時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

雪待月

1日1日過ぎる毎に、寒くなる。
空はどんよりとした灰色で、今にも冷たい涙を吐き出しそうなほど重い。
海堂は、冬が嫌いだった。
雪が降ればテニスの練習が出来なくなるし、何より寒い。
まだマフラーを巻いただけで何とかしのげるが、そろそろコートを着ないと辛いかもしれない。
学生服のポケットに手を突っ込んで、背中を丸めて歩く。
ふと、シャー…という小さな音が段々近づいてきて、
「姿勢悪いぞ」
「!!」
声と同時に、どん! と背中をはたかれた。すかさずその犯人の姿を捉え、睨みつける。…彼には通用しないことが解っているけど。
「オハヨウ」
「……ぉはようございます」
自転車のサドルに跨ったおかげで、只でさえ高い目線が更に上になっているのが気に食わない。それでも、持ち前の礼儀正しさで、ちゃんと挨拶はする。グレーのコートと黒手袋で完全防備した乾は、その返事に満足したのか自転車から降りた。海堂の横に並び、愛車を押し始める。
「…別に、先行っててイイっすよ」
「俺が歩きたいんだよ」
口の端を緩めてそんなことを言われると、反論できない。少し顔が熱くなったのに気付いて、目を逸らした。
暫く無言で、通学路を歩く。車輪が回るカラカラと言う音だけが、まだ朝の早い空気の中に響く。
元々、そんなに会話がある仲じゃない。必要なことだけ伝えた後は、気が向いた時にしか口を開かない者同士。
「寒くないか?」
「…別に、平気ス」
「そうか」
それでも。
少ない言葉の中に、自分を気遣ってくれる響きがあるのが解るから。
彼の側は心地良かった。
その後、少しだけ不安になった。
彼が自分にしてくれることばかりで、自分は彼に出来る事が何もない。
せめて。せめてもっと強くなりたい。この人の隣に立つことが出来るくらいに。
乾に見えない様に、海堂はぐっとポケットの中で手を握り締めた。




その後は何も喋らずに、学校に着いてしまった。それじゃあ朝練で、と自転車を置いてくるため一回別れる。
こちらを振り向くこともなく去ってしまう彼の後姿を見送って、ほんの少しだけ寂しくなる。
自分でも信じられない。こんなに他人に執着することが出来るなんて。
海堂の一挙手一投足が、気になって仕方がない。彼の色々な反応を導き出すのが、楽しい。
出来ることなら何でもしてやりたくなる。でもそれが、彼のためにはならないことが解っているから。
束縛なんて、出来るわけがない。軽く自嘲の笑みを浮かべて空を仰ぐと、暗い色が更に濃くなっていることに気付いた。
「降雨確率80%ってとこかな?」
家を出る時点で、もうかなり(彼流に言うと65%くらい)降りそうだったのだが、昨日うっかりメニュー作りに夢中になっていたら寝るのが遅くなり、少々寝坊してしまった。
歩いていたら、ちょうど今家を出たであろう海堂に追いつけない。そう思ったら、自転車を引っ張り出していた。
自分の生活が後輩中心に回っていることに気付き、苦笑した。本当に苦笑いしか出来ない。
「重症だ」
軽く頭を振ると、部室に向かって歩き出した。





朝練が終わって、授業を聞き流し、部活が始まって…部活中心に1日が回ると、本当に早い。
しかし、途中でついにポツポツと雨が降りだし、そう簡単に止みそうになかったので今日の練習は早めに切り上げられた。
身支度をして、部室を出ようとすると、乾に止められた。
「海堂、少し待ってて」
「何スか」
「本降りになる前に帰ったほうがいい。送るよ」
暗に自転車に乗っていけ、というその言葉に目を見開く。
「別に、」
「いいから。先輩の好意には甘えなサイ」
ぽんぽんと自分の頭を叩いてくる手を、ぞんざいに振り払うが、拒否はしない。満足げに頷くと、コートをしっかり着こんでから海堂を促し、二人で自転車置場に向かった。
ステップに足をかけて、両手を広い肩の上に置く。緊張していることを悟られない様、さりげなく。
「もっとしっかり掴まってていいよ?」
「…平気ッス」
多分この先輩にはばれているんだろうけど。
「行くぞー」
乾の方も、実はかなり緊張していたりする。コート越しのはずなのに、置かれた掌がやけに熱く感じる。
奇妙な緊張感と小降りの雨の中、銀色の自転車は走り出した。




