時計+人形

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泣き虫先生

空が高い。
一日の仕事を漸く終え、イルカは手近な公園のベンチに座って遥か上を眺めていた。
木の葉の里を襲った災難による爪痕も漸く消えかけ、子供達には笑顔が戻りだしていた。夕暮れに染まりだした空から吹いてくる風は優しくて、イルカはひっそり口の端を緩める。
送っていった子供達の声か、甲高くはしゃぐ声が微かに聞こえる。すると何故か―――イルカは、眉間に小さく皺を寄せて、浮かんでいた笑顔を引っ込めてしまった。
「…ナルト」
小さく呟いてから、はっと我に返り口を抑えてばばっ!と辺りを見回す。幸い人影も気配もロクに無く、安堵の息を吐いた。
教え子の中で一番手がかかり、同時に一番可愛がっていた子供は、自分の意思で「伝説の三忍」の一人である自来也に弟子入りし里を離れた。心配であり、誇らしくもあり、同時にほんの少しだけ、寂しかった。
「うう、情けない…」
思わず天を再び仰いで呻いてしまう。声に出したらますます情けなさが際立ったようで、目尻がじわりと熱くなる。慌てて顔を手の甲で覆い、誤魔化すように拭って離した。
「目ぇ赤くなっちゃいません?」
「ぅおおぅあああああ!!!?」
次の瞬間、イルカは驚愕の余りベンチから飛び退ってひっくり返った。忍者にしてはあるまじき失態と言えるが、無理も無い。今現在ベンチの背もたれの上にしゃがんで頭を掻いている銀髪の上忍は、その気配を全く感じさせずに先刻イルカの顔を覗き込んでくれたのだから。
「そんなオバケ見たような目で見ないで下さいよ」
傷つくなー、等と言いながらカカシはひらりとベンチから飛び降りると、未だ尻餅をついたままのイルカに手を差し伸べた。
「あ、すみません…じゃなくて! 何やってんですか貴方そんな所で!」
素直にその手に掴まって立ち上がってから、我に返ったイルカが慌てて叫ぶ。顔が赤いのは失態を見せてしまった故の恥ずかしさだ。その顔を見て、眠たそうな目を何回か瞬かせたカカシは、いつも通り飄々と答える。
「いやー、お恥ずかしい理由なんですけどね、イルカ先生を探してたんですよ」
「は…?」
言われた言葉の意味が解らず、イルカはぽかーんとしてしまう。自分はカカシのことは嫌と言うほど、噂やらナルト達からの報告で知ってはいたけれど、向こうは自分のことなど殆ど知らないはず。そんな疑問が顔に出ていたのか、カカシはマスクの下で恐らく微笑んだのだろう、目が少しだけ細まった。
「イルカ先生のことは良〜く知ってますよ〜。アイツら…特にナルトからイヤって程聞かされてますし」
「は、あ…それは、どうも」
先程とは別の羞恥心が沸いてきて、取り合えずイルカは頭を下げた。どんなことを吹き込んだんだナルトオオオ!という雄叫びを飲み込んで。
飲み込んでから、また今教え子が遠い空の下に居る事を思い出して、俯いてしまったけれど。
目の前で顔を曇らせたイルカを如何思ったのか、カカシはまた表情を読めない顔でぽそりと呟いた。
「サスケも、ナルトも。行っちゃいましたし」
小さな声だったが、イルカの耳には確かに届いた。はっと顔をあげるけれど、やはりカカシの顔は変わらず無表情。それでもその瞳にほんの僅か、自分と同じ感情が埋まっているのを、見つけた。
寂しさ、だ。復讐を胸に里を飛び出した少年と、それを追う為に里を旅立った少年を思い。
「もーアイツらも薄情というか。困ったもんですよねぇ」
はは、と小さく声を上げてカカシは笑った。一つだけ見えている目が山形になっている。それなのにやはりその顔が、随分と寂しそうに見えた。
いくらなんでも失礼だろうそれは、と思わず目を逸らしてしまったイルカの肩に、唐突にカカシの頭が生えた。
「うぉあ!!?」
一瞬の内にイルカの後ろに回ったカカシが、イルカの肩に顎を乗せたのである。動揺するイルカを他所に、カカシは両腕をするりとカカシの腰に回して体重を預ける。
「…慰めて欲しかったんです」
「な………」
耳元で空気が揺れた。それは里を担う上忍とは信じられない程の、酷く小さな弱い声で。反論も抵抗も全て封じられてしまった。
動けずただ両手をわきわきと動かすだけのイルカに、カカシは喉の奥だけでもう一度笑った。今度は寂寥感など含まれていない、本当に面白そうな笑いだった。
「本ー当。ナルトに聞いたとおり、優しいんですね、アナタは」
「いえ…その、」
「―――すみませんでした。俺の、監督不行届きです」
孤独に凝り固まる魂を、救い出すことが出来なかった。それにより、もう一人の教え子に過酷な使命を背負わせてしまった。本当なら自分が、やらなければいけないことだったのに。
回された両腕には全く力が篭っていない。その気になれば振り解けることにイルカも気付いていたが、その気になれなかった。
だってまるで、今背中にへばりついているこの人は、本当に子供のようで、
「…それを言うなら、俺もそうですよ。俺もあいつらの先生なのに―――何も出来なかった」
そっと相手の手の甲に手を重ねて、静かに言った。ほんの僅かだけ、掌の中の手が震えたような気がした。
慰めが欲しい等、方便でしかない。この人は詫びに来たのだ―――自分がどれだけ教え子達を愛しているのか、知っていたから。それはつまり、彼自身も自分の部下を大切に思ってきたからこそ。
―――お互い、過去を悔やむのはそろそろ止める時間だ。いつでも出来ることだから、今は全部飲み込んで前に進まなければ。
そう思っているのに、じわりとまた目頭が熱くなる。
「…スイマセン」
「え?」
「俺の方が、慰めて貰った、みたいです」
「―――――いいえぇ? そーんなこと無いですよ」
したり、と重ねられた手の上に落ちてきた雫に気付いたのか、カカシは僅かな沈黙の後緩く首を振り、俯いたイルカとは対称的に空を仰いだ。
夕暮れはいつの間にか、紫から藍色に変わりきっていた。
「…帰って、来ますよね」
確信を持って呟いたのはどちらだったのか。
「帰って、来ますよ」
得たりと頷いたのは、どちらだったのか。
どちらか解らない程の夜の戸張の中で、それでも二人は微笑んだ。相手の顔が見れないことを、ほんの少しだけ残念だと思いながら。