時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

新年のテレフォンライン

「律儀なことよ。星がくるりと一度回るだけで、何故祝いなど起こすかえ?」
『…私の前ではこの国の言葉で話せ、狐』
「ふむ? では…『愛している』とでも言っておこうか?」
『殺すぞ、狐!』
『そら、鵺に電話をするのであろ。早くしぃや』
『………ふん』




数々の怪奇事件が終息し、年が暮れ、明けたその日。
全寮制を提示する天香学園においても、この時期ばかりは僅かな時間、里帰りを許される。いつもより大分人数は減ったが、それでも24時間営業のレストラン・マミーズはそれなりに込んでいた。
「ん〜…む、む、ぅー」
珍妙な声を上げながら、真逆は口の中のものと格闘していた。このレストランの席に座って食べているのは、いつもの香辛料の効いたカレーでは無く、湯気の立つ丼の中から顔を覗かせている白い餅だった。端を咥え、噛み千切ろうとして出来ず、やむなく伸ばして切ろうとするがそれも叶わず、結局かなりの量を口に含む羽目になっている。
「…何やってんだお前は」
見かねた隣の席に座っていた皆守が、器用に自分の箸で切ってやる。はみがと、と口の中の餅を咀嚼しながら真逆は礼をした。
「ん、ぐんっ。…ふはー、餅って美味しいんだけど、どこのタイミングで切ったらいいのか解んないよねー」
「ワカリマス我ガ王。スゴク難シイデス…」
「トト殿、頑張るでアリマスッ」
どうにか嚥下し、汁を啜りながら真逆がぼやくと、近くの席に座りやはり餅と格闘していたらしいトトが同意した。こちらには砲介がサポートについていて、汚したテーブルを拭いてやっている。
正月特別メニューということで、雑煮が客達に振舞われたのだ。殆どの生徒は久しぶりの味に舌鼓を打っている。最も、こんな日でもカレーからスプーンを離さない男もいたが。その男皆守は、うぬぬと首を傾げて再び餅と格闘を始めんとする隣に座った男に、呆れたように溜息を吐いた。
「阿呆か」
「しょうがないだろ慣れてないんだから! 甲太郎も今日ぐらい餅食べればいいのに」
「別にいい」
「…カレー星人がいるー」
「ほーぅ、そんなにカレー味の餅が食いたいか、解った」
「あっ待って止めて駄目ー! 狙わないでルーを入れないでー!」
素早くスプーンを構えた皆守に、慌てて真逆が丼ごと退避して、辺りから笑い声が上がった。真逆のバディである生徒殆どが、近くの席に皆集まって雑煮を啜っている。いつもなら里帰りする面々も、今年ばかりはそう出来なかったのだ。
世界を又にかける宝捜し屋である真逆が、いつこの地を離れていってしまうのか。そんな漠然とした上安が、全員の心の中にあった。いつも明るく騒がしく存在を誇示しているのに、ちょっと目を離した隙に永遠にいなくなってしまうような―――そんな気がしてしまい、離れがたかったのだ。
「へへッ。流石にお父さんとかには泣かれたけど、今年はしょうがないよねー。あ、そうだ! ねぇねぇまーチャンッ」
「ふぇ? 何、やっちー?」
皆守と真逆の向かい側に座ってニコニコしていた八千穂が、不意に真逆に尋ねた。丼をどうにか死守して向き直った真逆に、八千穂は好奇心を抑えられない瞳で尋ねる。
「まーチャンのお父さんとお母さんって、どんな人?」
「む?」
唐突な質問に、真逆は目を瞬かせる。
「えへへ。二人とも、「宝捜し屋」だってことは前に聞いたんだけどさ、一体どんな人たちなのかな〜って。全然想像出来ないから、気になっちゃってさ〜」
「お父さんとお母さん、かぁ…」
真逆は上意に目を眇めて、軽く空を仰いだ。その瞳に懐かしむ色が浮かんでいて、皆守は好奇心を抑えて八千穂に向き直る。
「どうせこんな奴を育てた奴等のことだ、只者じゃないことは一目瞭然だろうが」
「あ、酷! 何だよ人の親を人外魔境みたいに――――…」
真逆の反論が途中で止まった。何かを思い起こすように目を泳がし、首の傾ぎが深くなっていく。
「…否定出来ないんだな?」
「そそそそんなことないよ! ないったら!」
突っ込む皆守から目を逸らしながら叫ぶその姿は、慌てているよりもどこか怯えているように見えて、皆守は心の中だけで首を傾げた。
「え、そんなにスゴイ人なの?」
「スゴイっていうか〜、なんていうか〜…うん。強いヒト、だよ。どっちも」
ぐにぐに首を回して考えていた真逆が漸く動きを止め、結論を出した。その顔は照れ臭そうだけれど同時に凄く嬉しそうで、彼が自分の両親を大切に思っていることは一目で知れた。
