時計+人形

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恋をしたかみさま

古びているが、それが却って荘厳さを高めている礼拝堂に、厳かなパイプオルガンの音が響く。
「本職じゃないし、先生の許可を取らなくていいのかな…」、と尻込みをする取手を、「今聴きたいんですの」とリカが断言し、尚且つたまたま同席していた真逆が「俺も聴きたいー」と乗って来て、三人で礼拝堂に篭って暫し。
鍵盤を叩き続ける取手の横に大人しく腰掛ける真逆の膝の上に抱き上げられたリカはご機嫌で、小さい声でメロディーに乗せて歌っている。
やがて最後の音が高い天井の上まで伸びて消えていき、拍手の二重奏がそれに続いた。照れ臭そうに、座ったまま取手がぺこりと頭を下げた。
「取手クン、次はOld Rugged Crossが良いですわ」
「第2編、182番だね…解ったよ」
無邪気なリクエストにぎごちない笑顔で頷き、再び音を奏でだす。
暫くメロディーを聴いていたリカが、不意に自分の椅子になっている青年に尋ねる。
「真逆サマはァ、神様を信じてますか?」
これが街角で怪しげなおじさんやおばさんに尋ねられたのなら、何も言わずにバックダッシュで逃げ出すところだろうが、彼女は本当に純粋に疑問を投げかけた。敬虔な信者である彼女に、どう答えるのだろうと取手も興味が沸く。あくまで鍵盤から指を外さず、片耳だけで真逆の声に備えた。
真逆はんんん、といつも考える時の癖で変な唸り声を上げながら空を仰ぐ。やがて視線を膝の上の少女に降ろし、にっこり笑って言った。
「一回だけだけど、会った事あるよ」
「えッ?」
リカも、声に出さなかったが取手も驚いた。
「俺が勝手に思ってるだけだけど、多分あのヒトはかみさまだよ」
「どんなヒトなんですの?」
興味津々、という顔でリカが問う。指を止めないながらも取手も完全に顔を真逆の方に向けた。
そんな二対の視線を受けて、真逆は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、まるで内緒話をするように声を潜めた。
「教えてあげる。かみさまってね、オッドアイなんだよ」


