時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

22. In a Battle, Side by Side

「新入りを頼むよ、シャロン。鍛えてやってくれ」
 そんな風にボスに言われたのが、この新聞社に飛び込んできた日本人、アイハラとの出会いだった。
 アジア系の人間が若く見えるとはいえ、彼はティーンだと言われても信じられるぐらい細い容姿で、実際大学出たてぐらいの年齢だった。子供のお守を任されるなんて、と内心不満を持ちつつ、仕事を叩きこんでやることにした。何せここはこの国で一番売れている新聞社なのだ、使えない人間を抱える理由はない。
 そんな私の考えなど一足で、彼は飛び越えていった。まず言語は何も問題は無く、この国の公用語はどれも喋れるぐらいに身に着けていた。その上で決して怠けず、「書く方が大事だから」と取材と原稿を書く時間以外は全て勉強に当てていた。一年もすれば、彼がこの国の出身では無いと皆驚くぐらいの語彙と話術を蓄えていた。
 更に彼は、所謂権威や金というものに驚くほど阿らなかった。どんなに口で綺麗事を言っても、長いものには巻かれなければならない時は必ず来るし、懐が寒ければ矜持も保てない。私含む周りがハラハラしてしまうぐらいに、彼は容赦なく世の中の矛盾――ずるや、贔屓により発生するもの――を切り取り、是正せよと掲げた。ボスにやりすぎだと注意されることも日常茶飯事。
 当然社外だけでなく社内にも、彼を疎ましく思う存在が増えた。けれど私はその時には、彼の奔放さがすっかり気に入ってしまったので、さり気なく庇いながらも無理はさせないように気を配っていた。
 相変わらず細い体で、昼夜も惜しまず飛び回り、オフィスの隅の床に愛用のノートパソコンを枕にして眠っていることも少なくなかった。
 どうしてそこまで、と思った。実際に尋ねてもみた。
 彼は少し考える素振りを見せて、区切りの良い所まで来たのだろう原稿を保存してパソコンの蓋を閉じる。かなり型落ちのノートパソコンには、沢山の落書きが書かれている。その真ん中に書かれた恐らく日本語だろう文字に、彼は自分の指を軽く唇に当てて、その指先でそっと触れた。
「理不尽な世界を、少しでも変えたいんです」
 愚直すぎる、夢物語のような言葉。きっと大多数の人は鼻で笑うだけだろう。それでも、彼が本気で言っているのが解ってしまったので、何も言えなくなった。
 ……やがて私やボスでは庇い切れなくなり、彼を切るか会社が潰れるかの二択を迫られた時。誰よりも先にアイハラは、あっけらかんと「今までお世話になりました」と告げて、ボスに辞表を差し出した
 何の未練も無く、デスクの周りの私物だけを小さな鞄に詰めて、ノートパソコンを大事そうに抱えて。まるでちょっと昼食でも買いに行くぐらいの軽い足取りで、彼はオフィスを出ていってしまった。
 私は慌てて後を追った。引き留めたかったわけではない、彼と私達は違う。清濁併せ飲んで、理不尽から目を逸らして、そうして自分達の平和な日常を守っていくだけ。それを否定されたくない、それでも――彼を羨ましいと思ってしまう気持ちを捨てられない。
 だから、止まらない背中に、もう一度問うた。
「どうして貴方は、そこまで出来るの?」
 振り向いた彼は一層晴れやかに笑って、まるで自分の旗のように、持ったままのノートパソコンを掲げて見せた。
「一緒に戦ってくれる奴が、いるからですよ」
 まるで愛しい恋人に捧げるようなその言葉に、納得してしまって。
「――待って!」
 駆け寄って、持っていたペンを取り出す。彼も解ってくれたのか、苦笑してノートパソコンを差し出す。沢山の人達が、様々な言語で書きこんだ言葉達の中に、せめてもの激励を刻んだ。


