
端から奢るつもりだったのか本気で奢らせるつもりだったのか、主将に就任した自分を励ます為かからかう為か、全く意味が解らないけれど――――
「…ワケ、わっかんねぇ」
思わず呟いた花井の顔からは赤みが中々引かなかった。
それを隠すように仰いだ空は、もう随分と暗い。
もうすぐ、夏がやってくる。