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28. Doing Something Ridiculous

 世界に反旗を翻すサイキッカーの本拠地・ノアの研究施設には様々な設備があるが、スポンサーであるウォンが管理しているスペース内に、その部屋はあった。
 ドーム型のそれなりに大きな部屋には、成人男性一人が不自由なく過ごせる家具が揃えられている。監視カメラは付けられているが、少なくともそこにいる青年――ブラド・キルステンは、不自由を感じてはいないようだ。
 「もう一人の自分」の破壊衝動と殺人衝動に耐え切れず、閉じ込めて欲しいと望んだのは彼本人であり、ノア総帥はその願いを叶えた。出来る限り催眠で衝動を抑えることも加えて。
 だが――、ただ抑え込むだけでは衝動は跳ね返る。あの若い総帥はそれを理解していない。勿論、ウォンにとっては好都合でしかない。
「――サイキックゲージが上昇を始めました」
「切り替えなさい」
 部下の声に悠々と答える。手早く操作されたコンソールによって、部屋の様相が変わっていく。
 家具などはすぐに壁面に収納され、隔壁が増設される。後から彼が個人的に増やした鉢植えだけが床に落ち、割れて中身が飛び散る。それを嘆く様子も彼にはない。
『――ウォオアアア!! 血だッ! もっと血を寄越せェ!!』
 今やほんの些細なショックで、彼の人格は簡単に変化するようになってしまった。
「如何しますか?」
「先日手に入れた軍の捕虜がいたでしょう。重要な情報は持っていなかったようですし、処分して構いません」
「畏まりました」
 ノアの中に潜り込ませた忠実な部下達が、粛々と作業を始める。処刑場と化した部屋に放り込まれた哀れな犠牲者が、血に飢えた獣に八つ裂きにされていく。
 あっという間に白い部屋は赤く染まり――すべてが終わった。計算された隔壁は、彼のサイキックパワーを全て受け止めて皹一つ入っていない。満足げに血を舐めていた男も、やがてぐらりと倒れ伏し――部屋の中に清掃が入り、あっという間に全ては無かったことにされた。部屋に脳波妨害措置もしてあるので、何があったか総帥やその部下達に悟られることもない。
 全てが終わり、ウォンは悠々と廊下を歩き、全てが元通りになった部屋に入る。厳重なロックも全て解除方法を知っているので、何も問題は無い。
「――ブラド。起きなさい」
「……ぁ、」
 床に伏していた白髪の男の目がゆるりと開く。赤い三白眼はゆるりと眦を下げており、その瞳に鬼気は見えず、ただ怯えていた。部屋の血痕は全てなくなっていたし、彼の体も綺麗に洗われていたけれど、血の臭いは残ってしまう。
「僕は、また……すみません、ウォンさん……」
「気にする必要はありませんよ。この部屋にいる限り、キース様にご迷惑をおかけする心配はありませんから」
 嘘では無い、ただ彼の望むことを告げてやると、ゆるゆると安堵の息を吐く。病的なまでに細い体を抱き上げてベッドに運ぶと、困った顔で身じろぐが、逃さない。
「落としてしまいますよ、少し我慢を」
「す、すみません。でも……」
 僅かに軋むベッドの上に寝かせると、戸惑いと共に何処か訴えるように、そっと袖を掴まれた。――前に一度、燻ってしまった熱を少しは発散できるかと戯れに抱いてやったのだが、癖になってしまったらしい。全くもって――精神に負荷がかかっている人間は、縋りつけるものには何にでも手を伸ばす。
 彼がキースよりも自分に依存するのは、使い勝手が良くなって有難いことだ。そんな思いを露ほども見せず、まるで恋人に対するように優しい口付けを送った。


