時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Antwort.

ほんの2週間ぐらい前、自分の誕生日にプレゼントを貰った。
もうすぐ、今度はくれた相手の誕生日が巡ってくる。
…何か、お返しするべきだろうか。
柄じゃない、柄じゃないと思うけれど、本当に嬉しかったのは事実だから。
日頃一番世話になっている相手でもあるし。
だから。
何か、お礼を兼ねて。
―――何を贈ればいいだろう?
誰かに何かを贈るなんて、初めての経験で。
何をすれば喜ぶかなんて、判る訳が無い……。
だって、自分はあの人のことを何も知らない。
話しかけてくれるのも、近づいてきてくれるのも、あの人の方からだけだったから。
   




いつにもまして眉間の皺が増えている海堂を面白そうに遠くから眺めているのは不二と乾。乾はベンチに腰掛けたままいつも通りノートにペンを走らせていて、不二はそれとコートの向こう側の海堂を交互に見ている。
「海堂、何か悩みでもあるのかな?」
「さぁ。俺は聞いてないケド」
「別に乾に話す義理なんてないんじゃない?」
さらっと言われたキツイ言葉に、かくんと頭が下がる。分厚いレンズの下からじろりと睨むと、くすくすと笑いながらゴメン、と言われた。   
「あ、桃が近づいてった。何か話してるけどさすがに聞こえないな…あっ、海堂が手ェ出したよ」
不二の実況がそこまで進んだところで目を上げる。もう日常になってしまった後輩同士の喧嘩通算総数をノートの端に並べて書かれた正の字に一本加えて表す。
「数えてるの?」
「まぁね」
興味深そうにノートを覗き込んでくる不二の視線をさりげなくかわし、溜息をついて腰を上げる。
「いつもご苦労様」
からかい混じりのねぎらいの言葉に、前を向いたままひらひらと手を振って答えた。
それを見送って、不二は笑顔のまま溜息を一つ。
「ご褒美が貰えるといいね」
その声は実は乾に届いていたのだが、意味が解らなかったので返事を返さなかった。
首を捻ったまま、向かう場所から段々険悪なオーラが立ち昇っているのに気付き、早足でそちらに向かった。
「今日という今日は我慢出来ねぇ!」
「それはこっちの台詞だ…!」
『やんのかコラァ!!』
「はいはい、止めなさい」
お互いの胸倉を掴んでいる手を外させて、引き離す。両方ともまだエキサイトしているらしく、きりきりと吊り上がった眦でお互いをにらみ合っている。
「だって乾先輩! 俺が心配してやってんのにマムシがつっかかるんすよ!!」
「キサマ、その呼び方やめろって言ってんだろうが!!」
「ストップ! これ以上やったら手塚が気付くよ」
また噛みつきあおうとする二人を頭ごなしに押さえつける。こうしないと止まらないのだ。
「お互い小さいことですぐ目くじら立てるんじゃないよ。グラウンド10週したくないならね」
『…………』
「返事は?」
「へーい」
「………ウス」
ほっと息を吐いて、腕を抑えていた手を離す。まだ納得はしていないようだが、取り敢えず引き離すことは出来た。
「…それはそれとして、海堂。何か悩みでもあるの?」
「あ、そうっスよ! 俺もそれが聞きたくて〜」
「桃は黙ってる」
「ちぇ」
これ以上話したらまた喧嘩が再発してしまう。自分と海堂の会話に割りこまれたくないという自分でもちょっと情け無くなる理由が無かったとは言えないけれど。
しかし。
その問いに関する返事は、驚くほど顕著に表れた。
目をおもいきり見開いた海堂の顔が、ばっと朱に染まったのだ。
「…海堂?」
「オイ、マムシ?」
乾は勿論桃城も驚いて、動きを止める。一瞬早く立ち直った乾が、思わず、と言う感じで長い指を真っ赤に染まった頬に伸ばす。
ばしんっ!!
と、間髪いれずにその手を弾かれる。
「…なんっでもねぇ………!!」
搾り出す様にそれだけ叫ばれて、ダッシュで逃げられた。慌てて追いかけようとして、その足を踏みとどまらせる。
まだ部活最中なので練習熱心な海堂が本格的に逃げるわけがないし、引き止めても何を言えばいいのか解らないと思ったからだ。
「何だぁ、アイツ?」
不思議そうに桃城が問うが、答えられなかった。弾かれた手の平が熱を持って痛い。
以外に自分がショックを受けていることに気付き、苦笑しか出来なかった。上手く笑えていなかったかもしれないけれど。
そんな乾を見て、密かに笑いを堪えている不二もいたりしたが。
「あーあ、乾かわいそー。折角良いこと海堂に教えてあげたのにな」



