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のんべんだらりんごった煮サイト

23. Arguing

 恋人同士や夫婦が喧嘩をする時、気まずくなったら大抵は目を逸らしたり、その場から離れたりするのが相場だろうが。
「おい」
「知りませーん」
「おい」
「聞こえませーん」
「聞こえてるじゃねぇか」
 普段の冷徹な様を見せず、いつになく参っている魔界の砂漠の王――アモンことアキラと、普段の明るさや無邪気さが嘘のように頬を膨らませたまま拗ねているその妻みかる。しかし、妻は定位置である夫の膝の上に座ったままだし、その腰は夫の腕を回されたまま抵抗していない。
 つまりは痴話喧嘩であり、彼らの仲魔達も半分呆れて仲裁にも入らない。ただ、普段ならば三歩歩けば嫌なことは忘れるタイプのみかるが、かなり不機嫌を持続させているのは珍しいと言えば珍しいことだった。
 丸い頬を更に丸く膨らませたまま、みかるは時たまアキラの首元の毛並みにもふりと顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らしてまた眉間に皺を寄せる。まるで猫のようにぐりぐりと頭を擦り寄せてきたので、いよいよアキラは色々な感情を持て余して天を仰いだ。
 このままでも面倒臭いが放っておくともっと面倒臭くなるという経験則がある。何せ完全に断絶された魔界まで、ただ会いたいという気持ちだけで自力で追いかけて来た女だ。放っておくのが一番暴走し易いし、彼自身も放っておきたくないのが本音。故に、埋めたままの相手の顔を両手でぐいと挟んで、こちらを向かせる。ほんの僅か赤みがかっている目の端に罪悪感を持ちつつ、目を合わせて名を呼んだ。
「みかる」
「……」
 拗ねていてもずっと動いていた唇がきゅっと噤まれる。彼女自身、アキラに対して酷い態度を取っている自覚はあるのだろう。それでも納得が出来ないだけで。彼女を宥める為には言葉が必要なのだろうが、アキラにとっては一番不得手な所だ。
「……悪かった。機嫌を直せ」
 やっと絞り出せたのは、何の捻りも無いそんな言葉だけ。こっそり部屋の外でこちらを伺っていた仲魔達から呆れたような溜息が聞こえたような気がしたがアキラは無視する。
 伏せられていた丸い瞳が、罪悪感と同量の納得いかなさを持ってアキラの猛禽の瞳と合わせられる。睨んでいるつもりなのかもしれないが、やっと目が合った喜びの方が勝った。
「……あたし、悪くないもん」
 漸く、か細い声でぽつりと呟き、みかるは再びアキラの胸元に顔を埋める。またすんすんと鼻を鳴らして、眉間の皺を深くして――我慢が出来なくなったらしく、叫んだ。
「まだ花の匂いするぅ!! 全然取れないー!」
「……すまん」
 わーん! と子供のように泣き出す妻の背中を撫でてやりつつ、アキラは徒労感を堪えて反省した。自分の鼻はすっかり慣れてしまって気づけないが、どうも体中から百合の匂いがして取れない、らしい。
 この有様は、アキラがアモンとして夜魔の国へ外交――悪魔の外交とは当然戦争も含まれる――に行ったことが発端だ。原初の女、夜の娘リリスは、悪魔の長としてアモンを歓待し、且つ夢魔らしい戦いを望んだ。すなわち、全ての手管をかけて敵を誘惑できるか否か、という。
 当然、アモンは全く揺るがなかったし、女王の方も一度本命を失って以来そこまで本腰は入れていないらしく、やるだけやってあっさりと解放された。
 そして不可侵条約を結び、無事に城まで戻ってきたら、いつも通り駆け寄ってきた妻がびたりと止まり、全身の毛を逆立てて「花の匂いがする!」と叫んだ末、今の状況になったのであった。
 つまりこの拗ねっぷりは、彼女の独占欲によるものである。自分の匂いを消してしまうほどの香に良人が包まれているのが許せないのだろう。アキラとしては、彼女以外の女など夜魔だろうが妖精だろうがどれも似たようなものにしか見えず興味も無い。実際どれだけ夜魔の美女たちに縋りつかれても体は全く反応しなかった。その事実は彼女自身も理解しているだろうが、その上で嫌、ということなのだ。解らなくもないのでアキラも否定はしない。逆の状況になったら自分も暫くは、誰かの匂いが消えるまで彼女を離さない自信がある。
「うう、あたしの体臭が少ないのが憎い……もっと美味しそうな匂いになればいいのに、ハンバーグとか」
「止めろ」
 間違った方向に努力をしそうになっている妻を止めるべく、ぐいと引き寄せたまま立ち上がる。大人しく腕に収まってくる小さな体を抱えたまま、速足で歩き出す。
「風呂、行くか」
「……うんっ」
 ぎゅうっと首にかじりついてきた背中を支えたまま、廊下を進んだ。