×××


「こんな山奥に、何か用があるのか?」
不意にかけられた言葉に、真逆は危うく足を滑らせそうになった。
ごつごつした岩肌に僅かに刻まれた道を歩いてもう3日目になる。当然の如く、人里からは遠く離れている。
そこで唐突に、柔らかい男の声が上から降ってきたのだ。慌てて顔を上げ、あたりを見回す。
「…あぁ、驚かせてしまったか?」
人影は夕日を背負って、近くの切り立った崖の上に危なげなく立っていた。
その姿を見て、真逆はぽかんと口を開けた。年のころは自分と殆ど変わらない若い男で、着ている服も簡素。それなのに、こんな場所で出会ったという驚き以外に目を外せない理由が何かあった。
まるで、この険しい岳山にすら同化してしまいそうな、人としての気配の弱さ。登る前から気付いていたこの山の「気」の強さを、全て飲み込んでしまえるような大きさと静けさ。
(…かみさま、だ)
唐突にそう思った。真逆には、心の拠り所になる信仰はない。信じるものは自分の意志の強さのみで、世界各地を回ってきた。そんな自分が、何の疑問もなく彼のことを、尊きものだと理解した。せざるを得ないほどに彼はとても―――静謐だった。
ざぁ、と山風が自分と、彼の黒髪を巻き上げる。簾のようになっていた彼の髪の隙間から、瞳が見えた。
(うわ、綺麗。片っぽが柔らかい茶色で、もう片っぽが透明なアンバーだ。強い瞳なのに、見透かされる感じが全然しない…どっちかっていうと…見守られてる。うん)
驚きに言葉を出せずただひたすら頭の中で考えていた真逆をどう思ったのか、彼は軽く首をかしげ、あ、と小さく呟いた。
「すまない。日本語を使っていたな。こちらの言葉で話すべきだった」
流暢な広東語が彼の口から出てきて、真逆ははたっと我に返った。
(あああああ返事するの忘れてた! 凄い感じ悪いよ俺!!)
「だっだっ大丈夫ですっ! 日本語解りますからっ!!」
慌てて叫んだ真逆の声に、彼はちょっと驚いたように目を見開き、すぐにまた柔らかく笑うと、とん、と岩棚から飛ぶ。まるでふわりと浮かぶように軽々と、真逆の傍に降り立つ。
「そうか。日本人に会うのが久しぶりで、懐かしくて声をかけてしまったんだ。通じて良かった」
「いえいえこちらこそっ」
訳の解らない照れと緊張でわたわたしている真逆に、彼はまた笑う。決してからかいでなく、まるで自分の子供を見守っているような、とても優しい笑顔だった。
「えーっと、俺はここに探し物があるんですけどっ、貴方はどうしてここに? ここに住んでるんですか?」
宝探し屋として、身分は隠し目的を他人に悟られてはならない。そんな常識も、既に真逆の頭の中から吹っ飛んでいる。もともと熱心に守っていたわけでもないが、とにかく目の前のこの人にとても隠し事など出来ない。そう踏んでの言葉だった。
「探し物? …この山にあるものと言えば、俺はひとつしか知らない。…君は、あの扉を開きに来たのか?」
しかし真逆の言葉に、男の顔は曇ってしまった。非難しているわけでなく、不安を抑え込んでいるような、ほんの少しだけ悲しそうな…そんな顔に。
「扉があったら開けるのが俺の商売ですけど…えと、それってもしかしてヤバイ代物ですか。この辺りの様相が変わった調査も兼ねてるんですけど〜」
酷く罪悪感が沸いてきて、言い訳も兼ねて真逆は言葉を募る。ここ数日の間に、この岳山の気の巡りが非常に強まり、それによって地形にすら影響が出てきていた。古くこの辺りに伝わる「崑崙」の伝説に応じ、何がしかの遺跡が山中にあるのではないかとい
う推測を受け、真逆はこの山にやってきたのだ。
恐る恐る問うた言葉に、男は虚をつかれたような表情をして…不意に「そうか、悪い事をした…」とぺこりと頭を下げた。唐突な詫びに真逆の方が慌てる。
「えっ、えっ、俺の方こそ何か変なこと言いました!?」
「違う、そうじゃない。…この辺りの気脈の流れが変わったのは、俺のせいなんだ」
「はえええ!?」
あっさり言われたとんでもない言葉に、素っ頓狂な叫び声をあげて真逆は仰け反ってしまった。青みがかった目をまん丸に見開いて固まっている真逆に対し、男はもう一度すまないと謝ってから真実を語りだした。
「この山には龍穴が有るんだ。龍穴が如何いうものか、知っているだろうか?」
「ええっと…地脈の気の流れが噴出す、ツボみたいなとこ…でしたっけ」
かなり昔父に聞かされた曖昧な知識しか持っていなかったが、男は頷いて言葉を続けた。
「そう、この山もその一つだ。そんなに大きなものではないが、それでも扉には違いない。…俺がこの山に留まっているせいで、そこから普段よりも大量の気脈が溢れ出している。抑えているつもりだったんだが…影響がもう出てしまっていたんだな」
申し訳無さそうに眉を顰め、男は俯いた。真逆はどう言葉をかけたらいいのか解らない。
真逆には目に見えぬ力を操ることなど出来ないが、知識自体は持っていた。それゆえ、彼の言っている言葉が思い切り常識から外れていることも理解できていた。
地を流れる気脈。それはこの星全体のエネルギーそのもの。それを制したものは世界を制するとも言われ、同時に人間ごときに御せる筈がないと言われる程強大なもの。そんなものに、ただそこに存在するだけで影響を与えられる存在など…
そこまで考えた真逆は直感した。彼の人としての気配があまりにも弱かった理由。
それは正しく、有り余る気脈を抑える為に、その力を全て受け止めているからではないのだろうか? 人としてではなく、まさしく力を御す器の如く―――
「…ひとつ。願っても、良いだろうか」
「えっ?」
「影響を完全に抑えることは俺でも出来ない…だが、絶対にこの山に住まうものに迷惑はかけない。だから、頼む…もう暫くでいい、ここにいさせてくれないか?」
凛とした瞳が、真逆の目にひたりと合わせられる。左右色の違うその瞳は、謝罪と同時にどうしようもない切実が浮かんでいた。
ここから決して離れたくないと、懇願していた。まるでここから離れることが、何かとても大切なものを失ってしまうかのように。
「…大丈夫ですっ!」
「…?」
大声で真逆は宣言した。驚いて男がその瞳を僅かに見開くほどに。
「誰かが迷惑蒙ってるってわけじゃないんですっ。貴方の力も、貴方自身も、怖がるものでも疎むものでもないですっ! そんな、自分の居場所を誰かに認めさせる必要なんてない! それぐらい、貴方が決めていいものなんですっ!!」
「―――――…」
ただ、出会ってほんの少し話しただけの相手だったけれど、真逆は断言した。だってこのひとはかみさまだ。その瞳は驚くぐらい優しくて、自分以外のもののことしか考えていなくて。
そんなひとが、自分の大切なものすら手に入れられないなんて、納得いかない。
「貴方が必要なもの、俺が取ってきます!」
「え…?」
「だって俺、『宝探し屋』ですから!!」
自信で満たした笑顔を向けられ、親指を立てられて。
呆然としていた男はやがて―――本当に嬉しそうに、その顔をほころばせた。
「…有り難う。君は、優しいな」
「そんなの…」
貴方の方がずっと優しい。そう言いかけて真逆は口を噤んだ。彼が不意にはっと息を呑み、視線を空に泳がせたからだ。
その視線を追った先に、真逆も目を向ける。かなり遠く離れた切り立った岩の上に、人影が見える。遠すぎて人となりなどは解らなかったが―――手に持っている長めの物を、合図をするように大きく振って見せた。正しく、真逆と相対する彼に向かって。
「…ぁ、…京一ッ!!」
ひくりと喉を震わせて、彼はその人影の名前を呼んだ。その声には、今まで彼には感じられなかった―――きっと抑え込んでいたのだろう―――沢山の感情、歓喜、安堵、思慕等が限界まで込められていた。
(かみさまが、ニンゲンになった)
真逆も驚いた。今まで信じられない程薄かった人としての彼の気配が、あっという間に濃厚になった。今現れた、たった一人の人間の姿によって。
(でも―――この方が、ずっと良い)
彼は、ずっとその人間を待っていたのだろう。自分の存在がこの地を改変させてしまうことに気付いていて、それを詫びながらも只管に。
それだけ誰かをいとおしいと思う気持ちは、真逆には解らない。それでも、今にも人影の元に駆け出したそうな男の姿が嬉しかった。
「へへ。俺が探すまでも無かったみたい、ですねっ」
「ああ…有り難う、本当に…」
「俺何もしてないですよー。取りあえず調査報告書には、異変収束異常なし、って書いときます!」
「…有り難う…!」
もう一度、礼の言葉と共に彼は深々と頭を下げ。まるで空中を踊るかのように、あちこちの岩場を危なげなく足場にして、崖の向こうへ跳んでいった。
それを見届けて、真逆も踵を返す。
任務終了、この山に然したる遺跡は存在せず。
ただ、恋をしたかみさまがひとり、愛しい相手の帰りを待ちわびていただけ。
(流石にこれは報告書に書けないけどね)
もう後ろを振り返ることはなく、真逆は意気揚々と山道を下っていった。





