時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

月の満ち欠け。

―――彼は、超常現象だの、祟りだの呪いだのといったことは信じない。
だから、夜毎自分を苦しめる凄まじい脱水症状も、科学的に解明と治療が出来ると考えていた。
例えそれが、月が満ちると共にその身を老爺に変えてしまう恐ろしい代物でも。
彼は、そう信じていた。



彼の在籍する学園に、新しい風が吹いた。
簡単に言えば、また一人<転校生>がやってきた。
自分も異邦人の一人としてこの学園の謎を調査してはいたが、思い通りにならない身体は隠れ蓑と同時に枷にもなり、思うように進めることが出来なかった。
だから、好奇心で瞳を満たし、物々しい装備を背負って墓地に入り込んだ<転校生>に近づくことにした。
それとなく情報を小出しにし、煽り、促す。
事実彼は自分ではとても出来そうに無い遺跡の怪物や罠を掻い潜り、着実に奥へ奥へと進んでいった。同時に墓を守る者達の信頼を得て。
最も意外だったのは、一番積極的に彼を助ける男がいたことだった。

×××

「どういう風の吹き回しなんだ?」
「…何のことだ?」
昼休みの太陽がコンクリートを焦がしていく屋上で、夕薙は隣で寝転がりまどろんでいる皆守に尋ねた。彼はその体勢のまま目を開けることすらせず、アロマパイプを銜えたまま気だるげに話す。
「<転校生>くんのことさ。随分とご執心じゃないか」
「冗談じゃない。巻き込まれてるのはこっちの方だ」
不機嫌そうに顰められる眉。しかし普段何があろうと無気力な仮面を崩さない彼にとって、それすら非常に珍しいことだった。
「いつものお前だったら、どんなに巻き込まれそうになっても自分から離れていくだろう? それが出来ていないって事は、かなり絆されてるってことさ」
「…………………ちッ」
がち、とパイプを噛む音が聞こえる。悪態はついても、肯定や否定はしない。そのことが何故か酷く、夕薙の癇に障った。
「良いのか? いつかはお前も、あいつの前に立つんだろう?」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。と思った瞬間、いつもからは信じられない程の瞬発力で、皆守が起き上がった。
いつもどろりと濁っている筈の垂れた瞳は隠しようもないぎらついた殺気を湛えていて、我知らず夕薙は臆した。
「…それはお前もだろうが」
バタン!!
皆守の台詞に被さるように、大きな音を立てて屋上の扉が開かれた。
「あーここに居たー! 甲太郎ー、大和ー!」
緊張感の全く無い、暢気な叫び声。やってきた人影は正しく、先刻まで話題に上がっていた転校生。二人の間の緊迫が雲散霧消し、皆守は軽く頭を掻いて踵を返す。
「あ、甲太郎! 折角来たのにどこ行くんだよ!」
「マミーズに決まってんだろ。昼飯だ」
「じゃ俺も行くー! 大和は?」
「俺は遠慮しておくよ。二人で行ってくればいいさ」
「ん、そう? ちゃんと飯食わないと駄目だぞ〜…て待てって、甲太郎ー!」
軽く手を上げて笑い、断りを入れる夕薙に大人ぶった忠告をしながらも、既に階段を降り始めている皆守の後を慌てて追って彼は駆けて行く。その様子を見送って、夕薙は笑顔を収め、一つだけ苦い溜息を吐いた。

×××

決めていたことだった。
覚悟していたことだった。
理不尽により父と愛する人の命が奪われてより、その理不尽を覆すことだけが自分の存在理由になった。
それはある意味復讐だった。単なる自分のエゴでしかないことも解っていた。
だからこそ、誰かを巻き込み利用することに躊躇いも後悔も無かった。
無かった、筈、なのに。

×××

「悪いが俺と、ここで戦ってもらうぞ」
手酷い裏切りを与えた筈だった。どんな詰りも恨みも受け止めるつもりだし、許されるつもりも無かった。
それなのに、彼は。
生徒会役員である神鳳と、また彼から生まれた巨大な化人を相手に立ち回り、傷だらけになっているにも関わらず。
「―――オーケイ。いいよ、やろうか」
何の気負いも無く、笑みすら浮かべて愛用の鞭を構えた。しかしその瞳には、絶対に負けるわけにはいかないという意思が確かに篭っている。
彼の後ろに立っている神鳳も皆守も、あまりにもあっさりとした彼の答えに驚いているようだったが、彼らと共に来ていた白岐は顔色一つ変えていない。まるで全てを見通しているような瞳から如何にか目を逸らし、改めて<転校生>と向かい合った。
「…お前のその思いが本当なら…、お前の持てる力の全てで俺を…倒してみろ」
僅かに声が掠れたが、気付かれないだろうと思った。

×××

―――結局のところ、彼は勝てなかった。
例え呪いによる力を得ていたとしても、酷使される身体は悲鳴を上げ続け、ろくに戦えるような状態では無かった。否、それ以前に、彼自身が本気を出すことが出来なかった。
何の躊躇いも無く、攻撃を受けることを恐れず、真っ直ぐ自分に向かってきたあの男に、本気で力を向ける事が出来なかった彼には。
迷い無く、彼自身を信じ、彼と戦うことで彼の信念全てを受け止めてくれた<転校生>に、勝てる理由が無かったのだ。

×××

「なァ、一つ聞きたいんだが」
「う? 何、大和?」
相変わらず、日差しが降りてくる屋上。フェンスに寄りかかり、不意に夕薙は隣で何やら端末を弄っていた<転校生>に問いかけた。
「どうして君は―――あんなにてらいも無く、俺を信じてくれたんだ?」
女々しいと思いつつも、問わずにはいられなかった。何故彼はこんなにも強く、優しく在れるのかと。
ぱちりと端末の蓋を閉めてから、彼はんんん、と喉の奥で唸り声を上げながら首を傾げる。傾げすぎて身体ごと転がりそうになる寸前にひょいっと戻し、うん。と一つ頷いてから、端的な答を返した。
「俺が信じたかったから」
「…………それは、また」
関心と呆れが丁度半々の感嘆符に気付いたのか、彼は少し慌てたように説明を付け加える。
「いやだってさ、人の心なんて全部覗けるわけじゃないんだから、騙されたり裏切られたりなんて当たり前だろ? だったら自分の信じたいヒトだけ信じるしかない、と思う、のですが」
何かおかしい?と急に不安になったらしく身を乗り出して問うてくる<転校生>に―――夕薙は、思わず笑ってしまった。笑うしかなかった。自分の狡っからい考えなど一足飛びに超えて、とてつもなく彼は強く純粋だった。
「…全く。負けたよ、君には」
「んん? 俺、勝ち?」
「はははは」
日本語の微妙なニュアンスが解らなかったらしく首を傾げる彼に、今度こそ夕薙は声を上げて笑った。全く彼と話していると、自分の器の浅さが解って情けなくなる。それなのに決して不快ではないことがまた不思議だ。こうやって皆、彼を頼りまた力を貸すのだろう。
「…お前も、観念した方が良いぞ」
「ん、何?」
「いや、何でもないよ」
ここにいない悪友に向けて、口の中だけで呟く。きっと彼は、あの男が目の前に立ち塞がったとしても―――迷わず武器を取って戦うだろう。自らの思いを貫き、また皆守自身を救う為に。
ならば自分が辿るべき道も、もう決まっている。
「実は、聞いて欲しいことがあるんだが――――」
きっと彼は笑って、自分の決意と提案を受け入れてくれるだろうと思ったから。