時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

coffee break

道で出会ったのは、ほんの偶然だった。
「お?」
「…………」
声を上げたのは相手。無言なままの自分。
お互い、そんなに知っている間柄ではない。でも、無視するにはその存在が大きすぎた。
「手塚か。久し振りだな」
「……あぁ」
橘桔平。不動峰中学テニス部部長。腐った前部活を立て直し、地区大会2位の実力を発揮させた男。
それぐらいしか、知らない。
「ちょうど良かった。お前、この辺に詳しいか?」
「…まぁな」
「この店、どこにあるか解るか?」
気軽に手渡された紙には、地図……のような線の羅列と、店の名前。青学御用達のスポーツショップの名前だった。
「どうだ?」
「これから行く所だ」
「本当か! 悪い、ついていって良いか」
苦笑いしてこちらを片手で拝んでくる相手に、頷いた。
「別に構わない」
それだけ言って、先導する様に歩き出した。
「ったく、神尾のヤツ何が地図書いたから、だ。こんな解りにくく書きやがって…」
「やはり地図だったのか、それは」
「あぁ。部長をパシリに使うようなヤツが書いた、な」
咎めるような口調だが、その瞳は優しい。こういう所が、彼が信頼される理由だろう。
同じ部長として、学ぶべき所だと、思う。



幸い店にはすぐ着いて、お互いの用事を済ますことが出来た。
店を出てから、何となく並んで歩いて会話を続けた。
「最近、不動峰の調子はどうだ?」
「何だ、探りか?」
「別にそんなつもりはない」
憮然として答えると、笑って悪い、といなした。
地区大会で会った時は、笑顔など見たことがなかった。人の上に立つ部長としての顔が、そうなのだろう。 
そして、今自分の前で見せているのが、一人の人間である橘桔平としての顔。
「順調さ。都大会では、カリを返させて貰うぞ」
「…こちらも、負ける気はない」
程好い緊張感の上での会話。決して不快ではない空気。
誰かと話す時にこんなに自然に話せるのは、久し振りだった。
―――何故だろう?
決して今まで親しかったわけではないのに。
少し考えて、結論に思い至った。
―――あぁ、そうか。
立場が同じなのだ。彼と自分は。
同じ部長と言う重責を背負い、部員達を率いて戦う。
それでも、こんなに話が楽しいと思うのは初めてだ。
人と付き合うのは苦手だった。自分と顔を合わせると、相手が僅かに臆するのが解るからだ。同じ学年の部員はそんなことはないが、他の同級生達からは一歩離れた関係を望まれている。
別にそのことが苦痛ではなかった。相手に気を使うのは苦手だ。
尊敬と敬遠は紙一重。しかし目の前の彼は、そんな反応は一切しなかった。
それが少しだけ心地良かった。



「手塚?」
「! …何だ?」
意識を飛ばしていたらしい。ふと気がつくと、交差点の角で、橘が立ち止まっていた。
「俺はこっちなんだが…お前は?」
指差す方向と、自分の帰り道は逆方向だった。
「いや…こっちだ」
「そうか。じゃあ、またな」
「あぁ…」
軽く手を上げて、踵を返そうとする相手に。
「橘」
声をかけると同時に、肩に手を伸ばしていた。




肩を、その指で掴まれた。
「…どうした?」
僅かに動揺を滲ませて振り向くと、相手も困惑した色を瞳に浮かばせていた。手塚がそんな顔をするとは想像できなかったので、ついじっくりと見入ってしまった。
「………まだ、時間はあるか?」
「…あぁ」
「もう少し、話したい。構わないか?」
まさか彼の唇からそんな言葉が出るとは思わなくて、一瞬呆けてしまった。
「駄目か?」
「…いや、大丈夫だ」
失望が声音に混じったような気がして、慌てて否定した。
「近くに、兄の店がある。そこで、少し休んでいけ」
「へぇ、兄貴いるのか?」
「あぁ…、年がかなり離れているから、そんな気はしないんだが」
実際、物心ついた時にはもう独立していたので、年の離れた兄弟というより親戚のような感じが強い。
実家から程よく離れた所に喫茶店を構えていて、小学生の頃から良く遊びに行っていた。
その店に向かって歩きながら、その事を手短に説明した。
「そうか…いいな、上の兄弟がいるってのは」
「お前は違うのか」
「あぁ、妹が一人だけだ」
「そっちの方が羨ましいぞ。殆ど一人っ子のようなものだからな」
「そうか? 最近生意気になってきて困るぞ」
他愛無い会話。そんなことなのに、随分久し振りのような気がする。
学校にいると、嫌でも「部長」としての肩書きを背負わされる。別にそれを疎ましく思ったことはないが、二人ともまだ中学3年生。たまには肩の力を抜きたくなって当たり前だろう。



小奇麗な喫茶店には「CLOSE」の札がかかっていたが、手塚は鞄から家の鍵とは別のキーホルダーを取り出して、ドアを開けた。
「いいのか?」
「あぁ、気紛れだからな。良く休みになってる」
「商売する気あるのか?」
「さぁな」
肩を竦めると、堪えきれない様に橘が笑った。
中は、10人も入れば満席になってしまうテーブルとカウンター。カウンターに客を座るように促すと、手塚はその中に入った。
「コーヒーでいいか?」
「入れられるのか?」
「見よう見真似でな」
ちゃんと豆から挽く本格的なものだ。感心した様に橘が溜息を吐く。
暫くすると、いい香りが店の中に広がり出した。



二つのコーヒーカップを挟んで、二人の部長の話は続く。
学校のこと、部活のことは勿論、家のこと、将来のこと、友人のこと……何時になく軽い口を、押さえる気持ちも失せた。
この優しい時間を、少しでも長く続けたかったから。
でも、どんなに楽しい時間もいつかは終わる。
カロン、とドアベルが鳴って、家主が帰ってきた。
「あれ、光くん。来てたのかい?」
「はい」
「あ、お邪魔してます」
「いらっしゃい。友達かい?」
『……………』
友達……とは言えないだろう。そう言うにしては付き合いは浅いし、それでいて……
思わず顔を見合わせてしまった二人に、店長は首を傾げる。
「じゃあそろそろ帰るから…」
「あぁ」
ぎこちなく立ちあがって、擦れ違いざまに会釈していく礼儀正しい少年と、いつもどうり無表情なはずなのにどこか嬉しそうな、そして寂しそうな賢弟を見送って。
「お邪魔だったかな?」
そう一人ごちた。



「それじゃあ、な」
「あぁ」
言葉少なに挨拶を交わして。
紡いだ糸が切れてしまうことを少しだけ残念に思いながら俯くと、
「また…来ても良いか? ここに」
相手の方から糸を繋いでくれた。
「…済まなかったな。無理に引き止めて」
「いや、楽しかったぜ」
そう笑ってくる相手を見て、ほんの少しだけ口元が綻んだ。橘の動きが一瞬止まる。
「…どうした?」
「いや……」
一旦言葉を切って。
「その方が良いぞ」
「何がだ?」
「たまには笑ってみろ。感じ良いぞ」
驚いた。自分では笑っている気がしなかったので。
「また、な」
「…あぁ、また」
ぽん、と軽く肩を叩いて、橘は走り去った。
触れられた肩の部分がまだ熱を持っているような気がして、そこに軽く触れてみた。




たまには、こんな日も悪くない。