時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

霍乱のシックネス

砂と岩の匂いのする通路をいつも通りに歩いている時、喉に異変を感じた。
「…?」
疑問符を飛ばしつつ、うんっと喉を鳴らしてみる。がさがさとした感触。間違いなく、痰が絡んでいる。
「…やば」
思わず唇から出した言葉も掠れていて、参ったなぁと真逆は眉を顰めた。
今日は一人で探索の取り零しが無いかと今まで開けた道筋を踏破していただけだったので、すぐに外へ向かって踵を返す事にした。
体調管理は無意識のうちに気をつけていることだった。それなのに今唐突にこの状況、細菌性感染症の危険性がある。
真逆は寄り道せずに真っ直ぐ寮の部屋まで帰りつき、救急キットから温度計を出して口に銜える。同時に自分の装備品をきちんとしまってベッドの下に仕舞いこみ、ネットショップを検索して自分の症状に適応する薬を注文する。丁度音が鳴った体温計を確認し、ばっちり、平熱を上回っている数値を見てはぁーと溜息を吐く。
服を着替え、ベッドの上に乗っているぬいぐるみをぽんと床に置き、布団に潜り込んで目を閉じた。





「…………」
天香男子寮の廊下の真中で、30分ぐらい皆守は逡巡していた。いつも気だるそうな雰囲気を醸し出している彼にしては、非常に珍しく、不機嫌だと言うように眉を顰めて。放課後だったら他の生徒に見咎められ怯えられるところだっただろうが、幸いにして今は授業時間中だ。寮に残っている生徒は彼ぐらいだろう。
彼が迷っているのは当然、この秋に転校してきた男の部屋をノックすべきかどうか、という事柄だった。宝探し屋という物騒な裏の顔を持つ彼は、しかしそれが嘘に見えるほどに学生生活という奴を満喫しているように見えた。授業は毎時間しっかり出ているし―――成績に反映されるかどうかはともかく授業自体は楽しそうで―――昼になれば自分を巻き込み昼食を腹いっぱい食べ、昼休みは友人やクラスメートと一緒に球技をやっていたりする。―――「監視」している自分が、馬鹿馬鹿しく思える程に、学生生活を満喫していた。
そんな彼が、初めて学校を休んだ。毎日夜遅くまで遺跡探索に精を出しているにも関わらず、寝坊が当たり前だった自分を毎朝無理矢理ホームルームに引っ張っていく彼が。
おかげで自分は久々に惰眠を貪ることが出来たのだが、八千穂からの「皆守クンはともかく、真逆クンが来ないなんておかしいよッ」と的を得ているが失礼は失礼なメールに叩き起こされ、現在彼の部屋の前で立ち往生している体たらくである。
可能性はいくらでもある。あんな商売をしているなら、不覚をとって遺跡の中で事切れても全く不思議ではないし、自分にとっては好都合でもある。それを恐れて彼を慕う人間は彼のバディとしてついていくことを望むのだが、それを承知の上で一人で潜る真逆の事も自分は知っている。
だから、ノックをしても返事が無いかもしれない。
「…ちっ」
そこまで考えて、皆守は露骨に舌打ちをした。一番腹が立つのは、そう思うことを不愉快に感じている自分自身だ。振り切るように軽く頭を振り、指の背でここん、と小さくノックをした。
返事は無い。
「――――」
くっと喉が詰まり、無意識のうちに息を殺しながら皆守はドアノブに手を伸ばす。鍵はかかっていない。正体を隠さなければいけない身分にもかかわらず、真逆は滅多にドアに鍵をかけない。誰かに忍び込まれたら如何するんだと問うも、「ヤバイもんは全部隠してるから平気」とこちらは頑丈に閉ざされているベッド下の収納スペースを差して言い返された。実際この寮の個室程度の鍵なら真逆の手で10秒とかからずに開けられる。どうも彼は自分の手ずから開けられる鍵は鍵と認識していないようで、かけてもかけなくても同じだと本気で思っているらしい。
そんな事を思い出しながら、皆守はことさらゆっくりとノブを回し、ドアを開く。果たして、そこには。
「…………」
最初に目に入ったのは、部屋の真中にぽてんと置かれている縫いぐるみだった。そのデフォルメされた形からはちょっと解りにくいが、遮光器土偶をモチーフにした中々愛嬌のある代物である。元・墓守で生徒会執行委員であるリカに渡されてより真逆のお気に入りで、寝る時は抱っこしていると笑いながら教えられた事がある。それが床の上に、無造作に放り出されていた。
「…おい、真逆」
当人の姿を見つけ、安堵を堪えて皆守は息を吐いた。真逆は自分のベッドの上に、大人しく丸まって眠っていた。心配して損したと思いつつ心配していた自分に腹を立てるという器用な事をしながら、皆守はベッドに近づいて…異変に気付いた。
「真逆?」
問うて返ってくる返事のかわりの息は、荒い。頬は紅潮していて、熱があるというのが一目で知れた。まるで自分を守るように小さく丸まっているその姿が、いつもの無邪気で餓鬼臭い雰囲気を全く感じさせず―――皆守の心臓がどくりと鳴った。
「…おい、起きろ。真逆!」
それを認めたくなくて、皆守は乱暴に肩を掴んで揺さぶろうとした。病人にとっては手荒なやり方だったが、それは効果を発する前に―――

