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のんべんだらりんごった煮サイト

Einiger Unterschiede

その事に気付いたのは、やはり父親の方が先だった。
「…おや」
意外そうにあげた声は小さいものだったが、思ったより部屋の中に響いた為、息子の方も気がついた。窓の掃除をしていた手を止め、訝しげに後ろで不届きにも手伝い一つせず自分を観察していた父親を見返す。
「どうした、黒鷹」
「イヤ、うん。ちょっと」
振り向いた黒鷹は、いつになく動揺を隠し切れないようで、首を捻ったり僅かに爪先立ちをしたりと忙しない。それは彼が鳥の身体を取っている時の動きに少し似ていて、理由が判らないまでも玄冬は口の端を緩めてしまった。
「うぬぬ…ついにこの日が来たか」
「は?」
そうしているうちに、まるで手酷いショックを受けたように顔を手で覆い、よろりと傾いでみせる父の姿はますます訝しく、玄冬も疑問符のついた声しか出せない。
「一体何なんだ、さっきから。いつもおかしいけど今日は頓におかしいぞ」
「フフフ、容赦の無い指摘をありがとう。まぁ来たまえ」
やはり余裕の無い動揺は一瞬だけだったらしく、既に立ち直ったらしい食えない笑みを浮かべたまま、黒鷹は笑顔で手招きをする。その事を内心ほんの少しだけ残念に思いながら、警戒しつつ玄冬は近づいた。
「うん、そこでストップ。はい真っ直ぐ立って」
「だから、何なんだ…」
ぼやきつつも素直に言葉に従ってしまうのが玄冬である。ぴし、と部屋の真ん中で直立不動した愛息子をうんうんと満足げに見てから、改めて黒鷹もその目の前に立つ。かなり近く、鼻が触れ合いそうになるぐらい。
「おい」
「こら、真っ直ぐだと言ってるだろう?」
仰け反りそうになった顔はその言葉で留められ、渋々と玄冬は背筋を伸ばし直す。その顔をじっと金色の目で見詰めた黒鷹は、うん、と一つ納得したように頷いた。
「で?」
「うん?」
「いい加減疑問に答えろ」
「何だ、まだ気付かないのかい?」
何をだ、と言おうとして、笑う黒鷹の見慣れた顔が、見慣れていた筈の場所から若干下がっている事にはたと気付いた。目を僅かに見開いた事に気付いたのか、黒鷹も満足げでいて悔しそうな、何とも不思議な顔で笑ってみせた。
「おめでとう、玄冬。いやぁ、ついに抜かれてしまったか」
「………あぁ」
今まで気付いていなかった。いつの間にか―――本当にいつの間にかだ、玄冬の背は黒鷹のそれを追い抜いていた。
「本当、スクスク育ってたからねぇ君は。ううん嬉しくも寂しいものだなこれは」
感慨深げに何度も頷く黒鷹に対し、玄冬は無言で驚いていた。勿論あまり顔には出ないのだが、それでも非常に驚いていた。まさかこんな日が訪れるとは、黒鷹以上に想像の埒外だったのだ。
自分にとって、父親―――黒鷹というのは、それだけ大きく、絶対的な存在だったからだ。
何故か、心臓の裏側がじりりと熱い。焦燥感のようなものが、血管を通って脳髄を苛めている。その理由が何なのかさっぱり判らなくて、玄冬はそれを目の前の男から隠すだけで精一杯だった。
「ウンウン、やはりこれは私の教育の成果かな?」
「…親を反面教師にして、好き嫌いはしないからな」
「…口も達者になってきて嬉しい限りだ息子よ」
生意気な口を叩きつつ、その焦燥がばれなかった事に安堵しながら、玄冬は窓拭きに戻った。




