時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

ヴァーサス・ヴァーサス

「じゃあ次、30ページからやるぞー」
「待ってーここ終わってねぇ!」
「悪い誰か消しゴム貸してくれー」
「自分の出せよ」
「8番解けた人いるー?」
ぎゃあぎゃあ、わあわあと、勉強をしているとは思えないテンションで教科書をめくり、ノートになにやら書き込む。
三橋の即席誕生会が終わってから、改めて試験勉強を始め一時間弱。喋りながらも皆それなりに捗っているようだった。
「三橋」
「はぅえっ、」
西広の優しい指導のもと、田嶋と共に全教科指導を受けていた三橋は、不意に後ろから声をかけられて胡座をかいたまま飛び上がった。びくびくしながら振り向くと、自分の分のノルマを終えて他の数学を見ていた阿部だった。西広に任せているものの、自分のエースの出来が気になるらしい。
「調子どう?」
「だ、だ、だい じょぶっ」
「そっか。頑張れよ」
「ん、うんっ」
珍しく柔らかい阿部の口調に、三橋も喜色を浮かべる。阿部の頭には先刻見せて貰った、三橋の努力の賜物である九分割投球がある。あれだけの実力の持ち主に、必ずそれに見合った勝利を提供したいが為に、自然と阿部の勉学にも力が入っているのだ。
「阿部ー。悪い、ここなんだけどさ」
「おぅ」
後ろから栄口に呼ばれ、踵を返した時に、プルルルルッと部屋の子機が電子音を発した。不意の音に皆びっくりして顔を上げる。
「わ」
「何だ、電話?」
「三橋ー」
「う、うぉっ」
周りに促され、わたわたと立ち上がって部屋の隅に放り投げてあった子機を掴む。慌てている為手間取ったが、ようやく通話ボタンを押せた。
「も もしもし」
『廉? ごめんねー勉強中に。あんたに電話よ、叶くんから』
「えぇっ、」
告げられた名前に三橋が硬直する。幼馴染で、元チームメイトで、つい先日過去の遺恨を断つ為に試合をしたチームのエースからの電話。素直な嬉しさと、相手が怒っているのではないかという不安が合わさってぐるぐる回り、混乱しているうちに通話が繋がってしまった。
『もしもし、三橋?』
「し、しっ、修 ちゃんっ」
耳元で自分の名前を呼ぶ少し高めの声に、三橋の緊張はピークに達して悲鳴のような声が出てしまい、更に動揺のままに子供の頃の呼び名を使ってしまった。
ぱきっ。
軽い音がして、シャープペンの芯が一本折れた。それの持ち主は、今まさに栄口に問題の解説をしようとしていた阿部である。体感温度が確実に2,3度下がったような気がして、栄口は思い切り身震いした。
「…誰だ」
「え?」
地を這うような、という形容が似合う阿部の声に、三橋並みにびくびくしながら栄口が問うと、がっし!と両肩を掴まれて凄まれた。
「シュウちゃんって誰だ…!!」
「俺に聞くなよ! 知らねーよ!」
普段の余裕がゼロどころかマイナスに入ってしまった阿部と、半泣きになりながらも必死に正論を吐く栄口に、三橋の電話は更に爆弾を放り込む。
『…ぅわ、何か懐かしー呼び方された』
「あ、ご、ごめっ、叶、くん…」
びきゅっ。
今度は、何か壊れたわけでもない。空間が軋む音がした。周りの面々が皆訝しげに顔を上げ、一様に阿部の鬼気迫った顔を見て驚愕に仰け反っているから、決して自分だけの空耳では無いのだろうと栄口は思った。
『いーよ、別にそのまんまで。…じゃ俺も、久々に廉て呼ぶ』
「え えへ」
僅かに照れが入りつつも嬉しそうな叶の声に、三橋の顔も綻ぶ。それに反比例して部屋の気温はどんどん下がっていくが気付いていないようだった。
「叶って…アレか。三星のピッチャーか」
「おう! すげーフォークの奴!」
「名前は忘れても球種は覚えてんだなお前…」
氷点下のトワイライトゾーンに一人無傷だった田島が、阿部の怨嗟に顔色一つ変えず手を上げて答えて思わず花井に突っ込まれる。
「っ何を今更、三橋に何の用だ…!」
阿部にとっては三星の連中は皆、三橋を理解せずにチームから追い出した許しがたい奴らである。叶だけは三橋の実力を認めていたことは阿部も知っているのだが…だからこそ許せないと言う複雑な男心も混じっているようである。
『えっとさ、…廉』
「う、うんっ」
『…誕生日。おめでと』
「!!! あ、ありっ、ありが、と…!」
耳元で告げられた言葉に、三橋の体温が一気に上昇する。今日は只でさえチームメイト全員に初めて家で誕生日を祝って貰えた上、大好きな幼馴染にまでお祝いの言葉を貰えた。幸せすぎて頭に花が咲いてしまう。
