時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

再開のセパレーション

薄暗い部屋の中に、カーテンの向こう側からぼんやりと光が差し込んできていた。
そこは酷く殺風景な部屋で、備え付けのベッドや机はあれども人の住んでいる気配がしなかった。正確に言えば、人が住んでいた気配をあらかた洗い落とした後のような、整然とした気配が漂っていた。
元から机と同じく据え付けてある椅子に浅く腰掛け、この部屋の持ち主――――夜鳥真逆は手の中で自分専用の携帯端末・H.A.N.Tを弄くっていた。
普段笑顔を絶やさない彼にしては随分と神妙な顔つきで、手の中の機械を何度もとっくり返しひっくり返ししていたが、やがて覚悟を決めたのか、僅かに震える指で起動スイッチを押した。
『Welcome to the H.A.N.T』というお決まりの起動メッセージの次に、新しいメールが届いた。

『指令:
  対象:ID−999
  指定遺跡:南アメリカ大陸 メキシコ マヤ・パレンケ遺跡
  指令内容:至急現地へ飛び、オーパーツ及び碑銘の神殿の壁画の謎を解明せよ』

その後にはお定まりの注意というか警告文がつらつらと続いていたが、彼にはその最初部分だけで充分だった。只、青みがかった静かな瞳でじっと光る画面を見つめ。
「――――了解ラージャッ」
一言呟いて、立ち上がった。






外に出ると、花の匂いがした。控えめだけど僅かに甘い香りに目を細め、敷地内に点在している桃色の花を眺める。
「絶景だなー」
さすが国花、と思わず呟きながら、真逆は足早に校舎内を歩いていく。実物が咲いているのを見たのは初めての事で、その美しさに歩きながらも顔を綻ばせる。
その歩みが不意に止まった。
まだ朝靄が完全に消えていない中、人気の無いはずの裏門に、人影を発見したから。
その人物は、高い塀に背を預け、いつものように気だるげに佇んでいた。トレードマークのアロマパイプを口先に銜えていたが、紫煙は立ち上っていなかった。
真逆は参ったな、と口の中だけで呟いて、再び歩き出した。躊躇い無く、彼の―――正確には彼の隣にある門に向かって。
真逆は何も言わない。
彼も何も言わない。
やがて、すれ違おうとする時に―――漸く、彼が口を開いた。
「行くのか?」
「うん」
何の気負いも無い問いに、何の気負いもない答え。これからコンビニに向かうか否か、とでも言いたそうな軽い問答。勿論そんな事もこの全寮制高校では禁じられている行為ではあるが。
「式に出ないのか。泣くぞ、八千穂や取手が」
「んん。本当は今日一日ぐらいいたかったんだけどさ。ちょーっともう誤魔化しも限界みたいで」
敷地の外に出るぎりぎりのラインで足を止め、困ったように話す真逆はそれでも笑っていた。対峙する彼―――皆守は逆に苦虫を噛み潰したような顔で、それでも真逆と視線を合わせずに只立っていた。
「報告書は出してなかったんだけど、どっかからバレたみたいでさ。―――仕事が終わったんなら、次に行かなくちゃ」
かつ、と音がした。皆守がパイプの吸い口を噛んだ音が。
「―――散々引っ掻き回して、もうさよならってか? 勝手な奴だ」
それでもその唇から出る言葉は、いつもと変わらず酷く皮肉げで。却って、真逆の気が楽になった。
「大丈夫だよ」
「…………」
「もう大丈夫。この学校も、卒業する皆も。今よりもっともっと幸せになれるから」
「―――お前を必要としている奴は、大勢居る」
「うん。それは本当嬉しい。でも、もう俺は必要ないよ」
あっさりと言われた拒絶の言葉に、皆守の方が鼻白んだ。思わず、顔を上げてしまい―――真逆がずっと自分の方を向いていた事に気づいた。
「俺は『探す者』だから。探すのが役目。宝物を探して、在るべき所に返す。それが終われば、俺は必要なくなるんだ」
真っ直ぐな瞳と共に紡がれる言葉。それは卑下ではないし、皮肉でもなかった。それは皆守にも理解出来た。彼は嘘は言わない―――絶対に。嘘をつくのが酷い罪悪であるというかのように。
それでも。
「本当、勝手な奴だな」
無性に、最近は火を点けることも少なくなったアロマパイプを銜えなおし、ライターを弄った。酷く苛々する。一吸いしなければ収まりそうも無い。
「――――甲太郎!」
「ッ!?」
鋭く名前を呼ばれ、一瞬身を固くすると同時に、抱きしめられた。自分とそう背丈の変わらない相手に、しっかりと。
身を離そうとする前に、耳元で囁かれた。
「―――Be lonely,
 or be completely at a loss,
 or when someone's help is required,
 close an eyelid, think of me,
 and call my name.  
 Then, I come.
 Hunt the sky of the day of summer to look up at for my figure,
 and elaborate your ear on my footstep which sounds in a way.
 If a stone is lifted,
 I am there.Ho!」
「何―――、何だ、よ。日本語で言え、馬鹿」
早口のその言葉はとても耳で捕らえる事が出来ず、皆守は僅かに上擦った声で詰った。密着した身体から伝わる、砂と岩と硝煙の匂い。ラベンダーの甘く柔らかい香りを切り裂くそれは、いつの間にか自分にも嗅ぎ慣れた匂いになっていた。
「…祈り。お前に、祝福を」
「真逆?」
す、と身体が離れて、視線を合わせる。真逆はやはり―――笑っていた。
「大丈夫。お前は強い。お前は優しい。怖がるな。世界は広い。そして美しい。何処へだって行ける。ゆっくりで良いから―――行こう」
「―――――――…」
それは、あまりにも力強い存在の肯定だった。
「一緒の道じゃなくても、進む方向が正反対でも、お前は歩ける。大丈夫、また会える。世界はちゃんと、丸いから」
「――――――、はは」
それは、あまりにも残酷な決別で、優しい叱咤で、そして――――どうしようもないくらい、美しい解放の言葉だった。
笑ってしまった。笑う事しか出来なかった。………やっと、笑えた。
「馬鹿、野郎が」
「うう、最後までそれ? ちょっと慌てたから、日本語変だった? ぇ、ちょ…っ」
やっと搾り出した皮肉にかくんと肩を降ろし、不安そうに問うてくる相手を自分から抱き寄せた。そのまま、衝動が落ち着くまでじっとしていると、そっと自分の背中にも相手の手が再び回ってきた。
何かを言いたいわけじゃない。行くなと言えれば、行きたくないと言えれば、もう少し楽だったのかもしれないけれど。
そんな事を言っても何も変わらないことは良く解っているから、言わない。
ただ、少しだけ。ほんの少しだけ、離れたくないだけだから。
何をするでもなく、お互いの身体にしがみつくように抱き合って、動かずにいた。