 ×××


「お前、まだこれ使ってるの?」
「ん?」
 久しぶりに帰国してきた相原の荷物を興味本位で覗くと、かなり旧型のノートパソコンが入っていて驚いた。確か彼が本格的にルポライターとしての仕事を始める時に、仲間達で金を出して餞別として渡したものだ。今やもっと軽くて便利なものが沢山あるだろうに、仲間の激励と言う名の落書きだらけの表面を撫でながら言うと、菊地の家の風呂を遠慮なく使ってきた相原が隣に座ってああ、と声を上げた。
「別に故障はしてないし、却ってセキュリティが丈夫なんだ、ここまでくると」
「それにしたってさぁ」
 見れば、自分達の物だけでなく、英語やフランス語、どこの国の言語か解らないものも書いてある。彼が世界を飛び回り、繋がり合った人達の言葉なのだろう。親友が沢山の相手に認められているのが嬉しくて、まるで労うようにノートパソコンを撫でてやる。
「……新しいの買ってやろうか?」
「お、強請っていいのか?」
「薄給だけどな」
 お互い軽口を叩きながら、相原がちゃっかり持ってきてくれたビールを開けて並んで呷る。相原はどこか擽ったそうに、それでも嬉しそうに笑っているので、うっかり冗談を本気にしたくなる。
 古びたノートパソコンに視線を戻すと、蓋のど真ん中に書かれた自分の下手糞な字が見えた。
『いつも一緒だ』
 恥ずかしい。青春が過ぎる。……書いた気持ちは、嘘ではないけれど。
 中学の頃、彼に誘われたその日から、ずっと隣にいた。何をするにも一緒だった。教師とルポライターとして、進む道が分かれても、同じなのだ。理不尽な世界を少しでも変えていけるように、使う手段が違っただけ。その事を伝えたかったから。
 ふと、自然に肩に腕を回されて、くいと引き寄せられる。触れ合う位置から相手の湯上りの熱が伝わって、安堵する。隣に彼がいるという事実が、心地良い。……相原もこのメッセージを見て、そう思ってくれたのだろうか。
 こん、と頭を傾げて擦り寄せてやると、ちょっと驚いたように相原の肩が跳ねるが、安心したように力を込めて来た。逆らわず、相手の動きに任せる。旋毛にキスされたので、お返しのように鎖骨に唇を埋めた。


 ×××


 相原とセックスする時英治が受け身になってしまうのは、単に自分がそこまで欲求が無いから、である。冷めているわけではないし、決して嫌でも無いが、相手が求めてくれるから答える、以上でも以下でも無いというだけだ。
 ――その筈、だったのだが。
「っ、ぅ……く」
「菊地? 大丈夫か……?」
 心配そうに聞いてくる相原の声に、頷くことでしか答えられない。迂闊に唇を開くと、とんでもない声が出そうなのだ。
 久しぶりのせいなのか、相原の手と唇はいつも以上に丁寧に英治の肌を撫でて触れてくる。焦らしているわけでは無いだろう、万が一にでも怪我をしないように気を遣ってくれているだけだ。だからおかしいのは自分の方、の筈だ。
 触れられる度に皮膚が粟立って、熱が走っていく。息が上がって、肺が苦しい。それなのに、止めて欲しくない。
「辛いなら、今日はもう――」
「まっ、」
 自分の上から退こうとした相原の肩に腕を回し、慌てて引き寄せる。軽く首を振るだけで否と伝えるのが精一杯だったが、相手の顔は僅かな驚きの後、本当に嬉しそうに微笑んで――また英治の心臓が変な音を立てた。
「ぅ、ぁ、あっ」
 既に立ち上がって先端から雫を零しているものをそっと撫でられて、我慢できず声が漏れた。英治が既にかなり追い詰められていることを相原も当然気づいているようで、宥めるように口付けをしてくれるのが、却って堪らなくなる。
「あいはら、」
 熱に浮かされた酷い声で名前を呼んで、彼の手を取って自分の股座に誘う。我ながら恥かしすぎるが、相原の顔が一気に紅潮したので痛み分けといったところだろう。
「菊地……っ、そんな、煽るな」
「煽ってな……っあ、んぃっ、くうう……!」
 慌てて否定しようとした声がひっくり返った。相原の指が、普段は戦う為の文字を生み出す硬い指が、自分の熱を擦って追い詰めていく。とろとろと漏れていく白濁が酷い水音を立てて、彼の掌から腕まで汚しているのが見えて、我慢できなかった。
「っ!! あ……!!」
 ぎゅう、と爪先に力が籠って、腰を震わせて熱を吐き出した。必死に息をして整えようと努めるが、相原が汚れた指先を自分の口に入れたのでぎょっとした。
「やめろ、汚いだろ……」
「ん? 別に俺は平気だけど」
 俺は平気じゃないと反論したかったけれど、どこか嬉しそうにすら見える顔で丁寧に白いものを舐めとっていく姿に、またじくじくと熱が溜まり出した。今日は本当におかしい、彼の手が自分に触れているという事実が、何故こんなにも昂ぶってしまうのか。
 見ていられずに視線を逃がすと、部屋の隅に鎮座しているノートパソコンが見えて。
「……ぁ」
 小さく呟く。なんとなく、解った。理解してしまった。――沢山の人を繋げる彼の指に、一番最初に触れたのは自分なのだ、という自負が、誇らしかったのだ。そして、今もそれが一番自分が近くに居る、という優越感も。当たり前の事過ぎて自覚できていなかったことが、今更自覚できてしまった。
「どうした? 菊地」
 自分を労わってはくるが、そろそろ我慢が効かなくなってきたらしい相原の熱の籠った瞳。逃げられないし、逃げる気もない。
「……早くしろ、よ」
 抱き付く腕に力を込めて、どうにか絞り出せたのはそんな愛想の無い言葉だったが、相原が大きく息を吸う音が聞こえて背中を抱きしめ返されたので、多分大丈夫だろう。