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「大石っ、大石大石大石ー」
「はいはい何? 英二」
「じゃーん!」
部室で日誌を書いていた副部長の元に駈け込んできた彼のパートナー。何事かとそちらに首を巡らした彼の目の前に、ぬっと突き出されたのは。
「これ剥いて!」
「…どうしたんだ? これ」
菊丸の掌に乗っていたのは、程好く熟れた夏蜜柑。
「不二がお歳暮で貰ったの配ってたから、俺と大石の分分けてもらった」
きらりと目を輝かせて得意げに胸を張る菊丸に苦笑して、
「そうか、良かったな。もう少し待っててくれ」
「ん」
大人しくベンチの上に飛び乗って、机の上に二つの夏蜜柑をころんと置く。じいっとそれを見つめる姿は、今にも丸いそれにじゃれ付きそうな気がして、大石は浮かびそうになる笑みをくっと堪えた。
訝しそうにこちらを見てくる菊丸の目から視線を慌てて逸らし、日誌を書き終えた。ぱたん、と音を立てて黒い表紙を閉じる。
「お待たせ」
オレンジ色の果実を一つ手に取って、臍に親指を突き立てる。
ぷしっ、と小さな音がして、飛沫が飛ぶ。それと同時に、柑橘系の微かな香りが部室中に広がった。
ばりばりと音を立てて厚い皮を剥いていく形の整った指を、黙って菊丸は見つめている。
―――指、キレイだよなぁ…
誰かが怪我した時、真っ先に傷口に触れる指。それは凄く優しいから、始めて手当てされた時、痛くなくて吃驚した。
そんなことあるわけないと言われるかもしれないけど、本当に痛くなかったのだ。
それ以来、怪我をすると真っ先に大石の所に行く癖が付いてしまった。そうでなくても行くじゃないかというツッコミは却下。
「はい、英二」
「さーんきゅ」
大き目の皮で即席で作られた皿の上に、ご丁寧に薄皮まできちんと剥いた房が置かれた。早速手にとって、ぱくっと一口。
「美味い?」
「んー」
満面の笑みを浮かべて幸せそうに頷く菊丸に、大石の顔も綻ぶ。
「もっと食べる?」
「ん!」
笑顔の後押しを頂いて、どんどん房を剥いていく。しかし剥いていく側から菊丸が口に入れてしまうので、追いつかない。
まだ? という瞳で見られてしまい、ほんのちょっと悪戯心が沸いた。
剥き終わった房を、何気なく自分の口元に持っていく。
「あ――!」
がたん! と立ち上がって抗議の叫びを上げる菊丸に、くすくす笑って言う。
「冗談だよ、はい」
差し出した房にむうっと視線を向け……躊躇いなくそこにかぶりついた。
「!!!」
今度は、大石が固まる。皮ごと、と言うより指ごと咥えられてしまい、その感触に背筋が粟立った。
「んむ、ごっそさん♪」
満足げにぺろりと唇を舐める菊丸に、こちらはどういう表情を返して良いか解らなくなって、多分赤く染まっているだろう顔を俯かせた。
「……英二〜〜〜」
恨めしそうにこちらを見てくる大石に、にゃははと照れ笑いした。
ガチャリ。
「あ、やっぱりここだった」
唐突に部室のドアが開き、手塚と不二が入ってきて、慌てて二人とも姿勢を正した。
部室で物を食べるなと手塚に怒られるか…と思ったが、彼の手の上にもミスマッチに夏蜜柑が鎮座ましましていた。
不二の功績だろう。
「お、お帰り」
「不二〜、これサンキュー! すんげぇ美味い」
「そう? 良かった」
にっこり笑って、二人の手元に目線を向ける。
「大石、あんまりエージを甘やかさない方が良いんじゃない?」
机の上にあるのは、全て皮を剥き終わったおそらく菊丸用の夏蜜柑と、手付かずの大石の夏蜜柑。その皮は全部、大石の手元に集中しているわけで。
「何だよ不二ー、別にいいじゃん」
ぶーっと膨れる菊丸に、手塚が厳しい視線を向ける。
「菊丸。それぐらい自分で出来ないのか」
鶴の一声で菊丸を黙らせると、そのまま視線を大石の方にやりまた口を開こうと―――
「あぁ、今日は英二、指に逆剥けが出来てたから、それで蜜柑剥くのは辛いだろう? だから俺が―――」
…する前に、大石の口から飛び出してきた事実に、全員目を見開く。
「え、何で知ってんの、大石!」
「何でって…今日の練習中、何回も親指しゃぶっていたじゃないか。痛いのかなって」
真実だった。実際今朝出来ていて、練習中に一回引っ張ったら血が出てしまったので、何度も舐めていたのだ。でもそんなに酷くはなかったし、何より大石には一言も言っていなかったのに。
「……えっへへ〜、大石〜!!」
「えっ!? わっ英二、何!?」
感極まったのか、菊丸が座ったまま大石の首に飛びつく。また赤面しながらも、しっかり相手の身体を受けとめる大石。
「…ごちそうサマ」
いつも通りの笑みを浮かべて、不二が言う。
一つ溜息を吐いて、手塚は部室を後にした。