夕食を終え、夜が更けて、自分の部屋の寝台に寝転がってからも嫌な焦燥感が消えなかった。何なんだ一体、と本当に理由が解らず玄冬は眉を顰める。
落ち着いて状況を整理しようと思い、改めて玄冬は黙考する。
黒鷹より背が高くなった。それは喜ばしい事であり、不快な事では有り得ない。
いつだって余裕と嘯きを兼ね備えたあの男にはやり込められるばかりで、こんな事でも相手に絶対勝てる要因が一つ増えたのは嬉しい事だと思う。
「―――ッ」
それなのに何故か、それを意識する度に焦りが増していく。まるで―――黒鷹に勝る要素を手に入れる事は拙いと言いたげに。
自分の気持ちなのにばらばらになって理解することが出来ず、苛立たしげに玄冬は何度も寝返りをうった。
コツ、コツ。
『――――玄冬?』
「っ!」
小さなノックの音と、板戸一枚向こう側から聞こえる声に、がばりと玄冬は身を起した。
『もう寝てしまったかい?』
「…いや」
動揺を堪えて返事を返し、立ち上がってドアを開けた。そこに立っていたのはやや見上げる目線をして―――それでも、いつもと変わらず優しく笑んでいる父親の顔をした黒鷹がいた。
先程まで酷かった焦燥が少しだけ落ち着いた気がして、僅かに息を吐いて玄冬は相手を中に招き入れた。
「寝ようとしてたんじゃないか。すまないね」
「気にしなくていい、寝付けなかったから」
僅かに寝乱れたベッドを見て詫びる黒鷹に淡々と答を返すと、薄暗い部屋の中で金色の瞳がきらりと一瞬光った気がした。何を、と思う間もなくすい、と手袋に包まれたままの手が伸び、玄冬の髪に触れる。
「っ…?」
「元気が無いな。どうしたんだい?」
「別に…」
思わず目を逸らしてしまい、失敗したと思った。こんなあからさまな動揺を見せて誤魔化せるわけがない。そう思うのに、何故かどんどん先刻の焦燥感が薄れていって、戸惑うままにゆっくりと頭を撫でてくる腕に身を任せた。
「ふぅん?」
何か企むような黒い鳥の声が聞こえたと思った瞬間―――抱き締められた。僅かな身長差など簡単に埋めてしまえるほどに強く。
「おい、何…っ」
「あぁ、よしよし。大丈夫だよ」
まるで小さい頃にされたそのままに、強いけれど優しい抱擁と額に降る口付け。反応が返せず固まってしまう玄冬を、黒鷹は愛しくて堪らないと言いたげに何度も頭を撫でながら更にこう続けた。
「―――君がどんなに立派に大きくなっても、君はいつまでも私の大切な一人息子だ」
「―――――…」
その、言葉を聞いた瞬間。
玄冬の唇から、無意識のうちに安堵の息が漏れてしまった。




「…くーろーとー。そろそろ機嫌を直してくれないか?」
「………………」
「そんなに恥ずかしがること無いじゃないか。寧ろ父さん嬉しいぞ?」
「……五月蝿い」
玄冬のベッドにお互い腰掛け、黒鷹は先刻からずっと自分の肩に顔を埋めたままの息子の頭を撫でてやりながら、あやすように言葉をかけている。漸く聞こえた不機嫌な返事に、笑みを噛み殺すことが出来ていない。
愛息子が健やかに成長していくことが嬉しくないわけがない。しかしそれは同時に、二人の別れに着実に近づいていくということ。
だからこそ、それを拒むようにいつになく素直に甘えを見せてくれたこの頑固な息子が、可愛くて仕方が無い。
「ほら、顔をあげておくれ」
「………………」
「そうしてくれないと、キスが出来ないだろう」
「……………っ」
いつかきっと、運命に追いつかれてしまうとしても。そこに至るまでの時間が長ければ長いほど良いと思ってしまうのは、当然なのだから。
眉間の皺を限界まで深くした、自己嫌悪と羞恥塗れの顔が持ち上げられたので、遠慮なくまず眉間へ、そして瞼と頬と唇に一回ずつ口付けを落す。僅かに肩を竦めるものの、抵抗する素振りは見せない。そんな可愛い姿を見せられたらもっと甘やかしたくなってしまい、
「とう!」
「っ、わ!」
一瞬の隙をついて、二人でベッドの上に寝転がった。慌てて起き上がろうとする身体を難なく押さえつけ、今度は唇に深く。
「ん…ぅ―――…っ」
唯一無二の自分の息子愛しさ故に、肌を触れ合わせることを覚えさせてしまった。良識や道徳からは爪弾きにされ石を投げられる行為には違いなかったが、元々自分達の存在は一般から規格外の代物であり、今更そんな事を気にする気持ちは起きなかった。
ただとても大切で、慈しみたくて。
口付けて抱き締めて、世界全てが敵となる彼に、自分だけは絶対なる味方だと安心させてやりたかった。
(いやこれはまた、独占欲というものになるんだろうけどねぇ)
そう心の中だけで呟きつつ、漸く堪能した唇を離すと、目尻に涙が溜まった瞳で睨まれた。
「…しつこいぞ」
「いいじゃないか。甘やかさせてくれたまえ」
一瞬怒鳴り返そうかと思った玄冬だったが、暗がりで見えるその顔に、からかいが一切無い事に気付いたので息を飲み込んだ。
こうやって、自分が何か望む前に黒鷹は望みを叶えてくれる。黒鷹自身は、全く君は欲が無いとか、もう少し我侭を言っても良いのだよ等としょっちゅうぼやいているが、自分にとってはそれだけで充分すぎた。
だから、もう一度唇が降りてきたとき、僅かに仰のいて唇を開け、舌を伸ばした。かなり恥ずかしい行為だったし、黒鷹も一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに微笑んで深く口付けてくれた。