ダァンッ!!

「ッ…」
避けられた。一瞬で、真逆は布団を跳ね飛ばし、ベッドの上の反対側、皆守の手の届かないところまで移動して背中を壁に打ち付けた。その目はぱっちりと開いていて、何の動揺も驚愕も無い。ただ冷静に、目の前の状況を把握して現状を打破しようと考えている瞳。それは彼が遺跡の中にいる時と同じ目で、皆守の息が止まった。
「…こうた、ろ?」
掠れた声が皆守の名前を呼び、ぴんと張り詰めていた空気が、一気に弛緩する。真逆の青みがかった瞳が、はっきりと皆守の像を結んだらしく…へにょりっ、とマットレスの上の体がその場で潰れた。
「びっくりしたぁー…脅かすなよ甲太郎〜」
「…そりゃ、こっちの台詞だ」
動揺を堪えて、皆守もいつもの軽口を返す。驚いた、まるで遺跡の中で化人と相対した時のような顔をされて―――自分の隠しているものが見透かされたような、気がした。勿論気のせいなのだろうけど。
「っふぇっくし!」
嫌な意識の沈みは相手のくしゃみで浮上出来た。うー、と唸りながら鼻を啜っているその姿は、いつもの暢気な彼の姿と同じで、皆守は軽く息を吐く。
「…馬鹿のくせに風邪は引くんだな、お前」
「ぐあ。細菌性感染症に悩むワタクシにあんまりなお言葉。近づかない方がいいぞ、うつるかもしれないし」
嫌味にむぐっと頬を膨らませながらも、真逆はあっさりと布団を直してそこに潜り込む。先程とは逆で顔は皆守の方を向いているが、目はすぐにぴたっと閉じられてしまい、皆守の眉間に露骨な皺が寄る。
「様子を見に来てやった相手にその言い草は何だ」
「だから、風邪なんだってばー。うつったら困るだろ熱でたら辛いぞ喉も痛いぞ、早く部屋戻れって」
別に拒絶ではなく、皆守の体の方を案じているということが、僅かに掠れた声音の調子から理解できた。理解できたからこそ、腹が立った。今苦しんでいるのは間違いなく真逆の方なのに。
「寝てるだけで治すつもりか、馬鹿」
「治すよー。薬は明日には届くだろうし、寝てれば治るって」
「カウンセラーのとこにでも行って診て貰え。あれでも医者だ、少しはマシになるだろ」
何気ない嫌味のつもりだったし、たかが風邪でそこまで大仰に考える必要はないと皆守自身も思っていた。ただ露骨に自分を拒絶されたような気がして悔しくて、ほんの意趣返しのつもりだった、のだが。
がばぁっ!と音を立てて再び真逆が身を起こす。その目はまん丸に見開かれて、じっと皆守から逸らされない。
「…何だよ」
沈黙に耐えかねて、皆守が漏らすと、真逆は驚きに目を見開いた表情のまま、ぽんっ!!と自分の掌を拳で叩いた。
「あそっか! その手があった!」
「…………………」
本気で馬鹿だろうお前、との意思を込めて睨んでやったのだが、効果は無いらしい。真逆は逆にうきうきしながら、そっかそっかと頷いてベッドの上に足を下ろした。
「俺今学生なんだから、それぐらいしてもらっても良いんだ! うわーラッキーだなー!」
「…………」
皆守は沈黙を守った。どう応えていいのか解らなかったからだ。
病気の時は保健室に行く、そんな当たり前のことを幸運だと彼は言う。普段はいまいち理解出来ていない彼と自分との立ち居地の差が、不意に浮き彫りにされたようで皆守は奥歯を噛んだ。
