時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

2. Cuddling Somewhere

 アジトの広間に据えられたバーカウンターには、酒の匂いが充満していた。
「うわ……」
 思わずここの主であるソロモン王が呟いてしまう程、酷い有様だった。並みいる酒豪のメギド達――勿論中には単に好きなだけで酒に弱い者も多い――が、枕を並べて床やテーブルに突っ伏し、散々な状況になっている。
「申し訳ありません、ソロモン様」
「アリトン」
 すいとどこからともなく進み出てきた執事が、深々と礼をする。
「ベリト様が商人から、新作の葡萄酒を大量に頂いたそうで。安酒を飲むつもりはないとこちらに卸した所、気づいた時にはこの有様で、お止めすることができませんでした」
「いや、アリトンのせいじゃないよ。面倒なことに巻き込んでごめんな」
「勿体ないお言葉です。片付けは全てこの私にお任せを」
 てきぱきと酒瓶を片付けていく――更に寝転がって動かない屍もどきを次々と部屋の片隅に並べていく――優秀な執事のお言葉に甘えて、自分の部屋に戻ろうとしたその時。
「あ、ブネ」
 カウンターに突っ伏して、紫がかった銀髪を広げている大きな体が、高軒をかいている。普段の厳しい戦士としての面影はかけらもない姿に、呆れもあるがどこか嬉しさもある。何せ普段はやれお前は甘いだの王の自覚を持てだの、解ってはいるが叱られることが多い相手だ。そんな彼の無防備な姿を見るのは、ちょっとだけ楽しい。
「ブネ、起きろよ。風邪ひくぞ」
 転生した悪魔といえど、今の肉体が人間であることに変わりはないのだから、このままだと体調を崩すかもしれない。アリトンだけに迷惑をかけるわけにもいくまいと、肩を軽くゆすってやる。……なんとなく、彼の体に警戒なく触れられる優越感のようなものが、無いとはいえないが。
「……ん、お」
「あ、起きたか?」
 僅かな呻きと共に、ゆらりとブネの頭が上がる。ほっとして踵を返そうとしたその時、ソロモンの年齢にしては細い腰にぐるりと太い腕が回った。
「え、っあ、ブネ!?」
 驚く間もなく、軽々と体を抱き寄せられて、驚きでソロモンの体は固まってしまった。ヴィータの身でありながら幻獣とも戦えるだけの脊力を持った腕は、肉体的には戦うものではないソロモンの力で振り解けない。
 ――酷く近くに感じる、体温と体臭、酒の香。自分とは全く違う、大人の香に、ぶわっと頬に熱が上がった。
 まだこのアジトも手に入れておらず、ガープやマルコシアスとも出会っていない頃のことを思い出してしまった。度重なる幻獣との戦いと惨劇、いつ終わるともしれない旅にすっかり疲弊してしまった時。……変に体だけが昂ぶって、眠れなくなってしまった事に、気づかれて、処理をされた。
 あれはまさしく処理だった。ただ熱を吐き出す行為をしただけ。一緒に旅をしていた女性陣に迷惑をかけたくないし、まだ情緒が幼いモラクスに知られたくない、そんなソロモンの気持ちをブネが汲んでくれた。戦場ではよくあることだから、と。多分バルバトスも気づいていて気づかない振りをしてくれたのだろう。
 それは解っている、解っているけれど、体臭であの時のことを思い出してしまったソロモンの顔は真っ赤になっていた。とにかくここから逃げ出さなければと慌てて声を上げる。
「ブネ? ブネ! 寝てるのか?!」
「うるせえな、起きてるよ……」
 そう言うがブネの目はほぼ閉じられており、完全に酔っぱらっているのは間違いない。腕の力は全く緩むことなく、抵抗すればするほど抑え込まれて――自分が酷く無力になったような悔しさと同時に、どうしようもない安堵が沸いてくる。……ここにいれば傷つくことが無いのだと、解っているから。
 無論、普段ならばブネも、ソロモン自身もそれを望まない。自分達はあくまで王と臣下であり、使役するものとされるものであり、戦いの教えを受ける生徒と教師でもある。こんな、潤沢な庇護を望み望まれる関係ではない――どんなにこの場所が心地よくても。
 もがいても暴れても逃げられないその場所と、まるで空気中に残った酒精に酔ってしまったのか、ソロモンの体から力が抜けかけたその時――
「――、」
 耳元で、名を呼ばれた。それはいつものブネとしてはあり得ない程優しくて、子供を宥めるような声音で――ソロモンの本名とは、全く違った名前で。
「ッ……!」
 その瞬間完全に眠りに落ちたのか、ブネの腕から力が抜けた。逃げるようにそこから飛び退り、上がった息を整える。その顔は、浅黒い肌でもわかるほどに、先刻までの赤さを全て失って、蒼褪めていた。
「ソロモン様? 如何なさいましたか?」
「っ、あぁ、ごめん……」
「残る酒精に酔ってしまったのかもしれませんね。どうぞ今日はもうお休みください」
「うん……ありがとう、アリトン」
 自分の動揺を気取られてしまったのかもしれないが、いつのまにかほとんどの片づけを終えていた執事はにこりと笑って主を促してくれる。その優しさに甘え、ソロモンは足早にその場を去った。



