時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

オレンジ

君といると、解ることが沢山ある。
この世界に自分の知らないことがこんなに山ほどあったのかと思える程。
だから、祝わせてくれないか?
 


「海堂」
「…………」
後ろから話しかけられて、ぴくりと軽く肩を動かす。一瞬迷って、眉間の皺を直さないまま振り向くと、そこにはいつも通り表情の読めない先輩がいた。
「やぁ」
「………何すか」
仮にも部活の先輩に何たる不遜な態度か、とお思いかもしれないが、二人にとってはいつものことなので乾も何も言わない。
「今日、何か予定ある?」
「…いえ」
「あれ、そうなの?」
問うておきながらなんだその言い方は。という意識を込めて睨んでやったら、ごめんと言う風に片手で拝まれた。
「いや、てっきり早く帰らなきゃいけないのかな、とか思ってたから」
「何でですか」
憮然としたまま問うと、苦笑されて。
「だって今日は「乾センパーイ! ちょっと手伝ってくださいよー」
と、コートの向こう側から一年に呼ばれて、言葉を止められた。
「っと、ゴメン。後で」
「…ウス」
応えながら、無粋な遠い場所にいる乱入者に無意識の内にガンを飛ばすと、見えたのかどうか知らないが一年生が後退る。
この人は一年相手の雑用じゃないのに。マネージャーみたいな事をやってるのだって、俺が…
そこまで考えて、ぢくりと胸が疼いた。
彼をレギュラーから落としたのは、他ならぬ自分ではないか。勿論、その事を後悔している訳ではない。全力で戦って、勝った。それを後悔するわけがない。
それでも。
それでも、こうやって他の部員に対して気を使い、自分から率先してマネージャー家業をやっている乾を見ていると…苛々する。
その苛々が何に向けられているのかは、本人気づいていない様だが。



海堂が数段機嫌を悪くしたまま、その日の練習は終了した。
「海堂ー。…アレ、機嫌悪い?」
名前を呼んで駆け寄ってきた長身の先輩に、ぎろりと視線を向ける。アンタのせいだ、と幾分八つ当たりな感情を込めて。
「…何なんすか」
「は?」
「さっきの話。何なんすか」
忘れたのか、と更に眦がきつくなる。それに臆した様子もなく、あぁ、と言いながらぽんと手を叩く。
「や、大したことじゃないんだケドね。今日一緒に帰っていい?」
「…いいっす、けど」
さらっと言われて、僅かに顔が熱くなる。この先輩はこんな風に、行動の脈絡が全く解らない。彼の頭の中ではちゃんと繋がっているらしいが、その頭の中自体が海堂にとっては複雑怪奇なことこの上ないので、焦る。戸惑う。どうしたらいいのか解らない。それにまた苛々する―――悪循環。
だから、この人と一緒にいるのは。
…一緒にいるのは。
「…どうした、海堂?」
「はっと気づくと、誇張無しに目と鼻の先に分厚い眼鏡つきの顔があった。
「ッ……何でも、ないッス」
とっさに掌でその顔を押しのける。ぐきっ、と嫌な音が首からしたが、考える余裕がなかった。
「海堂、イタイ…」
「テメェが悪い」
着替えをしようと部室に向かう。ヤレヤレという風な溜息が後ろから聞えて、すぐ側に気配が歩き寄って来た。
つかず離れずの、微妙な空気。一緒にいるのは正直、少し疲れるけれど。この距離は、嫌じゃない。
…一緒にいるのは、嫌じゃあない。
 