「強いって…どんな風に?」
「うん、だって俺に銃器の使い方教えてくれたのお母さんだし。考えたら怖いよねぇ、俺赤ん坊の頃実弾入った薬莢で遊んでたんだよねーあはは」
流石に声を潜めた真逆の台詞に仲間達がうわぁ、と思わず声を上げる。
「あははじゃないだろ…」
頭痛を堪えてそれでも律儀に突っ込む皆守に一同頷く。洒落にならない。
「で、剣の使い方とか…肉弾戦とかを教えてくれたのがお父さん。小さい頃は必ずどっちかと一緒にいたんだけど、そのうち離れるようになっちゃったからねー」
「離れる、って…じゃあ、今も?」
「うん。お父さんもお母さんも俺も、皆別々。お父さんはこの前チベットにいるって言ってた。お母さんは、最近連絡くれないけど多分生きてるよ」
「何だその根拠のない自信は」
「だってお母さん、死ぬような感じ全然しないんだもん。お父さんは尚更死ぬわけ無いし」
自分の親の事にしてはやたらと殺伐に、それでいて信頼を置いて話す真逆に純粋に疑問を持って皆守が問うと、やや理解しがたい答えが返ってきた。
「どういう意味だよ」
「ん、お父さん元々死ぬようなヒトじゃない上に、お母さんが生きてる間は絶対死なないって誓い立ててんの」
さらりと言われた台詞に、一同息を呑んだ。真逆は自分の言葉に何の疑問も持っていないらしく、普通に答えた。
「だから、お母さんが生きてる限りお父さん絶対死なないの」
「ステキ…ステキよダーリン! それこそ真の愛よラブよッ!」
「なんか、スゴイね…まーチャンのお父さんとお母さん、すっごく仲良いんだねッ」
朱堂が感極まったように叫び、八千穂が目を輝かせて身を乗り出す。皆守は何も言わず、頭を掻くに留めた。成る程そういう親に育てられたらこんな子供が出来上がるのか、と呆れ半分諦め半分に自分の仮説が正しかったことを立証した。
「うん、仲良しだよー。顔合わせると必ず1、2回は殺し合うけど」
しかし次に笑顔で言われた真逆の言葉に全員リアクションが取れずに固まる。真逆は冗談を言っている風は無いし、彼のボケは全て素であることはこの場にいる全員が知っている。
「どんなだ」
「ほら言うじゃん、殺したいほど仲が良いって」
「言 わ ね え」
「ええ? そだっけ?」
即席漫才が続く中、正月返上で忙しく働きながらもこっそり真逆達の話を聞いてにこにこしていた奈々子は、店の奥から聞こえる電話の音に慌てて下がった。
「ありがとうございますッ、皆のマミーズです! えッ? え、え〜ッと、少々お待ち下さい…えっあっ、ハイ! ハイそうです! かしこまりました、少々お待ち下さいませ!!」
受話器を取り、戸惑い、慌て、そして元気に声を張り上げた奈々子に、皆何事かと視線をやる。するとぱたぱたと奈々子は真逆達の座るテーブルまで駆け寄り、真逆に子機の受話器を差し出した。
「真逆クンッ、お電話です!」
「へ? 俺に?」
「はい、あの〜、最初は何語か解らなかったんですけど、日本語解る方に代わって、「そこで夜鳥真逆と名乗る子供を出してくれ」って〜…」
「??? 何だろ」
首を傾げながらも受け取り、その場で通話ボタンを押して機械を耳に押し当てる。
「Hallo?」
『…鵺? 新年快樂』
雑音の多い受話器から滑り出てきたのは、紛れもなく、自分の「本当の」名前だった。自分がこの世界に生まれて初めて貰った名前。それを知っているのは、自分の他に二人しかいない。
『! …媽媽!!?』
思わず立ち上がって、真逆は中国語で「お母さん!?」と叫んだ。周りの面々が驚いて仰け反るのも気にせず、耳に意識を集中させる。
『ああ、私だ』
『どうしたの、お母さん!』
『時勢を考えろ。新年の挨拶だ』
耳を擽る落ち着いた声は、自分の記憶と全く変わらない母の声で、真逆を綻ばせる。
『あ、そっか。お母さん元気? 今どこにいるの?』
『久しぶりに大陸に戻ってきている。…不本意だが、あれと一緒だ』
『え、お父さんもいるの!?』
『…相変わらず騒がしい。少しは落とせ、そうがなり立てぬでも聞こえるわ』
「あっ、お父さん!」
「「「「「!!!」」」」」
矢継ぎ早に真逆が話す言葉を全く理解できていなかった周りの一同だったが、次に真逆が喋りを日本語に戻した事で更に動揺した。噂をすれば影とは言うが、こんなに良いタイミングで渦中の人と連絡が取れるとは。
「珍しいねっ、お父さんとお母さんが一緒にいるなんて」
聞きようによってはわりと失礼な台詞の筈なのだが、受話器の向こうからはころころと鈴を鳴らすような笑い声が聞こえた。