やがて――――ざぁ、と、桃色の花弁を含んだ風が、真逆の背を押した。どちらからともなく、自然に腕は解かれた。
「―――――それじゃ、な」
「―――――ああ」
風の中で、挨拶を交わして。真逆はちょっと勢いをつけて、後ろ向きのままジャンプする。軽く飛ぶだけで、学園の敷地、門のレールの外に、降り立った。
僅かに目を眇める皆守に対し、真逆は不意ににやっと笑い、今まで背中に隠したままだった手を差し上げた。手指の間に挟まれているモノが、鈍く銀色に光る。
「―――おい、お前ッ…」
そこまで見て、皆守は思わず一歩前に出る。だが、外までは届かない。
「もういらないだろっ?」
そして真逆の声に、完全に動きを止められる。
「Get tresure!」
いつの間にか皆守の唇の間から奪った「宝物」を太陽に翳すようにして、流暢な英語で一言。
「―――ったく…」
満面の笑顔に、皆守も笑うしかなかった。
それを確認して、真逆は踵を返して走り出す。いつの間にか道路の向こう側に、黒塗りの車が止まっていて、真逆は何の躊躇いもなくそこに乗り込んだ。恐らく、「宝探し屋」の本部のものなのだろう。排気音も静かに去っていくその車を見送り―――完全に見えなくなって、漸く皆守は空を仰いだ。
「…大丈夫、だ」
らしくないけれど、半年の間に移ってしまった彼の口癖を呟いて。
「俺は此処で、生きていく」
誓うと同時に、頬が一筋濡れる感触に気づいて、驚いた。大切なモノを無くした時も、その記憶を封じた時も、涙なんて流さなかったのに。
それがとても尊いものに感じて、拭わずに風に流されるままにしておいた。






バタン、と大きな音を立てて乗用車のドアが閉められた途端。
「ぅ……ぐっ、ぅ――――…っ」
両手で口を抑え、真逆は泣き出した。必死に堪えているようだが、両目からは絶えることなく水が溢れてくる。
車を運転しているロゼッタ協会のスタッフが理由を尋ねてくるが、首を振るだけで答えた。懸命なスタッフはそれ以上何も聞かず運転に集中してくれた。若いハンターが今まで居た場所を名残惜しく思うのは当たり前だと思っているのかもしれない。
「ふ―――ぅ、ごめ、こうたろ、」
それに感謝しつつ、真逆は小声で呟いた。
「俺、嘘、ついちゃった」
手の中の金属の重みを、掌が痛くなるほどに握り締める。
「俺は、『宝物』なんて、手に入れられないのに」
彼は探すだけ。探したものを欲する人に返すだけ。彼の元には、何も残らない。それなのに。
「なんでもいいッ…から、甲太郎のものが欲しかった…!」
今までこんな未練を味わったことが無かった。沢山の人と出会い、別れてきた。それが当たり前で、沢山の思い出があり、親愛の証であると沢山のものを渡されたけれど。
自分から欲しがって、奪ったのは、これが初めてだった。
こんなにも、たった一人の人を、いとおしいと思ったのも、初めてだった、から。
「ごめんっ、な…甲太郎………ありがとう…!」
もどかしげにそれでも小声で叫び、アロマパイプを握り締めた手に口付けた。
車は、天香学園の時計台が鳴らす、朝の始まりの鐘の音が届かない場所に向けて只管走り続けた。