時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

25. Gazing into Each others' eyes

 彼の瞳は炎だけを見ている。
 鍛冶の炉がめらめらと燃える中に鉱石を入れ、石の色を見つめている。温度によって質が変わることを、彼の朴訥な話を聞くまで知らなかった。色で温度を測り、見逃さないのだと。
 嘗てはどうしようもない焦燥を味わったこともあったが、今は、彼の美しい瞳が火を映して輝くのは悪くないと思えるようになった。――もう、己の心を抑える理由はなくなったので。
 きん、とハンマーが打つ鋭い音が鳴る。気付けばいつの間にか彼の手は次の工程に進んでいた。
「……」
 ふと彼の視線を感じ、火花を散らせる剣に向けていた視線を動かす。かちりと目が合うと、ほんの少しだけ揺らいだのが解った。普段武器にしか興味を持たない彼が、視線を移してくれるというだけで心地よいのに、心が浮き立って治まらない。いい年なのに我ながら恥ずかしいものだと苦笑していると、漸く彼が口を開いた。
「……あの」
「はい、なんでしょう?」
「楽しい、のか」
「ええ、とても」
 珍しく見てわかるぐらい困った顔をした彼に、笑ってしまって。呆れたように、随分大きくなった白い猫がにゃーん、と鳴いた。


 ×××


 明日の分の仕込みをなるべく早く終わらせた。何せ、買い物が目的では無い客が訪れているので。
「おや、もうおしまいですか?」
 鍛冶場が見える位置に椅子を持ってきて座っていた騎士団長――本来もうこの呼び名で呼べない人なのだが、鍛冶屋の中ではずっと団長と呼んでいたのでそれ以外の呼び方がぴんとこない――が、ごく普通の冒険者風の衣装でこの店の中にいる、という事実に慣れない。数日前にこの店に現れたかと思いきや、戦争が終わって色々と後処理も済んだので身軽になりました、と嘗ての頃が嘘のように満面の笑みで宣言され、普段滅多な事では動揺しない鍛冶屋も両の眼を見開いて驚いた。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
 どうすればいいか解らないまま、とりあえず客には出さねばなるまいと茶を運んだ。自分が拘らないが為の凄まじい出涸らしなのだが、笑顔で飲まれて美味しいですね、と返された。
 手持無沙汰に自分のカップを持ったまま俯いていると、やはり誰もを魅了するような笑顔のまま騎士団長が話しかけてくる。
「何か、聞きたいことがあるのなら、遠慮なくどうぞ?」
「……、」
 優しい問いの言葉には影の欠片もない。正直、先日閉店間際に初めて彼が店に入ってきた時は逃亡を咎められて連れ帰られるのかと思った。しかし、暫くはこの街に滞在しますとだけ言い置いて、それから二日と空けずに店にやってくる。忙しくない閉店後を狙って。
 何故、どうして、という疑問はいつでも心の中に渦を巻くが、元々言葉を紡ぐのが不得手な鍛冶屋は、何を聞けば良いのかすら頭の中で纏められない。解っているのは恐らく、ここに居る彼は漸く全ての重荷を下ろすことが出来たのだろうということだけ。
「……貴方が」
「はい」
「幸せなら、それで、良い」
 朴訥でも、感じた真摯な思いを伝えると、驚いたように涼やかな瞳が見開かれ、頬に僅かな朱が乗った。そんな風にすぐさま変わる彼の表情を見ることも初めてなので、こちらも驚く。
「貴方は……本当に。わたしを喜ばせることばかり、仰いますね」
「そんな事は」
 無いだろう、と続けようとした時、テーブルの上に置いたままだった自分の手が、大きな胼胝だらけの手で優しく握られて、喉が詰まった。何の声も出せなくなった鍛冶屋に、騎士団長はあくまで柔らかい声で囁く。
「――後悔を、していました。いいえ、貴方を処刑から救ったことは、間違いでは無かったと思っています。ですが……貴方の腕を利用して、戦争に巻き込んでしまった。これは、裁かれるべき行為でしょう」
 両手で鍛冶屋の手を包み、懺悔するように額に押し頂く騎士団長に、首を左右に振ることでどうにか答えを返す。自分は、武器屋だ。戦う為の武器を作るもの。それが何と戦うのかについて、考えることは無い。ただそれだけのものであろうと、それこそが己の生きる道だとずっと思っていた。
 ただ、それが逆に彼を苦しめることになっていたのだとすれば、初めて鍛冶屋の中に罪悪感が湧いた。武器を作ることに疑問を差し挟んだことなど一度も無いのに。
「貴方が私達の国から去っていった時、当然だと思いました。もう血に塗れた責など気にせず、自由に生きて下さればと、願っていましたが――」
「……っ、がう、俺は」
 必死に首を振る。あの国を離れたのは、もう自分のやるべきことは終わったと思ったからだ。戦争が終われば、武器は必要なくなる。だから必要とする人々がいる場所へ移っただけ。――もう彼の傍にいられる理由が無くなったのだと、納得していたのに。
 矢継ぎ早に感情が蠢くのに、ちっとも口から出すことが出来ない。もどかしげに唇を開閉しているうちに、騎士団長が顔を上げてまっすぐ見つめて来て――告げられた言葉に、完全に固まってしまった。
「わたしが、貴方に会いたかったのです。どんな形でも、もう一度、お会いできればと、ただそれだけ思って旅をして参りました」
 優しい瞳の筈なのに、その奥にまるで炉のように火が燃えていると錯覚し、鍛冶屋はそこから目が逸らせなくなった。ずっと感じていたけど、彼が隠していたから、見ないようにしていたその感情は。
「貴方が、好きです。――共に、居させて下さいませんか」
 あまりにもまっすぐな剣となって、鍛冶屋の胸を突き刺した。


