時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

8. Shopping

 アルバイトの結果手に入れた、初任給の入った封筒を大切に鞄に仕舞ってHiverは唇を綻ばせる。
 決して高くはないが、自分の手で稼いだ初めてのお金だ。仕送りもあるといえど決して無駄遣いしてはいけない、それは解っているけれど――既に使い道は決まっている。
 街中で一番大きなデパートに入っている、成人男性用のブランド店におっかなびっくり入り込み、微笑ましく見守る店員の視線を背に受けながらショーウインドウの中を覗き込む。どれも中々の値段がするし、何を買うかも迷ってしまう。
 ずっと前から、決めていたのだ。自分に大切なものを何度も贈ってくれた黄昏の賢者に、お返しに何か贈ろうと。
 彼は命と愛情というとても大きなものだけでなく、今でも前触れなくHiverの側へ訪れるたびに、様々なプレゼントを持ってきてくれている。見たこともない国の金貨、新しいリボンタイ、歌を歌う飴細工の小鳥。とてもそれらに敵うものは手に入れられないけれど、何かせずにはいられなかった。
 しかし、同時に一体何を送ればいいのかと、盛大に悩むことになってしまう。時計、ネクタイ、アクセサリー。どれも見事な意匠ではあるけれど、つり合いが取れると思えないし、何より――彼の手元に残るようなものを、渡すべきではないと思ってしまう。
 だって彼は黄昏の賢者。たった一度きりの人生という旅を始めたHiverは、いつか必ず彼と離れてしまうことになる。その時に、彼を縛り付けて苦しめる事になってしまうのではないか、と思うと身が竦んでしまう。
 ……それなのに、ほんの僅かでも彼の記憶の中に残り続けたいという、矛盾した浅ましい思いを消すことが出来ない。自己嫌悪を感じつつ、それでも諦めきれず何度も店の中をうろうろしていたHiverの目に、ふと入ったもの。それを映した左右違う色の瞳が、大きく見開かれ――Hiverは勇気を振り絞って店員に声をかけた。



×××


 漸く手に入れた小さな箱を持って、Hiverは公園に行く。
 寂れた公園はいつも、夕暮れ時に人はいなくなる。元々そうなのか、彼がそうしているのかはHiverにも解らないが、こういう時に必ず彼は来てくれることを知っている。
「――Salut、Monsieur。今日で丁度14日、時間にして336時間、分にして20160分、病にして1209600秒。久しぶりの逢瀬を望んでくれたと思っていいのかな?」
「……Christophe」
 噴水の縁に腰かけたまま空を仰ぐと、黄昏の賢者が覗き込んできた。後ろに立つスペースなど無い筈なのに、当たり前のように彼は現れるし、Hiverは自然と笑顔になる。
「Salut、Christophe。お久しぶりです」
「ええ、全くもって。時に――今お手持ちのそれは、貴方を悩ませる原因なのですか?」
 さらりと確信を告げられて、一瞬息が止まった。賢者に隠し事など無駄なことは解っているけれど、やはり勇気がいる。一度大きく深呼吸をして、ずっと掴んでいた箱をそっと、彼に差し出す。
「……Monsieur? これは」
「受け取って、頂けますか」
 Savantの声がいつになく硬く聞こえて、Hiverは肩を竦めてしまうが、差し出した手を引くことが出来ない。やがて手の上から重さが消えて、漸く詰めていた息を吐き出した。
「開けても?」
 目を合わせられないまま、こくりと頷く。僅かな紙ずれの音を聞くたびに、自分の処刑が早まるような錯覚さえ覚えた。
 いつになく笑顔の無い賢者が、小さな箱から取り出したのは――ごく普通の、万年筆が一本。アルバイトの初任給を半分以上注いだ、安くは無いがそこまで上質でもないもの。いよいよHiverは羞恥で肩を竦めてしまい、それでも必死に言葉を続けた。
「これなら。……使い続ければ、いつかインクは無くなります、から。貴方の、重荷にならないと、思います」
 なんて我儘だ、と自嘲する。永遠に残るものを渡したくなかったが、すぐに手元から離して欲しくも無かった。使えなくなったら、捨ててくれればいい。そうすれば彼の重荷にはならないだろう、と。
「――顔を上げてくれたまえ、Monsieur」
 やがて、ずっと黙っていた賢者がひそりと囁き、おずおずと顔を上げると。
「……ぁ、」
 目に入った賢者の顔がほんの僅かだが紅潮していて、片眼鏡の下の瞳は、普段の胡散臭さが嘘のように優しく微笑んでいた。理由が解らずHiverが目を瞬かせているうち、Savantの両腕が素早く伸びて来て、抱き締められた。
「っ、Christophe……?」
「全く。どこまで可愛らしいことをして下さるのか、mon cheri」
 耳元で、愛しげにそう囁かれて。心の中で固まっていた氷の欠片が、一気に溶けたように感じた。
「好きに縛ってくれても、私は構わないのに」
「そんな、それは――んっ」
 Hiverの葛藤を全て理解した上で、そんな風に甘やかしてくる男に、どうにか首を横に振ろうとするが、軽い口付けだけで止められた。
「失礼、恋人にそこまで言わせたら私としても我慢がならないのでね。返礼と言っては何ですが――貴方に全てを捧げましょう」
「えっ、あ――」
 片眼鏡の下の瞳が煌めいた、と思った瞬間。Savantの外套がぶわりと広がり、Hiverごと包み込み――公園には、誰も居なくなった。



