時計+人形

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ドクター

試合が終わった。
決して後悔しない試合の内容であったけれど、負けたことには変わりがない。
乾はデータノートを睨みながら今回の試合と、今後について吟味する。
今後。そう、自分自身はダブルスをこれ以上続けるつもりは無かった。否、自分自身はこれから力を伸ばしデータ収集を続ける為、ダブルスをやるのは魅力的だったのだが、かのプライドの高い相方がそれをこれ以上許す筈がないと思っていたのだ。
実際今回の試合で、乾が提示した条件―――シングルスで通用するブーメランスネイクの会得、は達成できたわけで。当然海堂は、これ以上ダブルスを必要とはしないだろうとほぼ100%の予想を立てていたのだ。
しかしそれは外れてしまった。他ならぬ海堂からの申し出によって。
『まだダブルスでアンタに借りを返してない』
竜崎顧問は快くその言葉を受け取り、乾自身も非常に嬉しかったわけだが。
自分の予想が外れてしまったことが酷く意外で、首を捻ってしまう。
疑問を解消する為、そしてそろそろクールダウンを促す為に、乾は興奮冷め遣らぬであろう後輩を探しに立ちあがった。






ダッダッダッダッダッ、とダッシュの音が木々の間に響く。
かなりの体力を消耗した試合の後、無茶と言えるほどの全力ダッシュを繰り返す。
悔しい。悔しさが更に足を前に動かす。
もう少し。もう少し自分の体力が続いていれば、決して負けることは無かった筈だ。
海堂自身、念願のブーメランスネイクを会得した嬉しさが無い訳がない。それ以上に悔しくて仕方が無いのだ。フシュウウウ、と息を吐き、再びダッシュをかけようと―――――
「こーら」
ぐいっ。
「!!!」
後から襟首を捕まれ、引き倒される。咄嗟のことで反応できず、倒れる!と眼を瞑った瞬間、とさっと柔らかい所に背中を包まれた。
「これ以上は駄目。クールダウンしよう」
「…先輩」
はっと眼を開くと、逆光でも光って見える眼鏡が確認できて、ふうと息を吐いた。そして自分の身体が完全に乾の身体に支えられていることに気づき、慌てて腹筋で起きあがる。
「気持ちは、解らなくもないけど。身体壊すぞ」
「…余計な世話っすよ」
「余計って…。これでも心配してるんですけど」
困ったように眉を寄せる先輩に、解っているけどそれでもやはり素直に礼を言う事が出来ず、海堂はぎごちなく眼を逸らした。
「はい、座って」
「? ―――っ!?」
とん、と両肩に手を置かれて、首を傾げた瞬間、地面に無理矢理座らされた。投げ出された片足を乾が手に取り、脹脛の方からゆっくりとマッサージをはじめた。
「無理だけはするなよ。お前一人の身体じゃないんだから」
「…何、言ってんすか」
冗談にしか聞こえなくて、ぎろりと乾を睨むが、乾は却ってきょとん、とした顔で、
「だってそうだろ? 俺達これからパートナーなんだから」
とあっさり返してきた。自分にとっては聞き慣れない―――というより初めての言葉に、海堂は戸惑ったようにまた眼を逸らした。
「まだ俺とダブルス、組んでくれるんだろ?」
優しい声が、空気だけでなく、触れている指から皮膚に伝わってくるような気がした。その心地良さに、海堂の緊張が少しずつ解れていく。
「………アンタは」
「うん?」
「アンタは、それでいいのか」
「…何が?」
「っ……、アンタは、まだ、俺と――――…」
やはり言い慣れない言葉を紡ぎ切ることが出来なくて、海堂は苛立たしげに歯噛みする。しかし乾は彼の言いたいことを何となく察し、安心させるように唇の端を引き上げた。
「俺は正直、お願いしたいぐらいだったんだけど。プレイスタイルならダブルスとして噛み合う目測はついてたし。それに――――」
そこで一旦言葉を切り、はい左足、と手を伸ばす。気づいて海堂が足を組み代えるのを手伝ってから、またゆっくりと語り出す。
「俺は正直今まで、ダブルスっていうものにそんなに興味が無かったんだ。自分を上手く動かせるのは自分しかいないし、合わせる自信があってもパートナーを信頼するっていうのは酷く難しいから」
その意見には概ね賛成だったらしく、こくりと海堂が頷く。表現の仕方や人当たりのやり方の差はあれど、こういうところ自分達はとても似ているなと乾も思っていた。
簡単に言ってしまえば、一人の方が気楽、なのだ。人に気を使うのは苦手だし、変にペースを崩されるのは御免蒙りたい。
しかし。
「それでも―――、お前とやるダブルスは、楽しいんだ」
「―――――――」
海堂の息を呑む音が聞こえた。顔を上げると、解り易い驚愕を瞳に張り付かせたまま固まっている海堂がいて、笑わざるをえなかった。
「悪くなかった。寧ろ、凄く楽しかったんだよ」
困ったような海堂に、更に追い討ちをかけてやると、色の白い海堂の頬にさぁっと朱が散った。
そんな様子が可愛くて、ついもっと意地悪をしたくなってしまう。
「海堂は、どうだった?」
「っ……、離せっ!」
顔を覗きこもうとすると逸らされ、腕を無理矢理振り解かれた。肩を怒らせたまま海堂は立ちあがり、大股でコートの方へ歩き去ろうとするのを、やりすぎたかと慌てて追う為立ち上がり――――そこで海堂がぴた、と足を止めた。
「?」
「…………も」
「え?」
「〜〜〜〜、アンタと同じだ! 俺も!」
聞き取れなくて問い直した声に、こちらを振り向かないまま海堂は絶叫する。バンダナの下から覗く耳を真っ赤に染め上げたまま。
そのまま走るような勢いの歩きで海堂は去って行く。乾の方は―――――――思いがけない攻撃に、呆然としていた。
信じられない。あの海堂の唇から、そんな言葉を聞けるなんて。
「…参った」
自分の頬が熱を持っているのが解った。
同じ事を考えている、同じ気持ちでいる、という事が、こんなに嬉しいことだったとは思わなかった。
「暫くは―――、続けられそうだな、俺達」
もっとお互い知る必要があるみたいだ、と乾は一人呟く。もっと掘り下げれば、沢山の繋がるところ、逆に繋がらないところが浮き彫りになっていくだろう。
そんな地道な作業も、嬉しくて仕方がない。
「待てよ、海堂!」
もう既に小さくなった背中に向けて声をかけると、その歩みが僅かに鈍くなったのが解ったので。
乾は足早に後輩の後を追って走り出した。