×××


 主を見送ったアリトンは、感情を読ませぬ笑顔を保ったまま、余った氷と水をひとつの器に集めている。
 ……主が聞いた名前は恐らく、ブネが嘗て袂を分かった妻子の名前であるだろう。妻のものか子供のものか、どちらにしても彼の心の柔い部分に刺さってしまったらしい。
 アリトンとしても、主には仕える価値があってほしいと望むタイプの執事だ、ブネや他の近しき者達のやり方に異を唱えるつもりはない。
 だから、これは単なる、軽い悪戯に過ぎないとばかりに、全く表情を変えぬまま――溜まった氷水を遠慮なく、再び突っ伏していたブネの後頭部にぶちまけた。
「ぶおわ!? ッ、誰だ!」
「おはようございます、ブネ様。お目覚めは如何でしょう」
「チッ……最悪だな……」
 突然の襲撃に飛び起きるも、自分の状況にすぐ気づいたらしく露骨に舌打ちをする。まだ酒精は残っているものの、氷水の洗礼によってだいぶ楽になったのだろう。
「それは何よりです。お部屋でごゆっくりお休みください」
「ああ、そうさせて貰うぜ……」
 言葉を交わしたのはそれだけで、アリトンは水浸しになったカウンターを手早く拭き、片づけを続けていくのだが。
「……おい。今、ここに他に誰かいたか?」
 ふと、気づいたように問うてきたブネの言葉に、ほんの僅か笑みを深めて。
「いいえ、誰も」
 それだけを返事として告げた。