×××


「口を開けて、そう。良い子だ、Monsieur」
「ぁ、う……んん」
 何処とも知れぬ屋根裏部屋――多分、Savantがこのために用意した部屋だろう――のベッドに横たえられ、口髭の触れる位置にある彼を求めるように瞳を閉じた。
 羞恥はあるし、己を浅ましいとも思うけれど、彼に触れられることに全身が歓喜しているのが解る。
 まるで手品のように着込んでいた服はあっという間に解かれ、寝台の下に落とされる。未だ全く乱れていないSavantの服装が憎らしくて、自分から彼の襟に手を伸ばす。
「解いて頂けますかな?」
 揶揄を含めて微笑む男に、顔を真っ赤にしながらもHiverは素直に告げる。
「遮るものが、欲しくないので……」
 直接素肌に触れたい、もっと近づきたい。そんな思いを込めて潤んだ視界で愛する男を見上げると、降参と言いたげに軽く肩を竦めて――ぱちん、と指を鳴らすと同時、彼の衣服が全部消えた。帽子から手袋に至るまで全て。
「えっ……ぁ」
「失礼、――情緒が無いことにお怒りかもしれませんが。そこまで熱烈に求められては、私の理性も嵐の前の小舟も同然」
 ぎゅう、と思ったよりも強く抱きしめられて、顔中にキスが降ってくる。暫しうっとりとその感触を味わっていると、ついと指で唇に触れられた。
「Monsieur、君が私の枷になりたくないという気持ちを、無下にするわけでは無いのだがね」
「Christophe……?」
 ふにふにと指であやすように下唇を抓まれ、不思議そうに彼の名を呼ぶと、そのまま後頭部を支えて誘われ、Savantの首筋に顔を埋められた。
「――幾ら刻んでも構わないよ、モンシェリ。口付けでも、傷でも、思うがままに」
「っ……そん、な」
 あまりにも甘美な誘惑に、Hiverの脳髄がくらりと痺れる。彼に、自分と交わった証を刻むという行為が、嬉しくて堪らない、己の浅ましさに眩暈がする。
「大丈夫。鬱血は消える、傷は癒える。だからこそ――逢う度に刻めば良いのだよ、愛しい貴方。私がいつも、貴方にしていることだ」
「えっ」
 聞き捨てならない言葉に思わず声を上げて身を僅かに話すと、賢者も意外な顔をしていた。
 ……彼としては勿論目立たぬ場所に散らしていたし、それでも付ける度に彼の保護者である双子人形に無言の視線で責められる為、てっきり気づかれていると思っていたのだが、当然Hiverは気付いていなかった。
 一気に顔を赤くして、同時に嬉しさで弛む唇を隠して――がばりとHiverはSavantの胸元に飛び込み、意外と筋肉のある其処に甘えるように頬を寄せ、吸いついた。
「ン、ン……ッは」
「そうそう、上手だ。歯を立てても構わないよ」
「んうう……!」
 拙い愛撫は快感よりも擽ったさを感じたようだが、褒めるようにSavantの手はHiverの頭を撫で、やがて皮膚の上に赤黒い鬱血が点く。自分でしたのに、痛いと思ったのかHiverはほんの僅か眉を下げ、傷を癒す子猫のようにその赤い点に舌を這わせた。これにはSavantの方が堪らず、お返しのように彼の敏感な耳にしゃぶりつく。
「んァ! あ、アッ、駄目ぇ」
「ン……駄目なのかい? こんなにも美味なのに」
「や、中だめっ……!!」
 ずるりと耳の穴の中に入り込んできた滑る舌に、耐え切れずHiverは止めるようにしがみつくが、それは却って逃げ場が無くなるのと同じだ。最初の耳を解放すると同時、今度は指ですりすりと虐めて、逆側の耳朶を口に含んでいる。
「あァッ、んんぅ……!」
 そしてHiverに見えない、項の髪に隠れる位置を、愛しげに軽く噛んで吸い、痕をつける。与えられた快楽に夢中で、やはりHiverは気付かない。
 ……卑怯な手を使っているのは私の方ですよ。
 そう解っていても口に出さない自分が、本当に卑怯である自覚がSavantにはある。いずれ自分を置いていく彼に、未練がましく証を残して、いっそ彼の心を永遠に自分に縛り付けたいと望んでいるのだから。
 だからこそ――彼から与えられた贈物に、柄にもなく浮かれている自覚があるのだ。普段ならばもう少しじっくりと彼の体を開くところだが、今日は正直――早く繋がりたい。
「Monsieur、俯せになって。そう、そのまま腰を高く」
「? ……ぁ……」
 素直に言葉に従ってから、羞恥に気付いて俯せたまま顔を赤くしているが、逃すつもりはない。白くて小さな臀部に両手を伸ばし、奥まった部分をぐいと広げた。
「あ、っいや、そこ……! あンッ!」
 そのまま顔を埋め、一番の秘所を舌で舐り、穿ってやる。ひっくり返った悲鳴が聞こえ、逃げるように腰がのたうつが、しっかりと腕を回して逃がさない。更に、先刻の首筋と同じような痕を幾つもつけてやる。後で双子の人形に首を落とされて棺桶に叩き込まれても、止まる気は無かった。
「やぁ、も、許してぇ、Christopheッ……!」
 羞恥と快楽でついに泣き出してしまったHiverを宥めるように尻を撫で、年甲斐も無く力に満ち溢れた中心を擦り付ける。喉から出る声は拒否なのに、受け入れることに慣れたそこは緩やかに開き、Savantを待ちわびていたので、止まる理由は無かった。
「っぁ、あ――……ッ!」
 後ろから圧し掛かるように中を蹂躙し、銀色の髪に顔を埋める。また徒のように髪から覗く耳を舐めると、首を強く振られると同時に中が締まった。
「だめ、耳もう、だめぇ」
「嗚呼――泣かないで、mon cheri。意地悪はもう止めようね」
 もどかしげに震える体を宥めるように撫でながら、後ろから彼の一番良いところを捏ねるように腰を動かしてやる。
「ひんっ、ぁ、やああ、あ! あ、そこさわっちゃッ……」
「もう我慢しなくて良いよ? 好きなだけ、達してくれたまえ」
「いやァッ! おわりたく、ないですっ、もっと、いっぱい、あなたと――」
 股座をも撫でてやると拒否されて、何が理由かと思えばぽろぽろと涙を零しながら、振り向かれて訴えられて、危うく賢者は暴発を堪えた。
「ッ、全く……いつの間にそんな煽るような台詞を覚えたのかな?」
「ごめ、なさっ……」
「謝らないで。大丈夫、幾らでも、君が望むままに」
「あ、んぁ、アッ、ゃ、ひい……!!」
 我慢にも限度があった賢者は、甲高い悲鳴が聞こえるのに任せて只管に腰を振り続けた。