アスファルトが段々黒くなっていく。良く二人がトレーニングに利用する公園の近くまで来て、ついに雨は容赦無くなった。
風を切る早さに継いでこの雨で、体がどんどん冷えていく。海堂は無意識の内に、肩に添えた手を握り締めた。
「…海堂、雨宿りするぞ!」
突然、乾がハンドルを切った。
「ぅわっ……」
ぐらついた海堂が慌ててバランスを取ると同時に、公園の中に自転車を走りこませた。
そのまま最寄の東屋まで走ると、海堂を降ろしてその中に入った。ばしばしと叩きつけるほど雨の勢いは酷くなっていく。
今止まって正解だったかもしれない。しかし、寒い。雨に濡れた頭と肩がどんどん冷えていくのに身震いしていると、ばさりと頭にタオルをかけられた。
「ほら、ちゃんと拭く」
そのまま頭をタオルの上から長い指で掻き回されて、慌てて制止する。
「先輩の方、先に…!」
「俺は平気」
そんなわけがない。自転車を漕いでいるということは、後に乗っていた自分より確実に雨に当たっていたはずだ。事実、ぞんざいに拭われた眼鏡以外の頭と顔は濡れていた。コートからも水が滴っている。
「コレ着てるから、平気。まずは君」
そのコートを軽く摘んで示すと、海堂の肩にタオルをかける。と、そのタオルを素早く奪われて、顔に押し付けられた。
「ぶ」
その上から、問答無用で乱暴に拭かれる。
「ちょ、待った、海堂…」
「何でアンタはっ…!」
苛立った声音で呼ばれ、抵抗しようとした腕を止める。タオルごしに感じられる掌が、僅かに震えていることに気がついて。
「何で、俺のこと…ばっか……」
「…海堂」
ゆっくりと、手を引き剥がす。ろくな抵抗も無く、腕は離れた。残った腕で邪魔なタオルをどかす。
漸く見れた彼の顔は、思った通り赤く染まっていて、思った以上に、…泣き出しそうだった。
そっと、顔の横、耳辺りに手を伸ばす。びくりとされたが、抵抗はされない。
「…俺に世話焼かれるの、嫌?」
よしよしとそのまま撫でてやり、問う。ますます顔を俯かせるが、首は小さく横に振られた。少し安心する。
「俺は、好きで君の世話焼いてるんだけど。あんまり甘やかすのが、君のためじゃないって解ってるんだけど」
驚いた様に、顔を上げられる。安心させる様に笑いかけ、もう一度頭を撫でてやった。
「人付き合い苦手なのも、解ってるから。せめて俺ぐらいには甘えなサイ」
「…あんた、大馬鹿だ……」
「自覚はあるよ?」
呆れた様に言われたので、笑って返してやった。



まだ、雨は止まない。
暫く無言のまま、雨宿りを続けた。
ふと、横で小さなくしゃみが聞こえた。そちらを向くと、慌てた様に海堂が鼻を擦っていた。
「やっぱり寒いんじゃないか。……ほら」
後から、コートの前を開いて、中に抱き込んでやった。あっという間に熱を奪われてこちらが冷えるが、そんなもの気にならない。
「ちょ、止め…!」
慌てて抜け出そうとする海堂の背中に手を廻して、抵抗を奪う。
「俺に何かしたいんだったら……」
まだじたばたしている海堂の身体をこちらに向けてやって、耳元で囁く。
「俺の背中に腕廻して。コートの下から」
その言葉に戸惑った様に動きを止め、やがて、おずおずと長い腕が背中に廻された。
「そのまま…暫く、いてくれないかい?」
コートの前をかき合わせて、無理矢理海堂を包み込んだ。
乾の身体に包み込まれたような錯覚を受けて、ますます海堂の顔が赤くなる。それでも、抵抗せずに黙って乾にしがみついていた。
その場所が、凄く暖かかったから。





何時の間にか、雨音が聞こえなくなった。
ふと顔をあげた目の前に、白いものが横切った。
「あ、雪だ」
「?」
ずっと乾の胸に顔を埋めていた海堂が、その言葉に顔をあげる。
「ほら」
少しだけ拘束を緩めて、外に目を向けさせてやる。
ちらちらと、ひらひらと、降ってくる白い粒子。普段何の感慨も持たない自分ですら、美しいと感じた。
「積もる前に、帰ろうか」
「…うス」
そう言ったけど、何となく廻したままの腕を動かさないでいた。乾も、それ以上腕を緩めようとしなかった。
「……もう少しだけ、いようか」
「…………うス」
まだ空気は冷えていたけど、そこが凄く暖かかったから。