 ×××


 調子に乗ってしまった、とただの冒険者になった嘗ての騎士団長は思う。
 自分のやるべきことを成し遂げた時、彼が国を去ってしまった時。寂しさはあれど、止める気など欠片も無かった。やっと縛り付けた彼を自由にさせることが出来たという誇らしさすらあった。
 しかし、国が安定し、自分の地位こそが不必要になったその時。ずっと腰に差して抜かなかった一本のロングソードの重みを忘れることが出来なくて、未練たらしく彼を探した。
 遺跡探索が盛んな街に、鉱石を持っていけばどんな武器でも作ってくれる、腕の良い鍛冶師がいると聞いて、一も二も無く飛びついた。武器屋の二階から見覚えのある白い猫が鳴いてくれた時、どれだけ嬉しかったことか。
 それでも、今はただの一介の冒険者。ただの武器屋と客の関係に戻れるのならそれでいいと、思っていたのに。
 ドアベルを鳴らして店の中に入った時、驚きも怯えもあっただろうに、それよりも先にその顔に浮かんだのが、滅多に見ることが出来なかった彼の笑顔に見えたから。
 何度も訪ねて、それが嘘では無いと確信したからこそ、何の柵も無い己の感情をやっと告げることが出来た。
 金色の髪の下でぱちぱちと、青の瞳がせわしなく瞬く。表情は動かないけれど、瞳は揺れて、頬がほんの僅か赤く染まったのが見えて――我慢できず、立ち上がって彼を抱きしめた。
 鍛冶しかしてこなかった彼の体はがっしりとしていて、か弱さなど少しも無い。それなのに、どこか寄る辺がないような心細さを常に感じていた。傲慢かもしれないが、自分がそれを支えたいと思っていた。あまりにも沢山の回り道をしてしまったけれど――
「貴方が。何の憂いも無く、お仕事をされているのが、とても嬉しいのです。わたしはそれを、傍で見ていたい」
 素直な気持ちを耳元で囁くと、びくりと背が震えて、腕の中の体温がじわじわ上がっていくのが解って、堪らなくなる。
 ……自分は紳士である自覚があったのだが、長い戦争生活とその反動で随分即物的になってしまったかもしれない。
「……貴方の、」
「はい」
 やっと、絞り出すように掠れた彼の声が聞こえて、逃さないように耳を欹てる。
「貴方の役に立てることが、嬉しかった。ずっと」
「――……、」
 それはとんでもない告白のように聞こえて、慌てて体を離して彼の顔を見る。普段引き結ばれている口元は、ほんの僅か、見間違えるぐらいに綻んでいた。
「ただの、武器を、ロングソードを、平和の象徴としてくれた、貴方のことが、とても、……好きだ」
 小さな声で、朴訥に。確かに伝えられた好意に我慢できず、嘗ての騎士は矜持も建前も全部放り投げて、口付けを捧げてしまった。


 ×××


 山ほどの切り傷と火傷、爪の間に入って取れない炭。どう考えても汚いその掌に、彼はまるで宝物のように何度も口付けてくれた。
「っ、ぅ」
 それだけでなく、指先を咥えて飴のように舐め挙げられてしまい、ぞくぞくと背筋が震える。指を引こうとすると素直に引かせてくれるのだが、今度は別の指を舐められてしまう。
「……お嫌ですか?」
 それでも、僅かに眉を下げて彼にそんなことを言われると、否とは言えない。困るし、戸惑うけれど、嫌では無い、のだ。小さく首を横に振ると、安堵したようにまた口づけられて肩が跳ねた。
 自分の狭いベッドに二人で寝転んでいるのも、申し訳ないと思ってしまうけれど、止める気は全く起きない。
「本当に、嫌だったらすぐに言って下さい。その……歯止めが、効かなくなるので」
 僅かに上擦った彼のそんな言葉を聞いても、首を横にしか振れなかった。彼に我慢をさせたくないし、恥ずかしいけれど、心地良かったから。
 そんな事を思いながらじっと彼の瞳を見返していたら、くっと喉が鳴る音がして、彼が一瞬天井を仰いだ。何をと思う間もなく、覆い被さられる。
「、ぁ、」
 普段日に晒されないところに、硬い掌が入り込んで、喉が引き攣る。ただでさえ役に立たないのに、意味のある言葉すら紡げなくなる。愛おしそうに微笑まれて、喉仏に口づけられるから、尚更。
「大丈夫ですよ、明日もお仕事でしょうから……、無理はしません。ただ、もう少しだけ、触れさせてください」
 胸板にも何度も口付けながら、合間にそう囁かれる。体がまるで焼かれた鉄のように熱を持ってきて、融けていくように錯覚する。助けて欲しくて伸ばした手はしっかりと掴まれて、寛げられた前に導かれた。
「ふぅ、あ」
 そういう行為に縁遠く、自分で慰めることも殆どしたことが無かったのに、既にそこは硬く立ち上がっていた。驚く間もなく、先端に被された互いの掌の中に、別の潤みを持った熱が滑り込んでくる。
「っ、!?」
「すみません、このまま――」
「ぅう、ぁ、ふぅっふぅ……!」
 何をされているか、に気付いた瞬間ぐわっと体温が上がり、悲鳴を必死に堪えて息を吐いていると、目尻に口付けられた。自然と涙が出ていたらしく、視界が滲む。縋りつきたくても手が使えないので、訴えるように震える舌を伸ばした。
「――っ、失礼……!」
「ん、ぅううん……!」
 気づいてくれたらしく、被さってくる唇に安堵した瞬間、絶頂が訪れた。視界が真っ白になる瞬間まで、彼の瞳がずっと自分を見てくれていることにどこか安堵しながら。