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Wie ist Ihr name?

「海堂君」
「……何スか」
「君の名前、薫って言うんだね」
「! それがどうした!」
「いや、5月生まれなのかな、と思って。違う?」
「………そうっスけど」
「あ、やっぱり?」
入部してから一週間たって、いきなり話しかけられた一つ上の先輩に言われたのはこんなこと。何の確信が持てたのか知らないが、どことなく嬉しそうに手元のノートに何か書き込んでいた。
自分の名前でからかわれるのは昔から日常茶飯事だったので(無論からかう奴は叩きのめしたが)過敏に反応してしまったが、そのリアクションは初めてだった。
「………笑わないんスか」
「何が?」
心底不思議、という声音で返されて、こちらが言葉に詰まる。
「……だから…」
「いい名前じゃないか」
その言葉に、また眉間に皺を寄せて睨む。こんな女みたいな名前の、どこが!?
「薫、音読みはクン。香草とか、香を焚き染めると言う意味にも勿論使われるけど」
ノートを繰りながら、何気なく続ける。



「転じて、徳の力で善へ導くとか、勲、つまり手柄とも同義語なんだ。良い方向に持っていける力を持った言葉なんだよ」



「………………」
驚いた。
自分の名前に関してそんな講釈を受けたのも、それを誇らしいと言われたのも、初めてだった。
「……どう?」
「…?」
「少しは自分の名前が好きになったかい?」
「………別に」
僅かに顔を赤らめて、ふいっと目を逸らすその仕草に少し笑う。その気配がわかったのか、また睨み付けてくる。
「そんなに睨んでると、ここに皺がつくぞ」
眉間を長い指でとん、と突ついてやると、ばつが悪そうにその手を払う。こういういちいちの仕草が、面白くて仕方がない。
「ほら、練習行くぞ」
ぽん、とバンダナの巻かれた頭を手の平で叩いてやる。憮然とそれを見送ろうとした海堂だったが、
「先輩」
「ん?」
首だけ振り向く相手に、不機嫌な表情のままで、
「名前。……先輩の名前、何て言うんスか」
と言ったら、ほんの少しだけ、動揺したようだった。この常に冷静な先輩が。
「……名前? 名字じゃなくて?」
頷くと、うーん、とか参ったな、と口元を手で隠したままぶつぶつと呟いている。はじめてみるその仕草に、どんどん興味が沸いて来る。
「何て言うんスか?」
「………笑わないか?」
困った様に問いかけてくる相手に、おざなりに頷く。
「…俺の親父がね、凄い野球好きでね。特に王選手、今は監督のファンだったんだけど…」
たちらりと躊躇する様にこちらを見る。黙って自分の視線で促してやる。その威力に負けたのか、空を軽く仰ぐと唇を開ける。
「…サダハル」
「はっ?」
「だから、王監督の貞治、そのまんま」
それだけ言って、踵を返す。残された海堂は一瞬呆然として、その言葉を吟味して……
「……くっ………」
悪いんだけど、笑ってしまった。言葉の内容より、それだけ言うのに凄く躊躇っていた先輩の方が可笑しくて。常に冷静沈着で、動揺したり慌てたりなんてするはずないと思っていた、あの先輩が。
僅かに漏れ聞こえた笑い声に、乾が憮然として振りかえると、今まで見たことがなかった笑顔が目に飛び込んできた。
不覚にも、可愛い、と思ってしまった。
―――参ったな。
データで割りきれないものが、この世にあるなんて。
いくら調べても、終わりがない。近づけば近づくほど、どんどん新しいことが見えてきて、止まらなくなる。
彼のことを全部知りたいと、思ってしまう。
自分にこんな感情が沸くなんて、思ってもみなかった。
そして彼にしては珍しく、感情のみで動くことにした。
「こーら。笑うなって言っただろう」
「ぅわっ!?」
俯いていたその頭にその長い腕でヘッドロックをかけたまま、コートに向かって歩き出す。
「ちょ……離せよ!」
「約束破った罰」
顔を真っ赤にして振り解こうとする身体を無理やり引っ張っていく。
その仕草がまた可愛いと思ってしまった自分に、重症だな。と呟いた。