何を話すでもなく、二人で歩く。
てっきり何か話があるからあんな事を言ったのだ、と思っていた海堂は正直肩透かしを食らっていた。
カラカラと回る乾の押す自転車の車輪の音が、凄く大きく聞える。
…何で何も、言わないんだろう。
もう少しで、あの道の角を曲がれば、自分の家につく。
もう少しで、別れてしまう。
もう少しで、
「海堂」
びくん、と足が止まった。乾も足を止めて、隣の海堂を見下ろしていた。
思わず俯いてしまった海堂は気づかなかったが、その顔はいつもと変わらない無表情にもかかわらず、何故か少しだけ戸惑っているようだった。
「…あのさ」
「…はい」
「……………」
「……………」
「…あぁもう。どうしてこんなに緊張するかな」
「………?」
彼にしては珍しい、焦れたような声を聞いて不思議に思った海堂は顔を上げた。そこには困った様に口元を抑えている乾がいて2度吃驚した。
「…うん。だからさ。……これ」
ばさっ、と音がして。
目の前が一色に染まった。
目の覚めるような、オレンジ色に。
「!?」
驚いて、それを跳ね除けようとする前に、それは頭の上に置かれた。
鮮やかなオレンジを基調とした暖色系の色のみで、雲のような模様がついた、大きなバンダナ。それはあっという間に指の長い器用な手で、海堂の頭にきちんと海賊巻きされた。他人に巻くことなど慣れていないから、どうしてもやや歪になってしまったけど。
「……何………」
「あ、やっぱり似合う。海堂、いっつも青系統のしか巻いてないけど、暖色も似合うよ。勿体無い」
「これ…」
眼を見開いたまま何も言えない海堂に、乾はどこか照れくさそうに、それでも嬉しそうに笑って。
「誕生日、おめでと」
「えっ…」
「…気づいてなかった?」
驚きの声を洩らした後輩に、しょうがないなという風に笑ってやる。部活中の言葉で薄々予想はついていたけれど。
「自分の誕生日、忘れるんじゃないよ」
「…スンマセン………あ、の」
詫びの後の引き攣ったような声に、うん? とまた顔を覗きこんでやると。
「…りがと…ござい、ます」
「!」
まさか。まさか彼から礼を言われるとは思っていなかった。詫びよりも絶対に彼にとっては言い難い言葉だったろうに。
僅かに顔を赤らめて、驚いた様に瞳を見開いたまま、思わず口をついて出たようなその言葉に、彼がどれだけ嬉しかったのかという事が解ってしまった。
―――参ったな。
驚いたのはこっちの方だ。礼を言われることすら期待していなかったのに。どんなにシュミレーションしたって、正しい答えが導き出せない。
この後輩といると、今まで知らなかったことばかり起る。そしてそれが、全然嫌じゃない。
「本当、どうしようか」
「…?」
乾の口からぽろりと零れた言葉に、海堂が不審そうに眉を寄せると、
―――間髪入れず、抱き寄せられた。
「!!? ちょ…」
「今まで生きてきて、誕生日がそんなにイイモノだって思えた事はあんまり無いんだ。もっと小さい頃はそれなりに楽しかったけど」
抱き締められたままいきなり始まった独白に、身動きが取れないまま海堂は黙る。
「ただ自分の年齢を数える目安でしか無いと思ってた。でも、君の誕生日の事を知って。14年前に君が生まれたんだと思って、そうしたらさ」
ぐっと、抱き寄せる腕に力が入る。少し苦しくて、長い腕の中で身じろいだ。
「この日が。…一年のうちで一番大切な日に思えてきて。そうしたら、祝わずにいられなくなったよ、本当」
「…!!」
かぁっ、と海堂の顔が一気に赤くなる。
「何、言ってんだ馬鹿…」
「君がその日に生まれていたから、今ここにいるんだと思ったらね。居ても立ってもいられなくなった」
「……ッ、もういいだろ!」
無理矢理腕の戒めを解くと、静止の声をかけられるのを無視して、家に向かって猛ダッシュをかました。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。何言ってんだあの馬鹿は!!
わき目もふらずに走り去っていった後輩を少し残念そうに、それでも嬉しそうに見送って。
「…本当、参ったな」
言うつもりの無かった言葉まで、口をついて出てしまった。あの後輩が絡むと、本当に自分の感情が制御できない。
理知的に動けない自分なんか、今までは嫌悪の対象だったのに。
こんな自分が、今は楽しくて仕方が無い。
「…アリガトウって言うの、忘れたな」
だからどちらかと言うと、祝福より礼が言いたい。


   
夕暮れ時の住宅街を全力で走りながら、海堂は頭に違和感を覚えて手をやる。
オレンジ色のバンダナが風に靡いて首筋を僅かに擽るのが、どうにもこそばゆい。自分で巻く時はもう慣れているのでこんな事は無いのだが―――。
変に歪に巻かれたその鮮やかな布を直そうとして頭に手を当てて。
「……………」
それと直結して彼の人の指の感触を思い出してますます赤くなって。
どうしても直せないまま、走り続けた。







それから、特に二人の間で変わったことなどあまりない。
ただ、乾のノートが日に日に厚くなるだけで。
いやそれともう一つ、海堂が買い集めるバンダナの色柄に明るい色が増えただけ。
ただそれだけのお話。