×××


 ――弾けた意識が漸く戻ってきて、Hiverはぽかりと瞳を開ける。
 枕元のランプしか光源の無い部屋。先刻の屋根裏部屋と同じ場所だと気づき、Hiverは安堵する。いつもなら、交わって次に気づいた時は一人で自分の部屋に戻されているのが普通なので。まだ彼の傍にいて良いのだという事実が、心臓を温かくする。
 そのSavantが、自分の隣で上半身だけ起こしているのも嬉しかった。既に身支度は整えられており、ベッドの中に入っているわけではないが、Hiverが寝ている隣に悠々と腰かけ、手に持ったもの――Hiverが渡した万年筆を、光に翳すように指で弄って、じっと眺めている。
「……くりすと、ふ」
 掠れた声で思わず名を呼んでしまうと、どこか自失していたらしい賢者は僅かに瞠目し、いつも通りの胡散臭い笑みでHiverに振り向いた。
「おお、起きましたか。目覚めの一杯はコーヒーと紅茶、どちらにしましょうか? 好きな味のジュースでも構いませんよ」
 今の自分は成人した身であるのに、未だに子供のように扱われるのはHiverにとってほんの少し寂しいことなのだが、甘やかされるのが心地良過ぎて反論できなくなってしまう。ちょっと考えて、紅茶を、とだけ告げた。
「仰せの通りに、mon cheri」
 一つ瞬きをする間に、座ったままのSavantの手には湯気の立つポットとカップが置かれた盆が出現している。どうにか体を起こそうとすると、彼のもう片腕がしっかりと支えてくれた。
 じゃあ、とふと気づいてSavantの胸元を見遣ると、鈍色の万年筆はちゃんとそのポケットにしっくりと収まっていて、心底からHiverは安堵の息を吐いた。
「お疲れですな、申し訳ない。無茶をし過ぎましたか」
 珍しく賢者の慧眼も出さず、恋人の溜息の理由を勘違いしたらしいSavantに、Hiverはくすくすと笑い。
「大丈夫、です。とても嬉しかった、ので」
 色々ひっくるめて素直な気持ちを告げると、Savantは大きく天を仰ぎ、何故か自分の人形達の名前を呟いて何か詫びている。それをまだ本調子でない耳で聞きながしながら、Hiverは有難く紅茶に口を付けた。