先刻のベッドの上の姿が、更に重なる。普段は―――こんな状況で無いなら、ああやって一人でうずくまって只管病魔が去るのを待っているのだろうか。普段抱いている縫いぐるみすら遠ざけて、たった一人で。
「それじゃ早速〜…っと、ととっ」
「ッ、馬鹿!」
寝巻き姿のままぺたぺたと外に出ようとした真逆の足が、不意によろける。慌てて皆守は駆け寄り、自分より1cmだけ背の高い身体を支えてやる。触れた皮膚は、随分と熱い。本人は平気な顔をしているが、実際酷く熱が高いのだろう。
「あちゃー、足きてるな…しょうがない、もうちょい熱引くまで寝てるわ」
あっさりとそんな結論を出してベッドに戻ろうとする真逆に、皆守の脳味噌の中で何かの線が一本ぷつん、と切れた。
「…ちっ。来い」
「へぁ? え、え?」
ぐいっと腕を掴まれて引っ張られ、真逆は妙な声を上げてたたらを踏んだ。そのままどさ、と硬いが暖かいものの上に覆いかぶさる形になる。きょとんとしているうちに、両足を抱えられて立ち上がられた。―――要するに、皆守の背中に負ぶわれた。
「うお!? こ、甲太郎!?」
「行くぞ」
「い、行くっていってもさ」
「これ、肩にかけとけ」
「わぷっ」
体重を完全に他人に預ける形になってしまい、慌てて暴れる顔に自分の上着を押し付けられる。大人しくそれに袖を通すと、皆守はそのまますたすたと部屋の外へ向かって歩き出した。
「お、お〜い、甲太郎?」
「落とされたくなかったら大人しくしておけ喋るな」
「あいあいさー」
苛立ち混ざりの本音を聞き取り、真逆はおずおずと自分とそう広さの変わらない背中に体重を預けた。すると自然に自分の足を抱えている相手の両腕に力が入るのが解り、それが妙に嬉しくて真逆の口元が緩んだ。
「…うひひ」
「…嫌な笑い方は止めろ」
「だって、さぁ。こんなん初めてだよー…へへへ」
「初めてって…お前」
「本当本当。病気してる時に、誰かに運ばれるのって嬉しいなぁ」
「……………」
事実であった。真逆のような職種の人間にとって、体調不良は即死を意味すると言っても過言ではない。だから誰もが自分の体には万全を期すし、万が一崩れたとしたら足手まといにしかならず、捨て置かれるのは当たり前のことだった。そういう世界で生きてきたし、同じく宝探し屋である両親からも、物心ついてからは負ぶわれた記憶などないのだ。
だから、自分が弱っている時に誰かに触れられているというのが、ここまで幸せなことなのだと初めて知った。密着している身体は自分の方が体温が高いはずなのに酷く暖かく感じて、真逆は自然に両手を皆守の首に回してぎゅっと力を込めた。
それに当然皆守も気づいたが、振りほどく事も指摘する事すらせず、学校への道を歩いていく。
それがまた嬉しくて、真逆は皆守の背中に頬を押し当てて堪えきれずに笑う。やがてその瞼は自然にとろとろと落ちていって、保健室に辿り着く頃には完全に閉じていた。



その後、幸い殆どの生徒に見咎められることは無かったものの、当然瑞麗にはからかい混じりに良い傾向だと笑われ、へそを曲げた皆守に一晩であっさり熱を引かせた真逆は一週間連続で昼にマミーズのカレーを奢ることになった。
苦虫を噛み潰しながらもカレーに舌鼓を打つ皆守と、それを見ながら自分もしっかりご飯をかきこむ真逆は、それなりに幸せだったそうな。