心臓に体中の血液が一気に集まったのかと思った。
よりにもよって、原因の人に気にかけられてしまった。どうにかしてくれ。
…自分の誕生日に、大きくて鮮やかなオレンジ色のバンダナを貰った。
気恥ずかしくて、部活には一度もしていったことが無いが、アイロンかけて綺麗に折り畳んで、机の引き出しに大事にしまってある。
あんな風に、その人の役に立つもので、手頃な何か…
………ノート。
ノートはどうだろうか。
あまりにも安物で割に合わないじゃないか、と慌てて打ち消そうとするのだが、考えれば考えるほどそれしか浮ばなくなる。
別に、あって困るものじゃないし。
…帰りに文房具屋に寄ってみるか、と口の中で小さく呟いた。





部活が終わったらもう一度声をかけてみようと思っていたのに、逃げられた。
いつもなら残って自主練していく海堂が、素早く着替えをして部室を出ていってしまった。
…避けられてるんだろうか。
自分で出した結論に、驚くほど落ち込んだ。
我ながら、本当に参った。
ここまで、一人の人間に自分が振りまわされるなんて。
自転車を漕ぐペダルも重く、乾は自分の家に帰りついた。
人気のないリビングに入ると、テーブルの上に大き目の箱と手紙が置いてあった。
『誕生日おめでとう、貞治。
いつも家にいてあげられなくてごめんね』
手紙の上にはこんな簡潔な文章が一つ。そう言えばそうだったっけ、と今初めて思い出した。両親はお互い非常に忙しく、酷いときには1週間近く顔すら合わせないようなかみ合わない生活をしているので、今更こんな祝い方をされてなんの感慨も沸かない。
プレゼントだろう箱を手に取る。結構重い。恐らく父親に数ヶ月前にリクエストしたノートパソコンだろう。ありがたいことだ、と手にとって自分の部屋に持ちこむ。
説明書を斜め読みしつつ機体を引っ張り出していたら、外がもう暗くなっていた。ひとまずそこで作業を中断して、ダイニングに用意されていた普段より豪華な夕食を温めて一人で食べた。
テレビをつけたが、面白い番組は何もやってなかったので一通りチャンネルを回したらすぐ消した。沈黙が家全体を支配する。
…こんな風に過ごす誕生日なんて毎年のことなのに……なぜか、落ちつかない。
「いかんなぁ」
思わず口に出した言葉が意外に響き、少し驚いた。
らしくなくナイーヴになっていると苦笑し、ソファの上に寝転がる。
少しうとうとしてしまったのか、携帯の鳴る音で目を覚ました。鞄の中のそれを探り、通話ボタンを押す。無意識に時計を見ると、11:00をとうに回っていた。
「はい、もしもし?」
返事は返って来ない。こんな遅くに悪戯か? と思った瞬間、何かを躊躇うような吐息を僅かに聞いた。
「……まさか、海堂?」
通話口の向こうから、息を呑む声が聞こえた。
   