互いに服を脱がして、ベッドの下に放り投げた。離れるのが惜しいので、何度も腕を絡めてキスをした。
悪戯をしかけるように皮膚に触れてくる指に喉を仰のかせ、じりじりと湧き上がってくる快楽に耐える。ぎゅっと目を瞑って逃れようとすると、それを許さないと言いたげに瞼に唇が触れた。
「言っただろう? 甘やかさせてくれ。君が望むことをしてあげるよ」
「…悪趣味」
何を言う、愛情だよと嘯く父を睨みつつ、既に絡み合った足の間が随分と熱を持っていることに気付いた。自分だけでなく、相手も。
若干躊躇したが、このまま翻弄されて醜態を晒すのは御免蒙りたかった玄冬は、何か決意を込めた目できっと父親を見つめ、体勢を入れ替えた。
「お? …なるほど、そう来たか」
驚きは一瞬、納得したようににやりと口元を緩ませ身体を軽く起す黒鷹を無視し、眼前まで近づいたそれをじっと見つめる。
既に熱を得ている黒鷹のその部分は、明確に隆起してその存在を主張している。恐る恐る、手を伸ばすとびくりと震え、玄冬の肩の方も一緒に跳ねた。
「遠慮することはないよ。好きにしてくれたまえ」
「簡単に言うな…」
見上げる顔はあくまで余裕の笑顔で、それに反発を感じて玄冬は開き直ってそこを掴む。んぐ、と痛みに僅かな悲鳴が上がったが聞こえない振りをした。
柔らかい皮膚をゆっくり擦り上げ、先端に舌を伸ばす。自分が黒鷹にされる時と同じようにそっと口に含むと、まるで褒めるように髪を撫でられた。それに心地良さと同時にやはり羞恥も感じ、そこから逃げるように口淫に没頭する。
と、僅かに身を屈めた黒鷹が、玄冬の太腿を掴むとぐい、と引き寄せた。
「っ!? 何…」
無理矢理苦しい体勢にさせられそうになって思わず口を離して声を荒げると、黒鷹がにやりと笑った。眇められる金色の瞳は僅かに情欲でけぶっており、不覚にも玄冬の背筋がぞくりとする。
この男が自分を求めているのだということが。
自分にも、この男に与えられるものがあるのだということが。
悦びが、ダイレクトに快感となって皮膚の内側を這い回る。
「全く、魅力的に成長しちゃったもんだ。父さんちょっと心配だぞ」
「…こんな酔狂な事をするのは、お前しかいない」
「ハッハッハ、謙遜は大事だけれど、自分の魅力を自覚するのも大切だぞぅ?」
思ったよりも真剣な目で見つめてくる父親に、如何返すべきかと逡巡し。
「……言っただろう、お前しかいないって」
「…ん? んん? ほうほうなるほど」
先刻の言葉に込められた二重の意味にはたと気づき、納得したように何度も頷く黒鷹から逃げたくて身を捩るが、それは許されなかった。
「全く、可愛いな。手放せなくなっちゃうじゃないか」
抱き締められながら呟かれた叶わない台詞が、とても嬉しくて切なくて、涙が出た。
―――その後は、もう夢中で、手足を絡めて互いにしがみついた。
離れたくなかったし、離したくなかった。
今は、今だけは、柵も運命も全て忘れたかった。
「ぅ、あ、ァ、――――…!」
最奥を穿たれ、あられもない悲鳴が玄冬の喉の奥から漏れた。唇を噛み締めようとすると、細長い指が伸びてきて止められた。
「噛むんじゃない、切れてしまうぞ」
「んゥ、く…んぁア…!」
「ほら、噛みたきゃこっち」
「は、ぅ、ァ…ッ!」
貫かれたまま抱き上げられ、肩口に顔を埋められる。出来ないと退こうとした瞬間、下から思い切り突き上げられて理性が一瞬破裂した。耐え切れず、僅かに筋張った黒鷹の首筋に齧り付いてしまう。
「んぐぅ…!」
「うん、それで良い。もう少しだけ、我慢しなさい」
痛いだろうに微笑みは消さず、黒鷹はしっかりと両腕で自分とそう変わらない広さになった背を抱き締める。答えるように玄冬の腕にも力が入り―――隙間が出来ないほどくっつき合って、最後の瞬間に備えた。





全てが終わって、気を失ったように眠りに落ちてしまった愛息子の頭を撫でながら、黒鷹は湧き上がる笑みを堪えられなかった。
「まさか君がこんなに甘えてくれるとはねぇ。抜かれたのは悔しいが、役得といったところかな」
寝転がったまま、滑らかな黒髪を撫で、額に何度も口付ける。
「でもね、本当に急がなくて良いんだよ。ゆっくり、大人になれば良い」
僅かな寂寥を堪えた言葉をそっと耳元に告げ、寝転べば殆ど自分と差を感じない大きさの息子を優しく抱き締める。
玄冬はそれに答えるように、或いは拒むように僅かに身じろぐだけだった。