『暇を潰すには何よりの相手であろ? 昨今の仕事は皆詰まらぬものばかりでな』
「お父さんまたサボってるの? 駄目だよライセンス剥奪されちゃうよー」
『何を今更。それよりも鵺…ひとの悪口を言う時は聞こえぬところでせよと言わなんだか?』
「ひ。や、やっぱり聞こえてたのっ」
受話器からの声の温度が2,3度下がったような気がして、びびっと真逆の背が引き攣る。
『何度やっても懲りぬよな、戯けが』
「普通は聞こえないのー! お父さんの耳がおかしいのーっ」
半泣きになる真逆に声で気付いたのか、またころころと笑う声が『いい加減返せ』という声に遮られた。
『全く、お前もあれを調子に乗せるな』
『だってー。あ、それよりお母さん、新年の挨拶だったらいつも通りメールでも良かったのに。仕事忙しくないの?』
また中国語に戻して問うた声に、母の声が一瞬詰まる。更にその後ろから、「つれないことよ」とからかい混じりの父親の声が聞こえる。
『黙れ、狐! …ああいう手合いは、面倒だ』
『うん、ありがと。電話してきてくれて』
『…ふん』
不機嫌そうな鼻の音を聞き取りながら、真逆は頬が緩むのを止められない。
真逆はちゃんと知っている。母が自分の生まれ育った国の慣習に措いて、新しい年の挨拶は欠かさないことと、時間がある限り味気ないメールではなく自分の声でそれを行う事を知っている。いつもその手に武器を持ち、自分を抱き上げることも手を繋ぐ事も無く、常に真逆の前に立って歩き続けることしか出来ない母の、上器用な愛情表現であることも知っている。そしてやはりそれを知っている父が、どんなに露骨に嫌がられようと、この時は必ず母の側にいることを知っている。それを指摘すれば母の怒りと父のお仕置きが待っているので、わざと気付かない振りをするけれど、そしてそれも気付かれているだろうけれど。
『俺は大丈夫。元気でやってる』
『ならば、良い。…お前、そこの仕事はまだ終わらないのか』
『う、ん、終わったといえば終わったんだけどさ…』
『…動くのを渋っているのか。一所に留まり続けるなといつも言っているだろう』
『うん…ごめん。初めてなんだ、こんなに居心地良いの』
ちょっと視線を下ろし、真逆は隣に座ったままの皆守を見た。視線に気付いた相手が訝しげにこちらを見てくるので、にーと笑ってやると顔を逸らされた。
『大丈夫、必ず動くから。でも、あとちょっと…3月の終わりまで、どうにか』
『好きにしろ。そのことで悩むのも苦しむのもお前だ』
今の自分の言葉が周りに理解できないだろうことを感謝しながら、真逆は母に訴える。母はいつも通り突き放す言葉を言うだけだ。それが母の優しさだと解っているから、真逆はまた笑った。
『うん、頑張る』
『では、もう切るぞ』
『うん、再見媽媽』
「ではまた、な」
「うん、ばいばいお父さん」
最後に割り込んできた父にはきちんと日本語で返事をし、また向こうで言い争っているらしい両親の声を聞きながら通話を切った。受話器が温かく感じて、真逆の笑みはまた深くなる。
「…すっご〜い!! まーチャン、今何語で喋ってたの!?」
「え!? ふぇえっ!?」
電話が切られる事で金縛りが解けたらしく、八千穂が絶叫した。真逆がうろたえているうちに、他の仲間も口々に聞いて来る。
「…広東語だけど。お母さん、中国人だし」
「そうなのー!? じゃあまーチャンってハーフ?」
「八千穂さん、今はダブルって言うのじゃないかしら」
「え、ええっと…解んない。お父さんも厳密に言うと日本人じゃないし…」
「そういえば真逆の目も、濃い青だしな。色々血が混じっているのかもな」
大騒ぎになる周りにぽかんとしながらも、真逆はじわじわ湧いてくる新しい喜びに耐え切れず、椅子の上でくふぅん、と変な声を出して背中を丸くした。横に座ったままの皆守が不機嫌そうに尋ねてくる。
「何気持ち悪い声出してんだ」
「うひひ。俺って幸せものだねーって」
例え僅かな期間といえど、こんな暖かい場所に居られる自分が。居心地が良すぎて、本当に立ち上がるのを躊躇ってしまうほどに。
そしてその要になっているのが、自分は興味ない顔をして、それなのに何時の間にか自分の一番近くにいる彼であることも解っているから。
「…そうだな、頭に花が咲きまくってるな」
「特にラベンダー大盤振る舞いですよ」
「…何でだ」
「匂いついちゃってるもん。甲太郎の側にいすぎて」
「―――…」
さらっと言われた台詞に皆守は絶句して。
ごがっ。
「―――いってぇーっ!!」
テーブルの下で思い切り、真逆の向こう脛を蹴り飛ばしたのだった。