 ×××


「ぅ、あ、っあ!」
 掠れた声で縋りついてくるブラドの折れそうな細い腰を抱き寄せて、ぐいと中を抉る。ぐずぐずとしゃくりあげながら必死に快楽を堪える様は滑稽で面白いが、背中に爪を立てられるのは御免蒙りたい。人格が変わりかけているのかもしれない。連動して肉体にも変化が出るのは珍しいが、こういう時には少し困る。縛っておくべきですかね、と思いながら、ぐいと腕を引き剥がしてベッドに俯せにさせる。
「っが、てメ、ェ……!」
 やはり、もう一人の彼に変わりつつあるらしい。下手に縋りつかれるよりも、そうやって噛みついてくれる方が面白い、しかしベッドの上で流血する趣味はないので、手早く自分の髪紐を解いて、ブラドの両親指を纏めて縛り上げる。これで手は全く使えなくなった。あまりに手際が良すぎたせいか、驚いたように吊り上がった三白眼が見開かれる。
「ふざけんじゃねぇ、解け……!」
「随分とシームレスに人格が移行するようになってきましたね。催眠洗脳も限界ですか」
「がっ、ぐうう! 殺す殺す殺してやる……ッ!」
 背中を掌で押さえつけ、ごつごつと叩きつけるように中を蹂躙してやる。痛みは怒りを滾らせる薪にしかならないようで、長く伸びた爪先でシーツを掻き毟っている。ベッドも明日までに新調しなければならないだろう。
 ――ああ。何て愚かな男だろう。ウォンは一人で眼鏡の下の目を眇める。
 自分自身に怯えて、救いを求めた男。
 自分自身に苛立ち、怒りを晒した男。
 どちらも、欲しいものを与えてやれば簡単に縋りついてくる。
 安寧を。敵を。同情を。血を。
 救いを欲した男は、差し伸べてやった戯れの手をおずおずと掴みしかし決して離さず。
 怒りに震える男は、放り投げた餌に貪りついて、己との力の差も知らずに笑っていた。
 扱いやすい手駒。それ以上でも、それ以下でも無い。
 愚者が愚者と気づいていないままに――蹂躙するのは、良い暇潰しになった。
「あ、っお、ぐ、んが、あ……!」
 汚い悲鳴をあげる口を塞いでやりたいが、迂闊に指を刺し出しでもしたら食い千切られそうだ。更に自分で親指の戒めを食い千切ろうとしたので、先刻剥ぎ取った相手の下着を丸めて突っ込む。
「ん、ごっ、へめ、ぇ……! んぐぅうっ!?」
 くぐもった声の罵声を聞き流し、そろそろ果てさせて貰おうと腰の動きを速める。ぐいと後ろから首を抑えてやると苦しそうに呻くが、そのおかげで締め付けがきつくなった。――自分の血を広げる趣味は無いので、遠慮なく中に吐き出してやった。
「ぉぐ、あ……! !!」
 がくがくと肋が浮いた体が震え、がくりと突っ伏する。ただでさえ今日は超能力を使い過ぎていたし、流石に体力が限界だったのだろう。
 身支度を整えてから、ごろりと白い体を転がすと、一度も触れていなかった場所がとろりと白濁を吐き出していて、笑ってしまった。全く、使い勝手の良い玩具だ、と。


 ×××


 そして、わずか数年で世界は目まぐるしく変わり――現在。
 サイキッカーの存在は完全に公のものとなり、新生ノアは総帥を失って力を大きく削がれた。軍属のサイキッカー達にも人権をと声高に騒ぐ者達の声も大きくなって、全くやりにくくなった。――言う事を聞かなくなった玩具は全て壊してしまったからなのだけど。
 それでも、ウォンの本業である貿易業は順調だし、野望が潰えたわけでもない。経済力と超能力で世界を裏から操る、忙しい毎日を送っていた。
 そんな中、僅かに時間が出来たので、喧騒の摩天楼からかなり離れた郊外に建てた屋敷に向かう。部下も連れず、一人で車を運転して。ある程度距離を稼いだら、後はテレポートで移動する念の入れ用で。
 山間に建てられたログハウス。沢山の草や花の鉢植えが並べられた道を歩いていくと、家主が如雨露で庭に水を撒いていた。
「――あ、ウォンさん。お久しぶりです」
 アルビノの体が日に焼けないように、麦わら帽子を被った青年が微笑んだ。


 ×××


「お疲れなんですね、ウォンさん」
 あの頃と同じく小さなベッドの上で、彼だけを裸にして向かい合う。しかし嘗ての依存的な憂いは、彼の中にもう見当たらない。
 衝動に飲まれてしまった彼に戦いを挑まれ、返り討ちにしたのはウォンだ。時の王の証である剣を13本、全て彼の体に突き刺した。その傷は全部、彼の体に残っている――ゆっくりと手袋を履いたままの指でなぞると、恥ずかしそうに身を捩った。
「見苦しくて、すみません……」
「お気になさらず。とても魅力的ですよ?」
 空言を素直に受け止めて白い頬を赤らめる、素直さと愚かさも昔と変わらない。ただ、瀕死の状況からどうにか命を取り留めた彼――それも、ウォン自らが気紛れに、息のかかった病院に運んだお陰でもあるのだが――次に目を覚ました時には、凶悪な人格だけが死んでしまったかのように、彼は穏かで――しかし、どちらでもなくなっていた。自分の事を俺と呼び、鬱屈した表情は見せなくなり、花を愛でる気持ちはそのままで。
 かなり乱暴だったが、彼に「死」を味あわせたことにより結果的に、人格の統合に近いものが行われたのかもしれない。ウォンとて専門家では無いので、そんな事が起こり得るのかは解らない。事実として今、存在しているものを否定するだけの材料が無いからだ。
 いずれはまた、彼が血に飢えた獣に成り果ててしまわないとも限らない。それなのに、最低限の監視すらつけず、能力を使うのも好きに任せ、気まぐれにこの場所を訪れるのは。
「――全く、愚かですね」
「? そりゃああまり、勉強は出来なかったですけど――んっ」
「無粋ですよ、少し黙りなさい」
 きょとりと赤い目を見開く男の唇を塞いで、寝台に押し倒す。ちょっと照れ臭そうに笑って、それでも伸ばしてくる両手を振り解くこともせず。
 ――ああ、なんて愚かな男だろう、という物思いは、果たしてどちらに向けられたものだったろうか。