「―――ああ」
その後姿を見送って、麻央は息を吐いた。彼の琥珀色の瞳は、現実の姿ではなくそのものの魂の容を視る事が出来る。
漸く見切る事ができた。彼は―――、鳥だ。その瞳は大空より全てを見据え、翼は広く、嘴は大きく、爪は鋭い。狙った獲物は逃さず、必ず捕まえ、軽々と何処へでも運ぶ事の出来る狩人。
だが同時に、彼自身は何も手に入れることが出来ないであろうことも、麻央は気付いていた。
何故なら彼は、鳥なのだ。空を飛んでいなければ彼は彼で無くなる。どんなに素晴らしいものを見つけても、それを自分のものとして持っていられない。そんな重いものを持ったままでは、飛び続けることなど出来ない。
せめて、せめて彼が安心して翼を休められる、そんな止まり木があれば良いのに。
「…どうした? 麻央」
傍らに立ち袈裟に入れた長物を肩に預け、不思議そうに問うてくる自分の半身に問われ、麻央は軽く首を振る。
「いや、何でもない」
そう言いながらも、その肩に軽く自分の頭を寄りかからせた。何かを察しているわけでもないのに、彼の腕が自分を抱き寄せてくれることに歓喜する。この世界で唯一、何も考えずに全てを預けていいと思える相手。
そんな相手が、あの優しい彼にも出来ればいい。
麻央はそっと祈っていた。どうか、いつか、と。