幸せオーラを撒き散らし少しずつ絶対零度空間を駆逐していく三橋に、そう丈夫ではない堪忍袋の緒が切れた阿部はすっくと立ち上がり、問答無用で三橋の手から子機を取り上げた。
「はぅ!?」
『どうした、廉!?』
「レン…だぁ〜? 随分と慣れ慣れしいじゃねぇか、ああ?」
『あ? お前誰だよ? 廉に代われよ』
「何だ、物忘れ激しいな? 俺だよ、今三橋とバッテリー組んでるキャッチャーだ」
はっ、と心底馬鹿にしたような呼気で笑う阿部に対し、電話の向こう側の空気もぴしりと凍りつく。暫しの沈黙の後、これまた地を這いずるような低い声がした。
『…テメェ。何で廉の家に居るんだよ』
「決まってんだろ? 三橋の誕生祝いだよ」
「いや、元は試験勉強…」
「しっ! 余計なこと言うな!」
思わず突っ込みを入れそうになった水谷の口を咄嗟に巣山が塞ぐ。幸い阿部の耳には宿敵の声しか届いていないらしく、剣呑な雰囲気は更に高まっていく。
「残念だったなぁ、群馬じゃそうそう簡単に来れないからなぁ?」
『っ…余計なお世話だ! 俺だって出来ることなら…』
荒げかけた叶の声が、不意に止まった。阿部がいぶかしみ耳を澄ますと、何かに気付いたとでもいうようにあーあー、と納得した声が聞こえた。
『何だよ西浦のキャッチャー。俺が電話して邪魔したから拗ねてんのか? ガキだなー』
「…んだとォ…? そりゃこっちの台詞だ、バーカ」
『言っとくけど俺は、ガキの頃から廉のこと知ってっから。どうせ誕生日なんて、今日まで知らなかったんだろ?』
「ッ…!」
図星を立て続けに刺されてしまい、流石の阿部も臍を噛む。戦いは膠着状態に陥った。…およそ馬鹿馬鹿しい諍いではあるが。
立ったまま何も出来ず、おろおろと阿部と受話器を見比べている三橋が不憫になったのか、恐る恐る花井が問いかけた。
「あー…良く話が見えねーんだけど。電話、叶だったんだな?」
「へ、う、うんっ。た たん、誕生日っ、おめでとって」
「そーか、良かったな…いや、良くなく、はない、んだが…」
ぎろりと阿部の垂れ目で睨まれて流石の花井も腰が引けている。そんな花井の言葉をどう思ったのか、三橋はどもる言葉に構わず必死に叫んだ。
「うっ、うれしか ったよ! 修ちゃんにもっ、阿部君にもっ、皆にもっ、お、おめでとって言われて、うれっ、うれしかったっ、よ!!」
顔を真っ赤にした大声の、素直な感謝の言葉に、一瞬空白が空き。
「………叶。この勝負はまた今度だ」
『………仕方ねぇな。廉に免じて、ここは引いてやるよ』
何となく顔を紅くしつつ、気まずげに阿部が呟く。恐らく電話の向こう側の叶もちゃんと聞こえたのだろう、同じような顔をしている。何の勝負をしてたんだ、という部員全員の心の突っ込みを無視し、阿部は電話を切ろうとする。
『おい、最後に廉と代われよッ』
その気配に気付いたのか叶が慌てて声をあげるが、「誰が」と一言断じてぷつりと通話ボタンを切った。
「あ、阿部くっ、切っちゃった?」
「ああ。最後に、お前にヨロシクって言ってたぞ」
((((((((嘘だ…絶対嘘だ…! 途中で切っちゃったんだ…!))))))))
また全員の言葉にならない突っ込みが入るが、それに気付かない三橋はそかっ、と嬉しそうに破顔する。誕生祝もそうだったが、叶と昔のような気の置けない会話が出来たことが嬉しかったのだろう。
「三橋」
「ん? な、なに?」
「…俺達はこれからだよな?」
「? ? う、うん?」
ぽん、と三橋の肩を叩ききっぱりと言い切る阿部の瞳には、幼馴染の年数などこれからすぐに抜いてやるぜ、という気概に溢れていて、他の面々の深い溜息を誘うのだった。





「おう、叶〜。そろそろ消灯やで、部屋帰らんと…叶ー? どないしたー?」
公衆電話の受話器を握り締めたまま固まっている叶に、丁度通りかかった織田が声をかけると、ぎぎぎ、と音を立てそうなぐらいぎごちなく叶が振り向いた。気の強さを体現するような釣り目に明確な怒気が備わっていて、織田も一歩後退った。
「…あ・あんのクソキャッチ〜〜〜っ!! 許さねぇ絶対許さねぇ、廉返せ〜〜〜〜!!!」
「か、叶!? 何や何があったーっ!!?」
「今から西浦行って、取り返してくるっ!!」
「待て落ち着けー!!」
爆発して寮の窓から飛び出そうとする叶を必死に宥めながら、織田も先程の西浦の面々と同じような溜息を一つ吐くのだった。