 ×××


 水の少ない砂漠の国に特別に設えた、ソーマの泉が風呂代わりだ。
 多少の傷ならすぐさま癒えるし体力も増す。僅かな滑りのある酒を手で掬って互いの体にかけた。
 普段なら恥ずかしがって一緒に入ることを拒むみかるだが、今日は自分からアキラを中に誘った。余程自分以外の匂いがついていることが腹に据えかねているらしい。アキラなりに罪悪感もあるが――それ以上に悦びが勝るのが始末に悪い。
 アキラが顔に出さないせいで当然みかるは気付かず、濡れた体を柔らかく羽毛の体に擦り寄せている。ソーマの匂いと味に酔ってしまったのか、顔は紅潮し瞳はとろりと蕩けている。
「上がるか?」
「んーん……」
 彼女の体調を鑑みたのだが、緩慢に首を横に振られる。アキラの赤黒い首筋に顔を埋め、唇で柔く何度も食んできた。くすぐったさに顔を顰めるが、止めることはしない。お返しに、腹部から胸を掬うように撫で上げてやると、気持ちよさそうに背中が反った。今日はやはり羞恥心よりも欲求が優先されているらしい。
「そろそろ、口離せ」
「んんぅ」
 唇をくっつけたまま嫌々とされるが、アキラの方が我慢できなくなったので相手の顎を指で挟み、くいと持ち上げる。不満げに尖らせた唇に軽く歯を立て、驚いて開いた中に舌を伸ばす。
「ん、ぅ、ふぇ、あぅうん、んー……」
 絡めて、咥えて、吸い上げる。自分の牙が彼女の柔い体を傷つける不安もあるが、彼女の方から必死に吸い付いてくれた。多少の傷はソーマのおかげですぐ癒えるだろうが、傷を負わせてしまうこと自体が不本意だ。只管に、彼女に快楽だけを分け与える為に、ささやかだがちゃんと柔らかい胸に顔を埋め、先端を弄って柔く揉む。
「ぁ、あ……んゃぁ」
 もどかしげに揺れる声と裏腹に、体は快楽を強請るように擦り寄ってくる。耳元に唇が寄ったので、何か、と耳を澄ますと。
「あきらくん、すき」
「――、」
 すき、すき、と譫言のように呟き続ける声に耐え切れずもう一度塞いでから、小さな体を抱き上げる。泉の淵に腰かけさせて、細い太腿を抱え、ソーマ以外で潤みを湛えているそこにむしゃぶりついてやった。
「っあ……! ふぇ、あう、んああ……!」
 腰はぐうっと反り返るが、快感から逃げたいのではなく、太腿はアキラの顔をぎゅっと挟むように力が籠り、爪先が丸まる。膨らんだ快楽の蕾を軽く噛んでやると泣き声が上がり、ぷしゃりと潮が漏れた。
「あー……、あきら、く、んぅ」
 ふらりと傾いだ体を抱き寄せて、ま宅地を塞ぐ。そのままふたりで水の中に戻り、ざぶりと頭までソーマに浸かった。互いの唇の間で空気を交換しながら、限界まで硬くなっていた己の楔を彼女の狭い中に押し込んだ。
「んぐぅ、っ」
 苦しそうに呼吸を漏らした彼女の体を抱きかかえ、ばしゃりと水面から顔を出す。浮力のお陰で、体を支えるのも動かすのも楽だ。しっかりと腰を抱えて、下から思い切り突き上げてやる。
「あ、っ、あきぁく、あきらくぅんっ!」
 細い足が腰に巻き付き、ぎゅうと抱き付いてくる小さな体を蹂躙する。沸き起こる衝動を歯を噛み締めて、弾けてしまいそうな己を堪える。これだけ魔力の高い場所で番ったら――確実に彼女を孕ませてしまう。いくら魔界の瘴気に慣れたといえど、まだ人間である彼女の体にどんな悪影響があるか解らない。熱で茹りそうな中でも、どうにかそれぐらいは考えられていたのだが、ぎりぎりで身を離そうとしたアキラをみかるは許してくれなかった。
「やだ、ぬかない、で、なか……! おねがいっ」
「――馬鹿が……!」
 最後の懇願に耐え切れず、互いの手足を力いっぱい絡めあい、離れられなくなる。ぶるぶると震えるみかるの中で、アキラの熱が弾けた。


 ×××


 その後、漸くアキラの体から夜魔の残滓が無くなったらしく上機嫌になったみかるに、自分の暴挙をどう説明するかアキラが考えあぐねている内。
 妊婦の守護女神でもあるハトホルが当然誰よりも先に懐妊に気付いてしまい、祝福を受けてふたりで驚愕することになるのをまだ知らない。