×××


 焚き火が僅かに爆ぜる音と、バルバトスがオカリナの調律をしている静かな音だけが森に響く。
 ブネも流石に夜営で寒くもないのに酒をかっ喰らうわけにもいかないため、手持ち無沙汰だった。ウェパルはさっさと寝てしまい、モラクスやシャックスも昼間暴れすぎてぐっすりだ。夜の夜中に交代で叩き起こしてやろうと思いつつ、火の一番近くで丸まって寝ている筈の、ソロモンの背を見て僅かに眉を顰めた。
 どうも先刻からもぞもぞ、ごそごそ、と毛布の下で落ち着かない。野宿に慣れていないのもあるだろうが、理由はそれだけではないであろうこと、そして彼自身は隠したいのであろうことに、当然ながらブネは勿論バルバトスも気づいているだろう。
 火を挟んではたと目線を交し合い、バルバトスが苦笑して顎をしゃくった。気持ちは解るが俺にそちらの趣味はない、と言いたげに。俺だってねぇよ、と言いたげに溜息を吐き、渋々腰を持ち上げる。不本意この上ないが、この色男は絶対に動かないだろうし、明日からの道程に差し支えるのも御免だ。餓鬼の不安は溜まる前に処理しないと面倒なことになることも知っているからだ。
 わざと足音を立ててソロモンに近づく。僅かに震えて縮こまる背中は酷く頼りない。こんな細い肩の上に自分達追放メギドの期待が乗っていることに、不安と憤りしか沸かない。だが、漸く見つけた細い希望の糸を離すわけにもいかないのだ。
「!? ぅっわ!?」
 なのでブネは、両腕でがしりとソロモンの体を抱え、軽々と持ち上げた。やはり起きていたソロモンがひっくり返った声をあげても構わず、どかどかと歩き出す。
「少し外すぜ」
「あんまり遠くに行かないように」
「ブネ!? ちょ、待って!」
 軽く手を振って笑顔で見送るバルバトスに鼻を鳴らすだけで答え、少し離れた樹の影に腰を落ち着ける。当然、抱えたソロモンを膝に乗せたまま。
「い、一体なんだよ急に……!」
「うるせぇな、ウェパル達が起きるだろうが」
 釘を刺すと、はっとなってソロモンは自分の手で口を塞ぐ。今の状況を見られるのは拙いとちゃんと気づいたからだろう。僅かに頬は赤くなっており、普段は強い視線がうろうろと彷徨う。――紛れも無いただの子供だ。ごく普通の、辺境の少年。当然、戦いの空気など初めてものもだったろうし――熱を発散させる手段も知らない。
「昂ぶって寝れねぇんだろ。手伝ってやるよ」
 だからあくまで事務的に、なんでもないことのように告げてやる。戦場で命の危機を感じた時、男がこうなるのは珍しいことでもない。逆にソロモンも羞恥を忘れて、戸惑ったように見上げてきた。
「て、手伝うって……」
「擦って抜いちまえばすぐ楽になるさ。おら、足開け」
「む、無理無理! こんなの駄目だって!」
「我慢しろ、流石にあいつらに頼めねぇだろうが」
 ますます進退窮まった顔で固まってしまうソロモンに、追い詰めすぎたかと溜息を吐く。こんな姿を見た目だけなら同じ年頃の女達に見られるのは辛すぎるだろうし、無邪気に兄貴分として慕ってくれるモラクスにも見せたくないだろう。やはり経験は足りないが頭はきちんと回るらしく、反論せずに俯いた。その隙を逃さず、皮の下穿きの上を軽く摩ってやる。やはり既にそこは熱を持って硬くなりはじめていた。
「ぁ、ッんんぅ……!」
「騒ぐな。すぐ終わらせる」
 咄嗟に上がりそうになった悲鳴を、もう片方の手で口を覆って塞いでやる。僅かな抵抗は、何度か擦り上げてやるともう無くなった。他人に快楽を与えられる事自体が初めてなのかもしれない。流石に不憫になってきたので、耳元であくまで軽口のように囁いてやる。
「目ェ閉じて、女の裸でも思い浮かべてろ」
「そ、なの、っぅん、あ!」
 無理だ、と言いたげに何度も首を横に振るが、前を寛げて直接触れてやるとまたか細い悲鳴が漏れた。若い体は素直に快楽を享受したいらしく、腰が僅かに反って持ち上がる。ブネもあくまで機械的に、先端の皮をずらして括れを何度も擦り上げてやる。
「ひぅ、ん、や、やだ、ブネっ」
「ほら、早くイッちまえ」
 ただの処理作業、その筈なのに、ソロモンの声に僅かな甘さが混じってきてブネは眉を顰めた。初めて与えられる快楽に溺れかけているのか、こりゃあ町に着いた時には商売女の一人も世話してやったほうがいいかもしれない。そう思いつつ、手の力をどんどん早めていくと、
「ブネ、ぶね、ま、って、もうだめ、ぇ……!」
「――ッチ」
 真っ赤に上気した頬で、光の篭った瞳を潤ませて、助けを求めるように仰のくその顔を見て。僅かにちり、と自分の体に走ったそれが、欲求なのか罪悪感なのか知るつもりもなく。
「ぁ、アッ、ま、い、っくゥ……!!」
 ぐりぐりと先端に親指を捻じ込むように動かすと、たまらないとばかりにソロモンの体が跳ね、脈打ち――どろりと濃い白濁がブネの掌を汚した。無造作に近くの叢で拭い、相手の服を直してやる。
 ソロモンは急激な快楽にすっかりやられてしまったのか、くたりとブネに身を預けて目を閉じてしまっている。吐息は安らかなので、このまま眠ってしまうだろう。やれやれと世話の焼ける王様を抱き上げて、陣地へと戻る。そこまで時間はかからなかったため、まだ起きているのはバルバトスだけだった。
「どうだった?」
「どうもしねえよ。こんなん小便と変わらねぇ」
 からかい混じりだが、ソロモンに対する心配も確かに篭っている声に、ぶっきらぼうに言葉を返す。言っている言葉に嘘はない。ただ、あの僅かな媚態に煽られたのか、自分の中にも熱が燻っているからだ。こりゃあ女が必要なのは俺が先だな、と思いながら少年の体を下ろし、毛布で包み直してやる。朝まで起きることは無いだろう。
「――意外だな。君はもっと、彼を突き放すつもりなのかと思っていたけど」
「あァ?」
 からかいが続いているのかと思い秀麗な顔を睨んだが、思ったよりも彼は不思議そうな顔をしていて出鼻を挫かれた。抜け目の無い彼が、意外だと感じた何かがあったのだろうか。
「戦場の兵士に、そこまで気をかけることなんて無いだろう?」
「当たり前だろう。こいつは――どうやら王様、らしいからな」
 混ぜ返してやると、成程と言いたげにバルバトスは頷いて言葉を止めた。この吟遊詩人を相手取るには朴訥な言葉選びだとは思うが、どうやら軽口に乗ってくれたらしい。
「まぁ、ちゃんと面倒を見てあげるといいよ。彼が今一番信用しているのは、間違いなく君だろうしね」
 断言をされて、ブネは僅かに目を見開いた。自覚は全くないし、まさかとも思ったからだ。確かに最初に出会ったのは自分に違いないが、ただそれだけで信用が培われるだろうか。
「……それなら有難いこったな。面倒が少なくていい」
 だからそれだけ言ったのに、吟遊詩人は何故かすべてわかっていると言いたげな笑顔を見せてきて、腹が立った。