何の変哲も無いノート。洒落たものを選ぶ甲斐性なんて自分にはない。勿論ラッピングなんか頼む度胸も無い。
買ったはいいが、渡すのも躊躇われる代物で。
明日にでも、何か理由をつけて渡せばいい、と思って自主トレをしていたが。
時計が11:00を告げた時。あと一時間で彼の誕生日が終わってしまう、と思った瞬間。
何も考えずに、ノートを引っ掴んで家族の制止も無視して、家を飛び出していた。
相手の家の前まで来たのはいいが、勿論お邪魔するのは憚られるし。それでも何か伝えたくて、電話をかけた。
『はい、もしもし?』
僅かに掠れた声に、眠っていたのかと気づきすぐさま罪悪感が自分を襲う。何か言わないととは思うが、舌が顎に張りついたかのように声が出ない。苦しい息を小さく吐く事しか出来なくて。
『……まさか、海堂?』
ひゅっ、と息が止まった。どうして解るんだ!?
『海堂、だよね?』
確信を持って聞いてくる、向こう側の声。
「…………は、い」
ともすれば震えそうになる自分の声を叱咤する。
『どうした? 今、どこにいるの?』
「…の、先輩の…家の…」
呆れられるだろうか。ぼそぼそと呟いてマンションの明かりのついた窓を見上げると、勢い良くカーテンが引き開けられるのを見た。携帯を握り締めた長身のシルエットが見えて、心臓が跳ねあがる。
『いつからっ…とにかく、上がって来て…いやいいや、待ってて!』
「えっ、ちょっ…」
慌てた声の後、返事を言う間も無く電話が切られた。どうしようか逡巡しているうちに、オートロックの入り口から乾が走り出てきた。
「……びっくりした……」
自分の前まで走り寄ってきて、膝に手を置いてはぁ〜っと息を吐く。びっくりしたのはこっちだ、とは勿論言えない。
「どうしたの、こんな遅くに」
「あのっ…」
水を向けられて、今だと思った。ぐっと目を瞑って、持っていた物を相手の目の前に突き付ける。その勢いに、思わず乾が仰け反った。そしてそのモノを目で確認して、レンズの下で目を見開く。
「何、やったらいいのか、わかんなくて…この前の礼と…………、いらなかったら捨てていいッスから!」
自分でも何を言っているのか良く解らない。無理矢理相手の胸に押しつけて、踵を返そうとすると、
「あ、待った、海堂っ!」
その手を取られて、…抱き締められた。
「ちょ、離せよっ…!」
「これってさ、アレ? 誕生日プレゼント?」
揶揄するように聞こえた声に、かっと頭に血が昇る。
「ちゃちいモンで悪かったな!!」
「誰もそんなこと言って無いでショ。…嬉しい、すごく」
耳元でそっと囁かれて、暴れる動きが鈍る。
「参ったなぁ、ホントに。どうして海堂って、俺を喜ばせるのがこんなに上手いわけ?」
「何言って…」
ろくなことも出来ない、迷惑かけてばかりの自分に何を言っているのか。そう意味合いを込めて睨むと、本当に嬉しそうな笑顔が見えて、ますます顔が赤くなった。
「ありがと。本当にありがとう。どうしようか、何回言っても言い足りないよ」
「馬鹿かアンタ…」
「うん、自覚はある」
くすくす笑いながらも、腕の力は緩められない。
「実はさ、少し寂しかったんだ」
「……?」
「家、誰もいないから」
「え…」
誕生日に? という疑問符を乗せて相手の顔を見上げる。その仕草がどうしようもなく可愛くて。
「慰めてくれない?」
それだけ言って、柔らかそうな唇に軽く自分のそれを落とした。





「おはよー乾」
「あー、オハヨ」
6月4日の朝、登校してきた不二は、背の高い友人の頬に見事な紅い花が咲いているのを見て、
「楽しい誕生日だった?」
にっこり笑ってこうのたまった。
「お陰様でね。教えたの不二なんだろ?」
「まぁね。ボクからの誕生日プレゼントだと思ってくれていいよ」
悪戯っぽく笑う悪友に、こっちは苦笑しか出来ない。
「ありがたく頂いたよ」
それだけ言って、まだひりつく赤い頬を指で軽く掻いた。